| シャラポワは2001年4月19日、14歳でWTAツアーにデビューした。 |
| 1年後の2002年4月21日、ITF草津国際女子オープンテニス大会で中村藍子に6-4,6-1のストレート勝ちを収め、プロ選手としてのトーナメント初優勝を果たす。 |
| シャラポワ本人も「草津でのツアー初優勝は私の原点」と常々語っているという。 |
| その後ITFのサーキット大会で、さらに2つの優勝を加えた。 |
| シャラポワが世界的な知名度を獲得したのは、2003年ウィンブルドンの4回戦進出であった。 |
| ワイルドカード(主催者推薦)で出場した彼女は、3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)を6-4,6-4のストレートで圧倒した後、続く4回戦で同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワに1-6,6-2,5-7で敗れた。 |
| 同年10月のジャパン・オープンにおいて、シングルスとダブルスでWTAツアー初優勝を果たす。 |
| シングルス決勝ではアニコ・カプロス(ハンガリー)に2-6,6-2,7-6で競り勝ち、ダブルスでもタマリネ・タナスガーン(タイ)とのコンビで優勝した。 |
| 2004年、シャラポワは全仏オープンでパオラ・スアレス(アルゼンチン)との準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで4大大会初優勝を飾った。 |
| 第13シードから勝ち上がった彼女は、決勝でセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を6-1,6-4のストレートで圧倒した。 |
| 17歳2ヶ月でのウィンブルドン女子シングルス優勝は、1997年に「16歳9ヶ月」で優勝したマルチナ・ヒンギスに次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録である。 |
| 18歳未満の選手が4大大会女子シングルスを制したのも、1999年全米オープンに17歳11ヶ月で初優勝したS・ウィリアムズ以来であった。 |
| 続く全米オープンでは、3回戦でマリー・ピエルス(フランス)に敗退した。 |
| 10月のジャパン・オープンには第1シードとして出場し、決勝でアメリカのマショーナ・ワシントン(マラビーヤ・ワシントンの妹)に6-0,6-1のスコアで圧勝し、大会2連覇を達成した。 |
| この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場したことから“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった。 |
| 入場者総数最多記録、2006年にロジャー・フェデラーの初来日でさらに多くなる。 |
| 古くなった表現あり-->女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権でも初出場で初優勝を飾り、セリーナ・ウィリアムズに4-6,6-2,6-4の逆転勝利を収めた。 |
| 2005年は、2月に東京体育館で開催された東レパン・パシフィック・オープン・テニストーナメント決勝でリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。 |
| しかし、ウィンブルドンでは準決勝でビーナス・ウィリアムズに6-7,1-6で敗れ、大会2連覇はならなかった。 |
| 同年8月22日、ロシアの女子テニス選手として史上初の世界ランキング1位になる。 |
| left|thumb|2006年全米オープン(テニス)|2006年全米オープン優勝。 |
| 2006年には、東レパン・パシフィック・オープン・テニストーナメント準決勝で実現したマルチナ・ヒンギスとの初対戦が大きな話題となり、シャラポワは当年度から現役復帰したヒンギスに3-6,1-6で敗れた。 |
| この年の全米オープンで、彼女は2004年ウィンブルドン以来の4大大会決勝戦に進出し、ジュスティーヌ・エナン・アーデン(ベルギー)を6-4,6-4で破って2冠を獲得した。 |
| 2007年の全豪オープンで、シャラポワは初めて決勝戦に進出したが、世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がったセリーナ・ウィリアムズに1-6,2-6で完敗し、ここでは準優勝に終わった。 |
| この後全仏オープンで初の準決勝に進出し、アナ・イバノビッチ(セルビア)に2-6,1-6で敗れた。 |
| また、全米オープンでは3回戦でアグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)に不覚を取り、あっさりと大会連覇を逃してしまう。 |
| ツアー年間最終戦のWTAツアー選手権では、3年ぶり2度目の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに7-5,5-7,3-6で敗れた。 |
| (注:エナンは2007年1月に離婚し、名前を旧姓に戻した)。 |
| 2008年の全豪オープンで、シャラポワは2年連続2度目の決勝でアナ・イバノビッチを7-5,6-3のストレートで破り、初優勝を飾った。 |
| 本大会ではリンゼイ・ダベンポート、エレーナ・デメンチェワ、ジュスティーヌ・エナン、エレナ・ヤンコビッチの強豪を圧倒し、全試合ストレート勝ちで優勝を決めた。 |
| これでシャラポワの4大大会優勝も3勝目となり、あとは全仏オープンを残すのみとなる。 |
| しかし、2008年はふくらはぎや右肩など多くの故障に悩まされた年でもあった。 |
| 5月14日にエナンが世界1位のままで現役引退を表明したことから、翌週にシャラポワが世界1位に返り咲いたものの、全仏オープンは4回戦敗退に終わり、ウィンブルドンにいたっては2回戦で姿を消してしまう。 |
| 7月末のロジャーズ・カップ3回戦敗退の後、彼女は長期間の戦線離脱を余儀なくされ、北京五輪への出場も断念した。 |
| 2009年3月前半のBNPパリバ・オープンで、シャラポワはエレーナ・ベスニナ(同じロシアの選手)とのダブルス戦に出場し、8ヶ月ぶりにツアー大会へ復帰した。 |
| 1年ぶりの4大大会出場となった全仏オープンでは、2年ぶりの準々決勝でドミニカ・チブルコバ(スロバキア)に0-6,2-6のストレートで完敗した。 |
| 2009年10月3日、シャラポワは東レパン・パシフィック・オープン・テニストーナメントのシングルス決勝で第7シードのエレナ・ヤンコビッチ(セルビア)と対戦する。 |
| 第1セット途中(5-2)にヤンコビッチが棄権したため、シャラポワは2005年以来4年ぶり2度目の優勝を果たした。 |
| 前年優勝者として出場した2010年の大会では主催者推薦出場のクルム伊達公子に5-7,6-3,3-6で敗れ初戦で敗退している。 |
| 2011年5月のBNLイタリア国際でシャラポワは決勝でサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を6–2,6–4で破り約1年ぶりのツアー23勝目を挙げた。 |
| 全仏オープンでは4年ぶりのベスト4に進出したが準決勝で優勝した李娜(中国)に4-6,5-7で敗れ全仏初の決勝進出を逃した。 |
| ウィンブルドンでは決勝に進出したが、ペトラ・クビトバ(チェコ)に3–6,4–6で敗れ7年ぶりの優勝はならなかった。 |