| 教育熱心で厳格な家庭で育った。 |
| 特に両親の離婚後母の教育熱がエスカレートし、テレビは教育テレビのみ視聴することを許されていたとインタビューで語った。 |
| 少年時から様々なスポーツに取り組み、高校時で既に体重115kgという大柄だった。 |
| 17歳でワシントン州シアトルにあるワシントン大学にアメリカンフットボールの奨学生として入学し、学業では社会学と薬学を専攻。 |
| カレッジフットボールではオフェンスのラインとして活躍し、NFL入りを表明したため、大学は3年間で特進卒業した。 |
| 1997年、NFLのシカゴ・ベアーズにドラフト3巡(全体69位)指名で入団するも、度重なる故障に見舞われ、翌シーズンにミネソタ・バイキングスに移籍。 |
| さらにボルチモア・レイブンズへ移籍するも両足のアキレス腱を痛め、負傷前の実力を取り戻すに至らなかったため、2000年に現役続行を断念。 |
| 代わってアメリカのプロレス団体であるWCWに転向・参戦したが、WCWが倒産したため数試合の(前座)出場のみにとどまった。 |
| 後、病院に遺体搬出の仕事に就き収入を得る。 |
| NFL時代のパワーリフトMAXは、ベンチプレス266kg、インクラインベンチ363kg、パワークリーン191kgと公表している。 |
| また、100mを11秒台で走っていた。 |
| その後、同じく元WCWの選手でかつてK-1に参戦していた友人のサム・グレコの紹介でK-1にスカウトされ、2002年、格闘家としてPRIDE、K-1に参戦。 |
| 試合ではフットボールの経験を生かした肉弾的な戦いを得意とし、自らをビーストと呼ぶことから、「野獣」「ビースト」といったキャッチコピー(ちなみに、PRIDEにデビューした当初は「暗黒肉弾魔人」)を得た。 |
| 格闘家として活躍時の体脂肪率は11-13%程度で、筋力維持のため毎日400g程度のプロテインパウダーを摂取しトレーニングに励んでいた。 |
| 来日当初は異国の勝手がわからず、その巨体を小さくて萎縮していたが、活動初期には手にした生肉を貪り食うなど食人を意識したギミック(役付け)で登場。 |
| 本人のサービス精神旺盛さと、場が盛り上がる的確な乱暴狼藉、表情豊かで大仰なセリフ回しで笑いも取り、一時期お茶の間を席巻する。 |
| 2002年8月にPRIDE王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに善戦し、さらに10月と12月にK-1王者のアーネスト・ホーストに勝利したことで格闘技ファンにも実力を認められ、一方、私生活では知性派であることがメディアに紹介されるにつれ、そのギャップから親しみやすいキャラクターとして話題を呼び、日本の数多くの番組やテレビCMに多く出演することとなった。 |
| 2004年には映画『IZO』、『デビルマン』に出演した。 |
| また、漫画「バビブベボブボブ!!さっぷくん」が月刊コロコロコミック(2003年7月号-2006年4月号)に連載された。 |
| 2002年4月28日、PRIDE.20で日本デビュー。 |
| 山本憲尚(現山本宜久)を1R2分44秒で下す。 |
| 2002年6月2日、K-1SURVIVAL2002で中迫剛と対戦、K-1ルールを無視して中迫を投げ飛ばし上から殴るなど暴走し反則負け。 |
| 乱闘騒ぎになる大荒れの試合となった。 |
| 試合後、石井和義館長は「このままでは収まらない。 |
| 2人にはきっちり決着をつけさせる」と明言した。 |
| 2002年6月23日、PRIDE.21で田村潔司と対戦、開始11秒でKO勝利。 |
| 2002年8月28日、Dynamite!にてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに2ラウンド4分02秒で一本負けを喫するも、ノゲイラのフィニッシュ・ホールドである三角絞めを、持ち上げてリングに叩きつけて阻止するなど、その怪力ぶりを発揮。 |
| 2002年9月22日、K-1ANDYSPIRITSでシリル・アビディと対戦し、KO勝ち。 |
| 2002年10月5日、K-1WORLDGP2002開幕戦にてアーネスト・ホーストと対戦、パンチと圧力で攻め1R終了時にドクターストップによりTKO勝ち。 |
| K-1を3度制したホーストに勝利したことで知名度は急上昇する。 |
| 2002年11月17日に、サップをエースとするK-1によるプロレスイベントWRESTLE-1が旗揚げ。 |
| フジテレビは「ボブ・サップのバトル・エンターテイメントW-1」というサップの冠番組としてゴールデンタイムに録画中継した。 |
| 2002年12月7日、K-1WORLDGP2002決勝戦のGP準々決勝にてアーネスト・ホーストと再戦、2R2分53秒でKO勝ち。 |
| しかし右拳を骨折しGP準決勝を棄権した。 |
| 王者になったのは、サップに2度負けたホーストだった。 |
| 2002年12月31日、INOKIBOM-BA-YE2002ではプロレスラーの高山善廣相手に打撃では勝負をせずにタックルで倒し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。 |
| 2003年3月5日、フジテレビのバラエティ番組「力あわせてゴーゴゴー!!」内の企画で、シングル「SAPPTime!」をリリースした。 |
| オリコン週間チャートは最高28位。 |
| 2003年3月30日、K-1WORLDGP2003inさいたまでミルコ・クロコップと対戦し、左ストレートでKO負け。 |
| 試合後、右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された |
