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プロフィール
- マリリン・モンローとは
- 概要
- 生い立ち
- 最初の結婚
- 芸能界へ
- 女優になる
- トップスターになる
- ケネディ兄弟との情事
- 死と波紋
- 葬儀
- ゴールデングローブ賞
- エピソード
- 関連サイト
マリリン・モンロー(MarilynMonroe、1926年6月1日-1962年8月5日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女優。旧名、ノーマ・ジーン・モーテンセン(NormaJeaneMortensen)。本名、ノーマ・ジーン・ベイカー(NormaJeaneBaker)。
概要
| 1950年代中盤から現在に至るまで「アメリカのセックスシンボル」と称される。 |
| モンローというステージネームは彼女の母親の姓である。 |
| 身長166.4cm、体重53.5kg。 |
| スリーサイズはB94W61H86。 |
| トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、モンロー・ウォークと呼ばれた独特な歩き方。 |
| フェラガモに作らせた靴のサイズは、24.5cm。 |
| ノルウェー人の血を引いているといわれるが、本当の髪の色はブロンドではなく褐色(ブルネット)であった。 |
生い立ち
| ノーマは片親家庭に生まれた。 |
| アメリカ合衆国には戸籍がないので、出産直後に医者が書く出生証明書が法的な意味をもつことになっている。 |
| 彼女の出生証明書には、父:エドワード・モーテンセン、母:グラディス・モンロー・ベイカー、氏名:ノーマ・ジーン・モーテンセンと記載されていて、彼女の本名がノーマ・ジーン・モーテンセンであることに異論はないが、母と同じアパートに住んでいたスタンリー・ギフォードという男性が本当の父親であるという説もあるアンソニー・サマーズ『マリリン・モンローの真実(上)』、28頁、中田耕治訳、扶桑社、1988年7月。 |
| 後年大人になったノーマがギフォードに電話したことがあるが、会うことは拒否されている。 |
| モンローは正式な書類にサインするときはモーテンセンの姓を使ったが、そうでないときは母親の姓を使ってノーマ・ジーン・ベイカーと名乗ることが多かった。 |
| ノーマという本名の由来は、映画好きな母グラディスが当時好きだった女優ノーマ・タルマッジからとったとされる。 |
| ジーンは1930年代のセックス・シンボル、ジーン・ハーロウに由来する。 |
| 母グラディス・ベイカー(旧姓モンロー)は「モンロー宣言」で知られるジェームズ・モンロー大統領が先祖であると周囲にもらしていたが、娘のモンロー自身は一笑に付したとされる。 |
| 日本語訳されている評伝のなかには、モンローは孤児だったと記されているが、母親がいたのだから日本語では孤児と呼ぶことは出来ない。 |
| これは彼女が孤児院(orphanage)や養子として育てられたために受けた誤解である。 |
| もっとも、英語での孤児(orphan)という単語は片親の場合にも使えるので誤訳と言うわけではない。 |
| またモンローには父親違いの7つ年上の姉が居る。 |
| 姉とは女優になってからも気にかけていて、手紙をやりとりし互いに訪ね合うほど親交があった。 |
| その姉はモンローの葬儀に参列している。 |
| ジョー・ディマジオと共に葬儀の準備にあたり、マリリンの死装束を選んだのも他ならぬこの姉であった『マリリン・モンローわが妹マリリン』バーニース・ベイカー・ミラクル/モナ・ラエ・ミラクル共、大沢満里子訳、メディアックス、初版1997年8月。 |
| モンローの母親は大手映画製作会社のRKOでフィルムカッターの仕事をしていたが、精神病を患っていて職場の同僚グレース・マッキー(後に結婚してGoddard「ゴダード」)が彼女の保護者になった。 |
| マッキーが1935年に結婚した後、モンローはロサンゼルスの孤児院へ、その後伝えられるところでは性的虐待及びネグレクトで支配された養家へ連続して送られ、そのせいか吃音症を患うようになってしまった。 |
| 当時の大統領の政策で、里親には支給された援助金目当てで子供を引き取る家もあったとされ、モンローもいくつもの家をたらい回しにされるなど大事に扱われたとは言えなかった。 |
最初の結婚
| 第二次世界大戦下の1942年、16歳のときに半年で高校を中退しグレース・ゴダードの叔母で母の友人アナ・ロウアーのすすめで、母の家の近所に住むジム・ドハティと最初の結婚をする。 |
| ジムはロッキード航空機製造会社に整備工として勤務していたが、その後海軍に徴兵され輸送船団に乗り組むことになった。 |
| 独りになったノーマは航空機部品工場レイディオ・プレーン社に就職し、自活の道を歩き始めた。 |
芸能界へ
| 第二次世界大戦末期の1945年の19歳の誕生日を迎えて間もなくのこと、工場で働いていた時に陸軍から取材に派遣された報道部員デビッド・コノバー一等兵に見出され、写真を撮られる。 |
| この写真が陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことを機に芸能界への道をたどることになる。 |
