| 1970年、志向する音楽の違いなどからサイモン&ガーファンクルは解散、サイモンはソロ活動に入った。 |
| 私生活では、最初の妻、ペギーと結婚。 |
| ハーパーという男の子を授かった(のちに彼は「ケープマン(TheCapeman)」にギタリストとして参加している)。 |
| デビュー・アルバム『ポール・サイモン(PaulSimon)』は、米ビルボードチャートの4位まで上昇。 |
| このアルバムの1曲目、「母と子の絆」は、有名白人ミュージシャンとして初めてのレゲエ曲で、優美でフォーク調のシンプルな楽曲に慣れていた大多数のサイモン&ガーファンクルのファンの度肝を抜いた。 |
| このアルバムでは、サイモン&ガーファンクルで築き上げたスタイルを敢えて崩し、レゲエやスカなど全く新しいジャンルの曲目で占められたが、大衆に迎合せずに、新たな創造性を求めるという、他のポップ・ミュージシャンとは一線を画す真のアーティストとしてのアプローチは、その後発表されるアルバムでも繰り返されることとなる。 |
| 1973年には、アルバム『ひとりごと(ThereGoesRhymin'Simon)』、1975年には『時の流れに(StillCrazyAfterAllTheseYears)』を発表。 |
| 後者はアルバムチャート、シングルチャート(「恋人と別れる50の方法」)共に1位を獲得した。 |
| 1980年には、映画『ワン・トリック・ポニー(OneTrickPony)』の脚本、サウンドトラックを手掛け、俳優としても主演した。 |
| しかし、映画の興行は振るわず、アルバムもそれまでのヒットには及ばなかった。 |
| 1981年に、アート・ガーファンクルと解散から11年ぶりにサイモン&ガーファンクルを再結成し、セントラル・パークに53万人を集めたフリー・コンサートは大きな話題となった。 |
| このコンサートの成功を受けて、サイモン&ガーファンクルとしてのアルバム制作が始められたが、2人の音楽観の溝は埋まってはおらず、逆にそれを再認識することになる。 |
| こうして、1983年に発表した5枚目のソロ・アルバム『ハーツ・アンド・ボーンズ(HeartsandBones)』は、商業的には失敗と見られた。 |
| アルバムの中の「TrainintheDistance」は離婚した最初の妻ペギーを、そして「HeartsandBones」は2番目の妻キャリー・フィッシャーとのことを歌ったものだ。 |
| 最後の曲「LateGreatJohnnyAce」はポールの少年時代のヒーローJohnnyAce、ジョン・F・ケネディ、そしてジョン・レノンの死を歌っている。 |
| 先述のセントラル・パーク・コンサートでこの曲を歌い始めたポールに「話があるんだ」といって1人の男がステージに上がってきた。 |
| 男はすぐに取り押さえられ、幸い事件には至らなかったが、これにはポールも心底驚いた表情をしていた。 |
| 『ハーツ・アンド・ボーンズ』の商業的な失敗(アルバムの売り上げはキャリア最低の50万枚未満)を受け、ソロ・アーティストとしての人気に陰りが出てきたが、1986年、全くの新境地ともいえるアフリカの民族音楽を取り入れた『グレイスランド(Graceland)』を発表。 |
| このアルバムは、世界各地のチャートで旋風を起こす大ヒットとなり、マイケル・ジャクソンの『スリラーThriller)』などと共に、80年代の世界のミュージック・シーンを代表するアルバムのひとつとなった。 |
| 一方で、このアルバムは南アフリカのミュージシャンのサポートが大きく、当時アパルトヘイト政策をとり世界的な非難と経済・スポーツなど、様々な制裁を受けていた南アフリカ政府を利するものだと、大きな非難を浴びた。 |
| また、音楽そのものを南アフリカから”盗んだ”とも非難され大きな論争をもたらした。 |
| しかし、そもそもポールには純粋な音楽的な動機以外にアルバム制作の目的はない上、アルバムの内容はむしろ南アの黒人ミュージシャンの才能を全面に押し出すものだったため、最終的に当時のANC(アフリカ民族会議)はポール・サイモンを支持し、また南アフリカ出身や他の多くのミュージシャンの支持をも得、『グレイスランド(Graceland)』は、1枚のアルバムで2年連続してグラミー賞を受賞するという栄誉をサイモンにもたらした。 |
