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プロフィール
- ポール・ヴェルレーヌとは
- 生涯と作品
- 生い立ち
- 青年期
- アルチュール・ランボー|ランボー
- 教職と美少年
- 栄誉と窮乏
- 日本語文献
- 歌曲
- 関連サイト
生涯と作品
| 彼の一生には、酒・女・神・祈り・反逆・背徳・悔恨が混在した。 |
| 晩年には文名を高めデカダンスの教祖と仰がれたが、初期の作品の方が評価されている。 |
| 以下で、箇条書きの部分は文学的事項である。 |
生い立ち
| 1844年-1864年。 |
| ドイツに接するモゼル県のメスに生まれた。 |
| 父は、ベルギー生まれのフランス軍人。 |
| 母は、パ=ド=カレー県アラス近郊の生まれ。 |
| 経済的な環境は恵まれていた。 |
| 父の退役後一家はパリに出(7歳)、ポールは小学校の寄宿舎に入り、次いでボナパルト中学(LycéeBonaparto)(現在のコンドルセ中学 |
| 大学入学試験に合格し(18歳)、パリ市役所書記になる(20歳)。 |
| 1858年(14歳):習作をヴィクトル・ユーゴーに送る。 |
| このころ、ボードレールの『悪の華』などの詩集を乱読する。 |
| 1863年(19歳):雑誌に匿名の投稿をする。 |
| パリの文人らを知る。 |
青年期
| 1865年-1871年。 |
| 父を喪う(21歳)。 |
| マチルド・モーテ(MatildMauté)と婚約し(25歳)、翌年挙式。 |
| 間もなく普仏戦争(1870年7月19日-1871年5月10日)に召集された。 |
| 1871年のパリ・コミューン鎮圧(5/20-28)の騒擾を、パリのパンテオン近くの自宅で避けた。 |
| 長男ジョルジュ誕生(27歳)。 |
| 1866年(22歳):詩人らが稿を持ち寄った第1次「現代高踏詩集」(LeParnassecontemporain)に、7篇を寄稿。 |
| 1867年(23歳):サテュルニアン詩集(Poèmessaturniens)を従姉の費用で処女出版。 |
| ブリュッセルで女の友達(LesAmies)を匿名で刊行(後に「雙心詩集」に収録)。 |
| 1868年(24歳):文壇の知人を増やす。 |
| 「女の友達」で、軽罪裁判所に処罰される。 |
| ブリュッセル在のユーゴーを訪問。 |
| 1869年(25歳):「よき歌」の数篇を書く。 |
| 艶なる宴(Fêtesgalantes)刊行。 |
| 1871年(27歳):第2次「現代高踏詩集」に、5篇を投稿。 |
[[アルチュール・ランボー|ランボー]]
| アンリ・ファンタン=ラトゥール筆|250px|right。 |
| 1871年-1875年。 |
| 結婚1年後、ランボーと会い、妻に乱暴を繰り返した上、彼と同棲し、イギリス・ベルギー・北仏を転々した。 |
| 母と妻が説得に来ても、置き去りにして逃げ、妻に絶縁状を書いた。 |
| ユーゴーに妻との交渉を懇願した。 |
| ロンドンで病臥し、母を呼んだ(28歳)。 |
| 転々するブリュッセルで、ランボーにピストルを撃ち、収監された(29歳)。 |
| 妻の別居請求(この時点では離婚はしていない)が認められたことを獄中で知り、落胆し、カトリックに帰依した(30歳)。 |
| 一年半後出獄し、元妻との和解をはかる一方、旅先でランボーと格闘した(31歳)。 |
| 1872年(28歳):婚約時代のマチルドを歌った優しき歌(LaBonnechanson)、戦乱に遅れて発行。 |
| 1874年(30歳):言葉なき恋歌(Romancessansparoles)が友人の手で刊行され、獄中の著者に届けられる。 |
| 1875年(31歳):第3次「現代高踏詩集」への投稿を忌避される(このとき、マラルメも同様)。 |
教職と美少年
| 1875年-1885年。 |
| イギリスの中学に教職を得た(31歳)。 |
| アルデンヌ県の学校に転じ、生徒中の美少年リュシアン・レチノアに惚れ(33歳)、授業をおろされ、リュシアンと英国へ渡り、教職を得た。 |
| 元妻との和解をまたはかり、黙殺された(35歳)。 |
| リュシアンを伴い帰国し、その郷里に滞留(36-37歳)。 |
| 母と暫くパリに住み、市役所への復職をはかり果せず、西郊の学校に就職した(38歳)。 |
| リュシアンが死に(39歳)、その故郷で堕落放浪の日を送った(-40歳)。 |
| 泥酔して母の頸を絞め、入牢。 |
| 出獄後またリュシアンの故郷を放浪した(41歳)。 |
| 1881年(37歳):叡智(Sagesse)刊行、売れ行き振るわず。 |
