7780
7913
98406
%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5
%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5
%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5
%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5
%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう ミシェル・ド・モンテーニュの画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- ミシェル・ド・モンテーニュとは
- 略歴
- エセー
- 邦訳
- 関連書籍
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(MichelEyquemdeMontaigne, 1533年2月28日-1592年9月13日)は、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。モラリスト、懐疑論者、人文主義者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた。
略歴
| ペリゴール地方の、ボルドーに近いモンテーニュ城でユダヤ系フランス人として生まれた。 |
| 実家は商業を営み富裕であった。 |
| 父は政治にも熱心でボルドーの市長を務めたことがある。 |
| 母方はセファルディムユダヤ人の家系であった。 |
| ミシェルは6歳になるまで、家庭教師のもと専らラテン語を用いて育てられた。 |
| ラテン語は当時の学問に必須の知識であったとはいえ、このような教育法は特異であった。 |
| トゥールーズで法学を学び、フランスの法官になった。 |
| 1557年、ボルドーの高等裁判所(パルルマン)に務めていたときに、人文主義者エティエンヌ・ド・ラ・ボエティーと親しくなった。 |
| エティエンヌは1563年に死去したため、モンテーニュは深い悲しみに沈んだ。 |
| 6人の娘が生まれたが、そのうち成人したのは1人である。 |
| 1568年、父の死によりモンテーニュ城を相続した。 |
| 1570年、37歳で法官を辞任して故郷に戻り、やがて『エセー(随想録)』の執筆を始めた。 |
| 法官辞任後、カトリックのシャルル9世、アンリ3世から侍従(非常勤職)に任ぜられる一方、1577年にはプロテスタントのナヴァール公アンリ(アンリ4世)の侍従にも任ぜられた(アンリは即位前の1584年、1587年にモンテーニュの城館を訪れたことがある)。 |
| フランス宗教戦争(1562-1598年)の時代にあって、モンテーニュ自身はローマ・カトリックの立場であったが、プロテスタントにも人脈を持ち、穏健派として両派の融和に努めた。 |
| 主著『エセー ''Essais''』(随想録)を1580年に刊行した(初版、2巻本)。 |
| なおエセーの語源の意味は<試み>である。 |
| 1580年から1581年にかけてモンテーニュはフランス、ドイツ、オーストリア、スイスを経てイタリアに旅し、さまざまなエピソードや都市ごとの宗教的な違いを詳細に記した(モンテーニュの死後に原稿が見つかり、1774年に『旅日記''Journaldevoyage''』という題名で出版された)。 |
| 1581年、イタリアに滞在中、ボルドーの市長に選出されたことを聞き、帰還して1585年まで(2期)務め、カトリックとプロテスタントの仲介に努めた。 |
| 任期の終わり頃から、ボルドーではペストが流行し、モンテーニュもペストを避けて他所に逃れた(1586-1587年)。 |
| モンテーニュは、アンリ4世即位後の1590年、顧問になるよう要請されたが、辞退した。 |
| 1592年に死去するまで『エセー』の加筆と改訂を生涯続けた。 |
エセー
| 『エセー(随想録)』''Essais''は、フランスのモラリスト文学の基礎を築いたとも評され、モンテーニュの主著である。 |
| 法官辞任後、1572年以降に執筆をはじめ、1580年にボルドーで刊行された(初版、2巻本)。 |
| その後、1588年に第3巻及び初版(2巻)への大幅な加筆を行い刊行した(1588年版という)。 |
| 晩年も死去の直前まで本の余白に書き込みを行っており、この書き込みも含めて定本とされている。 |
| 体系的な哲学書ではなく、自分自身の経験や古典の引用を元にした考察を語っている。 |
| 宗教戦争の狂乱の時代の中で、寛容の精神に立ち、正義を振りかざす者に懐疑の目を向けた。 |
| プラトン、アリストテレス、プルタルコス、セネカなど古典古代の文献からの引用が多く、聖書からの引用はほとんどない点が特徴的である。 |
| 17世紀のデカルトやパスカルにも多大な影響を与え、後には無神論の書として禁書とされた(1676年)。 |
| 文献学者のアウエルバッハは、『エセー』が初めて人間の生活、自分の生活を近代的な意味で問題にした本であるとしたエーリヒ・アウエルバッハ 『ミメーシス』(下) 篠田一士・川村二郎訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1994年、12章。 |
邦訳
| 『エセー』(全7巻、宮下志朗訳、白水社、2005年-順に刊行中)、2010年6月に、4巻目刊。 |
| 『モンテーニュ エセー抄』(宮下志朗編訳、みすず書房〈大人の本棚〉、2003年)もある。 |
| 『エセー 1.人間とはなにか2.思考と表現3.社会と世界』、(荒木昭太郎抄訳、中公クラシックス、2002-03年)。 |
| 『世界文学全集5 モンテーニュ』(講談社)、『世界の名著19 モンテーニュ』(中央公論社)を元にしている。 |
| 『エセー』(全6巻、原二郎訳、岩波文庫、ワイド版でも刊行)。 |
| 『世界古典文学全集37.38 モンテーニュ』、(筑摩書房)が元版。 |
| 『モンテーニュ全集』(関根秀雄訳、白水社全9巻)、1983年。 |
| 第1~7巻が「エセー」、8巻「旅日記」、9巻「書簡集」。 |