| コノバーにそのネガを見せられた商業写真家のポッター・ヒューズにカバーガールになることをすすめられ、モンローは工場を辞めてハリウッドのモデルクラブ「ブルーブックス・モデルズ・エージェンシー」の専属モデルに応募した。 |
| モデルの基礎教程を終えたノーマの初仕事は、ロサンゼルス博覧会場でのイベントコンパニオンであった。 |
| やがて新進の写真家アンドレ・ド・ディーンズと知り合い、モデルとしての才能を発見される。 |
| この年、二人で長い撮影旅行に出かけている。 |
| ド・ディーンズはマリリンがモンローになる前のノーマ・ジーンの初々しい姿をカメラに収めた。 |
| その後、髪をゴールデン・ブロンドに染めたセクシーなピンナップが売りものの雑誌に写真が掲載されるようになる。 |
女優になる
| 1946年、20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し「マリリン・モンロー」という芸名で契約を結んだ。 |
| マリリンの名は1920年代のブロードウェイの美貌の舞台女優マリリン・ミラーに由来している。 |
| なお夫のジムはモデル業に理解を示さず結婚から4年で離婚した。 |
| 1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』という映画に端役で初出演するが、あまりぱっとせずに契約を切られてしまったが、彼女は女優への夢を諦めきれずコロムビア映画に移籍、『コーラスのレディたち』で準主役となる。 |
| コロムビア映画とはその映画一本のみで終わってしまったために、その後は再びヌードモデルなどをしながら演技の勉強をし、エージェント(交渉代理業者)を探し続けた。 |
| 生活が苦しく家賃や車の月賦が払えなかったためにカレンダーのヌードモデルになった(写真家トム・ケリー撮影の「ゴールデン・ドリーム」と呼ばれる作品で有名)。 |
| しかしこのことが後にスキャンダルを巻き起こすことになる。 |
トップスターになる
| 話しているのはコメディアンのジャック・ベニー。 |
| 右最手前は大統領補佐官アーサー・シュレジンジャー。 |
| 1951年にエージェントのジョニー・ハイドの尽力で『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演、注目される。 |
| 以後、数本の映画に脇役で出、1952年の『ノックは無用』で準主役。 |
| 1953年『ナイアガラ』では不倫相手と夫の殺害を計画する悪女を主演し、腰を振って歩く仕草(モンロー・ウォーク)で世の男性の注目を集める。 |
| 続く『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』や『七年目の浮気』が大ヒットして一躍トップスターとなった。 |
| 1954年1月14日、野球選手のジョー・ディマジオとサンフランシスコ市庁舎で結婚。 |
| 2月1日、読売ジャイアンツの招きもあり、新婚旅行を兼ねてパンアメリカン航空のボーイング377で日本を訪れ、東京国際空港で大歓迎を受けた。 |
| 野球の仕事を兼ねていたディマジオは、滞在中忙しく外へ出かけることが多かった。 |
| 野球に興味のなかったモンローは宿泊先の帝国ホテルで待つ日々が続いた。 |
| そんな折、朝鮮戦争で駐留していた在韓米軍を慰問してほしいという依頼が舞い込む。 |
| 暇を持て余していたモンローに断る理由はなかった。 |
| 行くなと反対するディマジオと喧嘩するようにして韓国へ向かった。 |
| モンローはヘリコプターに乗り、ジープや戦車を乗り継いで駐屯地を回り、多くの兵士たちを前にして歌った。 |
| 1955年に、関係が悪化していたディマジオと離婚した。 |
| 結婚生活は9か月しか続かなかった。 |
| その後、セックスシンボルを脱したかった彼女は、ニューヨークに移りリー・ストラスバーグが主催するアクターズ・スタジオで演技の指導を受けている。 |
| 『アンナ・クリスティ』、『欲望という名の電車』を演じ好評を博したことは彼女に自信を取り戻させた。 |
| 1956年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚するが、1957年頃から不安定な状態が続き、睡眠薬を飲み過ぎたりして、精神病院に入ったりもした。 |
| UCLA教授のラルフ・グリーンソンによる精神分析を受け続けた。 |
| また、アンナ・フロイト(ジークムント・フロイトの娘)には境界性人格障害と診断されたが、正確なところは分からない。 |
ケネディ兄弟との情事
| 1961年にミラーと離婚。 |
| この前後から、ケネディの妹の夫のピーター・ローフォードやフランク・シナトラの紹介で前年に大統領となったジョン・F・ケネディと不倫の関係にあったことが、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されている『ピーター・ローフォード―ケネディ兄弟とモンローの秘密を握っていた男』348頁、ジェイムズスパダ、広瀬順弘訳、読売新聞社刊1992年。 |
| また、ジョンの弟で司法長官を務めていたロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがある。 |