| 1882年(38歳):雑誌に、「昔と近頃」の数詩篇と、獄中作の詩法(Artpoétique)を発表(「詩法」は後に「昔と近頃」に併載)。 |
| 1884年(40歳):評論、呪われた詩人たち(LesPoètesmaudits)刊行。 |
栄誉と窮乏
| 1885年-1896年。 |
| パリへ戻り、無一文。 |
| 左膝を患い、一時慈善病院へ(41歳)。 |
| 経済的援助をした母死亡、葬儀には病気で不参。 |
| ホテルを追い出され(42歳)、以降慈善病院を転々(42歳-)。 |
| 慈善病院から娼婦ユージェニー・クランツの家へ転じ、情夫となった。 |
| 生活費のため、オランダへ講演旅行(48歳)。 |
| ユージェニーに駆け落ちされ、慈善病院入院。 |
| 娼婦フィロメーヌ・ブーダンに連れ出された。 |
| 国内およびイギリスへ講演旅行をした(49歳)。 |
| ユージェニーと和解しまた同棲した。 |
| 入院2回(50歳)。 |
| 文部省から救済の500フランを受け取る。 |
| パンテオン近くの自宅歓楽街として名高いRueMouffetardと繋がり、名門高校のアンリ四世校の裏手にあるRueDescartesにある。 |
| この建物は現在『ヴェルレーヌの家』と呼ばれるレストランになっているが、内装はヴェルレーヌ関係のものは一切なく映画俳優らの写真を並べたもので、価格も同じ通りのほかのレストランに倣い旅行者向けの手ごろな値段である。 |
| またこの建物の左隣には辻邦生が在住したと記した、ヴェルレーヌのものより一回り小さい記念プレートがある。 |
| で、娼婦に看取られて死去。 |
| マラルメ、フランソワ・コペー(:fr:FrançoisCoppée)ほか参列者多数。 |
| ただし、入営し病中の息子ジョルジュは不参。 |
| パリ市17区のバチニョル墓地(CimetièredesBatignolles)に埋葬(51歳)。 |
| 日本では、東大生の上田敏が、「ポオル・ヴェルレエヌ逝く」(1896)を発表した。 |
| 1886年(42歳):雑誌に「パルジファル」(Parsifal)掲載。 |
| 1888年(44歳):愛の詩集(Amour)刊行。 |
| 幸福(Bonheur)、「ヴェルレーヌ選集」、女に捧げる歌(Chansonspourelle)刊行。 |
| 1892年(48歳):我が病院(Meshôpitaux)、内なる祈祷の書(Liturgiesintimes)刊行。 |
| アカデミー・フランセーズの会員に立候補し、取り消す。 |
| 哀歌(Élégies)、その名誉を讃える歌(Odesensonhonneur)、獄中記(Mesprisons)、オランダ15日(QuinzejoursenHollande)刊行。 |
| ルコント・ド・リールの後任として、「詩王」(PrincedePoéte)に選ばれる。 |
日本語文献
| 「海潮音」、上田敏訳、本郷書院(1905)→新潮文庫(改版2006)ISBN9784101194011。 |
| 「珊瑚集」、永井荷風訳、籾山書店(1913)→岩波文庫(改版1991)ISBN978-4003104163。 |
| 「ヴェルレエヌ詩集」、鈴木信太郎訳、創元社(1947)(詳細な年譜あり)→岩波文庫(改版2004)ISBN9784003254714→「全集.2巻 訳詩編」、大修館書店。 |
| 「叡智」、河上徹太郎訳、芝書店(1935)→新潮文庫(復刊1994)ISBN9784102171028→「全集.7巻 翻訳編」、勁草書房。 |
| 「ヴェルレーヌ詩集」、堀口大學訳、新潮社世界詩人全集8(1937)→新潮文庫(改版2007)ISBN9784102171011→「全集.3巻 訳詩編」、小澤書店 。 |
| 「ヴェルレーヌ詩集」、野村喜和夫訳編、思潮社「海外詩文庫」(1995) 新書版。 |
| 『堀口大學全集.5巻 「ヴェルレーヌ研究」』、小澤書店(1983) 。 |
| ピエール・プチフィス、『ポール・ヴェルレーヌ』、平井啓之、野村喜和夫訳、筑摩書房(1988)。 |
| アンリ・トロワイヤ『ヴェルレーヌ伝』 沓掛良彦、中島淑恵訳、水声社、(2006)。 |
歌曲
| ガブリエル・フォーレ-『艶なる宴』から4篇、『言葉なき恋歌』から2篇、『優しき歌』から9編、他。 |
| 「後光を背負った聖女」「暁の光は広がり」「白い月影は森に照り」「私はつれない道を歩む」「私は本当に恐ろしいほど」「暁の星よ、お前が消える前に」「それはある夏の明るい日」「そうでしょう?」「冬が終わって」。 |
| クロード・ドビュッシー-『艶なる宴』から9篇、『言葉なき恋歌』から6篇、『叡智』から3篇。 |
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