| 1990年に発表した『リズム・オブ・ザ・セインツ(TheRhythmoftheSaints)』は、前作のワールドミュージック路線を継承したもので、ブラジル音楽を取り入れ、再びヒット作となった。 |
| 同年末には、日本の第41回NHK紅白歌合戦に衛星中継で出演し、『明日に架ける橋』を歌った。 |
| 1991年には、再びセントラル・パークでフリー・コンサートを開き、75万人を動員するという驚異的な記録を自ら更新。 |
| しばらくの沈黙の後、1997年にはブロードウェイ・ミュージカルに進出。 |
| 「ケープマン(TheCapeman)」は短期間の上演となったものの、そのキャストアルバムは批評家の間では高い評価を受ける。 |
| 2000年に発表した『ユー・アー・ザ・ワンYou'retheOne)』は、グラミー賞の最優秀アルバムにノミネートされた。 |
| 2006年には『サプライズSurprise)』を発表。 |
| U2などのプロデューサーとして知られるイギリス人コンポーザー、ブライアン・イーノを迎え、65歳にして、新境地ともいえるエレクトロミュージックに取り組み、話題となった。 |
| 「エブリシング・アバウト・イット・イズ・ア・ラブソング」はドラムンベース、「ワンス・アポン・ア・タイム・ゼア・ワズ・アン・オーシャン」はブレイクビーツをベースとした楽曲である。 |
| 米オール・ミュージック・ガイド(AllMusicGuide)は、ボブ・ディランの「ラヴ・アンド・セフト」とポール・マッカートニーの「ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード」、ローリング・ストーンズの「ア・ビガー・バン」という同世代のスター達が最近出した傑作アルバムを並べ、「サイモンの傑出した点は、他のミュージシャンとは違い、自身が既に築き挙げた過去の業績に頼った音楽を作らないということだ。 |
| キャリアのピークの時とまったく変わらないチャレンジと野心をもって、これを作りあげただけにより注目に値する」として、高く評価している。 |
| また、この作品は商業的にもヒットし、ビルボード・アルバムチャートで、全米14位、全英4位を記録。 |
| シングルも、「ファーザー・アンド・ドウター(Fatheranddaughter)」が久々のトップ40入りを果たした。 |
| 2007年、LibraryofCongress(アメリカ議会図書館)による、新設のガーシュウィン・アワードの第1回の受賞者となる。 |
| この授賞式には、ガーファンクルやスティービー・ワンダーなども参加し、米PBSにより全米に生中継された。 |
| また、ヒップポップ・ミュージシャン、ワイクリフ・ジョンの新曲「ファスト・カー」にゲスト・ボーカリストとして参加。 |
| このアルバムは、2007年12月発売予定の「カーニバル2(Carnival2)に収録された。 |
| 2009年11月には、『ロックの殿堂TheRocknRollHallofFame)』の25年記念コンサートに出演。 |
| U2、ブルース・スプリングスティーンらと共に、ソロ・アーティスト及びサイモン&ガーファンクルとして、2度に渡って出演、往年のヒット作を披露し、スタンディング・オベーションでの喝采を受けた。 |
| 2011年、5年ぶりの新作『ソー・ビューティフル・オア・ソー・ワットSobeautifulorsowhat)』を発表。 |
| アフリカやブラジルで吸収したサウンドに、ブルーグラス、ゴスペルなども組み合わされた自身のキャリアの集大成ともいえる作品で、ローリングストーン誌、オール・ミュージック・ガイドなど各メディアは総じて『グレイスランド(Graceland)』以来の傑作と絶賛し、ビルボード・アルバムチャートでも発売と同時に4位を記録した第1週での4位はキャリア最高)。 |
| ヨーロッパでの各チャートでも軒並みトップ10入りを果たし、90年の『リズム・オブ・ザ・セインツ(TheRhythmoftheSaints)』以来の大ヒット作となった。 |