| 同年に封切られた映画『荒馬と女』の評判が悪く、また共演したクラーク・ゲイブルが撮影終了後に急死したことも重なり、不安定になり再び精神病院に入院。 |
| 翌1962年に、映画『女房は生きていた』の主演になるが、たびたび撮影をすっぽかすため制作はほとんど進まなかった。 |
| 『女房は生きていた』の主役は結局降ろされた(のちにドリス・デイ主演で公開)。 |
| なおジョン・F・ケネディとモンローとの関係は、ケネディがサム・ジアンカーナらマフィアと関係の深いシナトラを介してモンローと知り合った上に、ジアンカーナが2人の関係を知っており、このことをマフィアの取り締まりを強化しようとしていたケネディ政権に対する取引に使おうとしていたことを憂慮したFBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官が、ロバートに忠告したことでこの年に終焉を迎えた『マフィアとケネディ一族』266頁、ジョン・H・デイヴィス著、市雄貴訳、朝日新聞社、1994年。 |
| しかしながらモンローは、その関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティ(司会はローフォード)に、体の線が露わになったドレス姿で赴き、『ハッピーバースデートゥーユー』を歌い、「いつ引退しても悔いはない」とケネディに言わしめた(ハッピーバースデー・ミスタープレジデントも参照。 |
死と波紋
| 死の直後、マスコミでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。 |
| ただのドラッグ・オーバードースであるとの声もあるアンソニー・サマーズ『マリリン・モンローの真実(下)』、250・254頁、中田耕治訳、扶桑社〈扶桑社ミステリー〉、初版1988年7月。 |
| ISBN978-4594003166上、「『女房は生きていた』の主役を降ろされたことを悲観して」との根拠に欠ける仮説も唱えられたが、2000年代に入りFOXニュースが20世紀フォックスの倉庫から発見した資料によると、FOX首脳部との会談で、モンローとそりの合わなかった監督を降板させ、モンローを復帰させる契約が交わされていたことが分かった。 |
| 現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、また彼女が遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、電話局からは同時刻の通話記録はなく(「急性バルビツール中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったものの、ダイヤルする前にこと切れた」という説もある)、部屋からは彼女の日記(赤い手帳)が消えていた。 |
| UFOの情報を公表しようとしたため殺されたとの説もある『 |
| なお、ケネディ大統領と1950年代より不倫関係にあったことが、上記のように死後複数の証言から暴露された『ピーター・ローフォード―ケネディ兄弟とモンローの秘密を握っていた男』ジェイムズスパダ著、広瀬順弘訳読売新聞社刊1992年上、お互いを紹介したのが、ケネディの大統領選挙の際の支援者でマフィアの大ボスのサム・ジアンカーナと関係の深いシナトラであったことが、この謀殺説を後押ししている。 |
| また、ケネディ大統領の弟であり当時の司法長官だったロバートとも不倫関係にあったこともあきらかになっており、これらの不倫の事実が死後に公にならないように、モンローが常に会話の内容をメモしていた赤い手帳が表に出るのを避けたという話もある。 |
葬儀
| モンローを司法解剖した監察医は、トーマス野口こと野口恒富である。 |
[[ゴールデングローブ賞]]
| 1960年主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門):『お熱いのがお好き』。 |
エピソード
| 最初の夫ジム・ドハティが、ロッキード航空の製造会社で整備工をしていたとき、同僚に、後に俳優になったロバート・ミッチャムがいた『中田耕治コレクション1.マリリン・モンロー論考』、194頁、青弓社、1991年10月。 |
| グローマンズ・チャイニーズ・シアターの前庭に、「紳士は金髪がお好き」で共演したジェーン・ラッセルと共に、手型・靴型・サインを残したのは、1953年6月26日のことであった。 |
| 1973年8月5日に東京都世田谷区の大吉寺本堂で、住職で作家の寺内大吉(当時はキックボクシングの解説でも知られた)が、モンロー13回忌の法要が営まれた。 |
| 一方で、検死を行ったトーマス野口は、モンローが「出産した痕跡はない」と証言している『追憶マリリン・モンロー』、36頁、井上篤夫、集英社文庫、初版2001年8月。 |
| 2008年3月31日ロサンゼルス連邦地方裁判所は、マリリン・モンローの写真を使用したTシャツを製造販売した企業と、彼女の遺産管理団体の間で争われていた彼女の肖像権についての裁判で、マリリン・モンローはカリフォルニア州民ではなくニューヨーク州民であり、同州の法律によって1962年の死亡と同時に彼女の肖像権は消滅したと判決を下した。 |
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