| 新版:斎藤広信共訳「モンテーニュ旅日記」、1992年。 |
関連書籍
| 荒木昭太郎『モンテーニュ 初代エッセイストの問いかけ』 中公新書、2000年。 |
| 荒木昭太郎『モンテーニュとの対話』 春秋社、2007年。 |
| 荒木昭太郎『モンテーニュ遠近』 大修館書店、1987年。 |
| 荒木昭太郎『モンテーニュ 人類の知的遺産29』講談社、1985年 。 |
| マイケル・スクリーチ 『モンテーニュとメランコリー エセーの英知』 荒木昭太郎訳、みすず書房、1996年、著者はタイモン・スクリーチの父。 |
| ロベール・オーロット 『モンテーニュとエセー』 荒木昭太郎訳、白水社:文庫クセジュ、1992年。 |
| 保苅瑞穂『モンテーニュ私記 よく生き、よく死ぬために』 筑摩書房、2003年。 |
| 堀田善衞『ミシェル城館の人』 集英社、1991-94年/同文庫、2004年。 |
| 「第一部・争乱の時代」、「第二部・自然理性運命」、「第三部・精神の祝祭」 。 |
| 大久保康明『モンテーニュ 〈人と思想〉』 新書:清水書院、2007年。 |
| ピーター・バーク『モンテーニュ』 小笠原弘親・宇羽野明子訳、晃洋書房、2001年。 |
| ジャン・スタロバンスキー『モンテーニュは動く』 早水洋太郎訳、みすず書房、1993年。 |
| イヴォンヌ・ベランジェ『モンテーニュ 精神のための祝祭』 高田勇訳、白水社、1993年。 |
|
1557年
|
ボルドーの高等裁判所(パルルマン)に務めて... |
|
1577年
|
プロテスタントのナヴァール公アンリ(アンリ... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
宮下志朗
日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、放送大学教授。 |
|
|
松岡正剛
日本の編集者、著述家、日本文化研究者。編集工学を提唱。京都府出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。現在、株式会社松岡正剛事務所代表取締... |
|
|
荒木昭太郎
荒木昭太郎(あらきしょうたろう、1930年-)はフランス文学者、日本におけるモンテーニュ研究の第一人者、クラシック音楽にも造詣が深くフレデリック・ショパ... |
|
|
吉田茂
吉田 茂様 プロフィール 株式会社 イビサ 取締役会長 吉田 茂(よしだ・しげる) 昭和 8年 1月 2日 岐阜県加茂郡八百津町須賀に生まれる 昭和26年 3月 1日 岐... |
|
|
千利休
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。茶聖とも称せられる。また、今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天... |
|
|
柴田方庵
ファッション雑誌・ブランド情報 柴田方庵とは 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 柴田 方庵 (しばた ほうあん、 寛政 12年( 1800年 )- 安政 3年 10月8日 ... |
|
|
カズオ・イシグロ
長崎県出身のイギリス人作家である。1989年に長編小説『日の名残り』でイギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞した。ロンドン在住。 |
|
|
西村栄一
日本の政治家。衆議院議員(連続11期)、民社党委員長(第2代)、同党書記長。正三位勲一等。西村眞悟元衆議院議員の実父、西村章三元衆議院議員の伯父。 |
|
|
関根秀雄
日本のフランス文学者。東京生まれ。東京帝国大学卒業。東京都立大学教授、青山学院大学教授を歴任。はじめフランス語学を研究、のちモンテーニュ研究家とし... |
|
|
木村治美
日本のエッセイスト、英文学者。共立女子大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者。 |
|
|
枕草子
平安時代中期に中宮定子に仕えた女房清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕... |
|
|
フランソワ・ラブレー
フランソワ・ラブレー(FrançoisRabelais,1483年?-1553年4月9日)はフランス・ルネサンスを代表する人物で、『ガルガンチュワ物語』(もしくは『ガルガンチュ... |
|
|
本居宣長
江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵、自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたこ... |
|
|
新井白石
江戸時代中期に活躍した旗本・政治家・学者である。学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に渡る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、... |
|
|
吉田兼好
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔卜部兼顕の子。本名は卜部兼好(うらべかねよし/うらべのかねよし)。卜部氏の嫡... |
|
|
鴨長明
平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家である。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。 |
|
|
天野信景
江戸時代中期の国学者である。尾張藩士。字は子顕。通称は権三郎、のち源蔵、治部、宮内と改めた。白華・問津亭と号し、剃髪後は信阿弥陀・残翁・運甓斎・輟... |
|
|
松平定信
江戸時代の大名、政治家。陸奥国白河藩第3代藩主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。定綱系久松松平家第9代当主。 |
|
|
ミシェル・ド・モンテーニュさんについてのひとこと紹介
|
|
|
|