| 2003年8月15日、K-1WORLDGP2003inラスベガスでキモと対戦、2R1分11秒右フックでKO勝ち。 |
| 試合終了後、マイク・タイソンを挑発した。 |
| 2003年10月11日、K-1WORLDGP2003開幕戦にてレミー・ボンヤスキーと対戦、2Rに倒れたレミーを殴ってしまい反則負け。 |
| 2003年12月31日、K-1PREMIUM2003Dynamite!!にて曙太郎と対戦、1R2分58秒でKO勝ち。 |
| そのシーンは瞬間最高視聴率で民放がNHK紅白歌合戦を史上初めて上回り、大きな話題となった。 |
| 2004年3月28日、新日本プロレスにて佐々木健介と対戦、8分24秒体固めで勝利し、第37代IWGPヘビー級王座につく。 |
| 2004年5月3日、新日本プロレスにて中邑真輔と対戦、12分31秒体固めで勝利し、IWGPヘビー級王座の初防衛に成功する。 |
| 2004年5月22日のK-1ROMANEXで藤田和之と対戦、序盤でテイクダウンをとられ、一方的に藤田の打撃を浴びタップアウトで敗北。 |
| 試合後、保持していたIWGPヘビー級王座を返上。 |
| 2004年12月31日、K-1PREMIUM2004Dynamite!!においてジェロム・レ・バンナと、1Rと3RはK-1ルール、2Rと4Rは総合格闘技ルールで行うミックスルールで対戦し、時間切れ引き分け。 |
| 2005年5月からサム・グレコの下で修行し、6月14日のK-1WORLDGP2005INHIROSHIMAで開催されたJAPANGPに出場。 |
| 中尾芳広、堀啓、富平辰文を破り優勝。 |
| 総合格闘技大会HERO'Sでは、2005年3月26日にキム・ミンスに右ストレートでKO勝利、7月6日にはアラン・カラエフに左ストレートでKO勝利を収めた。 |
| 11月5日には「HERO'S2005inSEOUL」においてキム・ジョンワンに、8秒でKO勝ち。 |
| 並行してプロレスにも参戦。 |
| 2005年8月4日、「WRESTLE-1GP2005開幕戦」においてジャイアント・バーナードと対戦し、5分30秒、横入りエビ固めで勝利。 |
| 2005年10月2日、「WRESTLE-1GP20052回戦」において秋山準と対戦し、7分21秒、ビーストボムからのエビ固めで勝利。 |
| 2006年5月13日、K-1WORLDGP2006INAMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコット。 |
| この件でサップは弁護士を介しての声明文や外国人記者クラブで会見を行うなどし、一方、FEG社長谷川貞治もサップへ法的措置をとると会見するなどして、両者で争うことになった |
| PRIDE参戦のメレンデスも提訴]BOUTREVIEW2006年10月11日。 |
| 『サンデー毎日』2006年12月31日号では、映画に出演すると共に、獣医を目指して勉強中と報じられた。 |
| 10月15日にはWWEのトライアウトを受けていた。 |
| 2007年2月10日、CageRage20のリングに上がり、4月21日のCageRage21への参戦を表明したが、開催直前になって出場がキャンセルされた |
| 2007年6月、サップを契約違反として民事裁判の提訴をしたK-1と和解 |
| 試合後の会見で谷川貞治K-1イベントプロデューサーは裏切られたと不快感を露わにした |
| 2007年10月16日、ハッスルの会場に姿を現し、モンスター・ボノの「バブー」をパロって「ボブー」と言った。 |
| 11月22日、ハッスルマニア2007でHGに勝利。 |
| 2007年12月31日、K-1PREMIUM2007Dynamite!!でボビー・オロゴンと対戦、パウンドでKO勝ち。 |
| 2008年2月23日、米国での総合格闘技デビュー戦となるStrikeforce:AtTheDomeでヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦し、パンチを連打されTKO負け。 |
| 2008年12月31日、Dynamite!!〜勇気のチカラ2008〜のDJ OZMAプロデュース試合でキン肉万太郎と対戦し、スタンドパンチ連打でTKO勝ちを収めた。 |
| 2009年1月、プロ野球北海道日本ハムファイターズの坪井智哉と東京都内のジムで自主トレーニング(格闘技トレーニング)を行った。 |
| 2009年5月26日、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でミノワマンと対戦し、アキレス腱固めで一本負け。 |
| 2009年6月27日、UltimateChaosでボビー・ラシュリーと対戦し、グラウンドパンチで1ラウンド3分17秒、タップアウト負け。 |
| 2009年10月6日、ゲガール・ムサシの負傷欠場により敗者復活となり |
| 2010年、格闘家として第一線を退き、韓国でトークショーの司会や、会社の経営に乗り出していると明言文化放送大竹まことゴールデンラジオにて2010年7月8日放送。 |
| 2010年11月27日、スウェーデンのRumbleoftheKingsのメインでユルゲン・クルトとK-1ルールで対戦し、ひざ蹴り一発で戦意を喪失して、タオル投入による1ラウンド98秒のTKO負け |
| 2010年12月31日、Dynamite!!〜勇気のチカラ2010〜で鈴川真一とIGF特別ルールで対戦する予定だったが、試合放棄したため、「サップの戦意喪失」として不戦敗扱いとなった |
| 試合放棄の理由の詳細は、#FEGとの争いの2010年Dynamite!!試合放棄を参照。 |