| ファインマンが生まれる前、父親は母親に向かって「もし男の子が生まれたら必ず科学者になるぞ」と予言した。 |
| 父親は「身分」なんぞというものに決して頭を下げないという考え方があった。 |
| このため、法王だろうが皆と同じ人間であり「違うところは着ているものだけさ」とファインマンに言い聞かせていた。 |
| また、父親はセールスマンではあったが、人間は嘘をつくよりも正直でいた方が結局は成功するという信念があり、これらの考え方はファインマンが受け継ぐようになる。 |
| また父親は物理や科学の知識を持っていたわけではないのだが、子供の「なぜ?」という質問に対して説得力のある説明を与えることが得意だった。 |
| 後にファインマンは「"本当にわかった"と思うのは、物事に二通り以上の説明ができた時だ」と語り、自身優れて分かりやすい説明能力で人気を集めたが、こうした姿勢も父親から受け継いだものである。 |
| ひとたび物理のこととなると没頭してしまうので、相手が誰であるかなど忘れてしまい、どんな大物であろうとも意見が変だと思えば『いや、違う、違う。 |
| 君は間違っているぞ』とか『気でもふれたか(Youmustbecrazy.)』などと、とんでもないことをつい言ってしまう癖があった。 |
| しかしロス・アラモス研究所に在籍中、ハンス・ベーテや、当時物理界の大物として知られたニールス・ボーアは、彼らの名声におののいて本音を言おうとしない周囲と相対して本音しか言わないファインマンが気に入り、相談相手として起用していた。 |
| 悪名高いデーモン・コアを素手で触った本人の談によると、プルトニウムは崩壊熱による、曰く「放射能の暖かみがある」とのこと。 |
| 何につけても自分が正しいと思ったことは実証しなくては気が済まない性格だった。 |
| あるとき大学のフラタニティと、小便は重力によって体から自然に出てゆくのかどうかという議論でケンケンゴウゴウとなり、ファインマンが逆立ちして小便できるところを見せ、そうでないことを実証した。 |
| 擬似科学が世の中に広く蔓延っていることに心を痛めていた。 |
| 例えば心理学上の研究は、彼がカーゴ・カルト・サイエンスと呼ぶ擬似科学の例である言い切って嫌っていた。 |
| また、エセ科学ではないにしても、トンチンカンな結論しか出せない哲学も嫌っていた。 |
| ところが、自分の息子が大学で哲学を専攻してしまい、大きく落胆することになった。 |
| ユリ・ゲラーに招待されて彼の泊っているホテルに出かけていったとき、読心術と鍵を曲げる術の実演を見せてもらうことになった。 |
| ところが、ファインマンの心を読みとることはまったくの失敗に終わり、また、ファインマンの息子が持っていた鍵をゲラーがいくら指でこすっても少しも曲がらなかった。 |
| するとゲラーは、水の中でこすると曲がりやすいと言い出し、洗面所で水をザーザーとかけながらこすったが、やはり少しも曲がらなかった仕込みのないスプーンや鍵を曲げる術のトリックは、指で思いっきり力をかけて曲げるか、または、何か硬いものに引っ掛けて曲げるのを、皆に見えないようにすばやく行うことであるが、周囲をがっちりと取り囲まれていたり、引っ掛けるものがないときは「今日は集中できない」などと曲げられない言い訳をして終了する。 |
| 打楽器ボンゴの名手であった。 |
| サンフランシスコのバレエ団の公演でパーカッションを担当したり、彼が音楽を担当した創作ダンスがパリで行われたバレエの国際コンテストで2等を取ったりしている。 |
| ロスアラモス国立研究所所属中は、母親譲りのユーモアで様々なイタズラをしたと著書の中で語っている。 |
| まず研究所で行われた機密保持目的の検閲に対して不満を抱き、妻(アーリーン)や両親との手紙でのやり取りをパズルにして検閲官を困惑させ、からかった。 |
| 他にも無意味に時間をかける施設の入り口の検問に嫌気がさし、地元の労働者が出入りに使っていた金網の穴から短時間の間に何度も入っては同じ検問を内側から何度も出て警備の無意味さをからかったが、結局警備員に捕まってお説教をされているR.P.FeynmanandR.Leighton,"LosAlamosFromBelow,"ClassicFeynman,p.128-153,2006.。 |
| 兵役に就く際に行われた精神鑑定の結果、「精神異常」のため不採用になった。 |
| ノーベル賞受賞の知らせの電話が朝の3時半前後にかかってきたため、頭にきて賞を受けるかどうかも言わず、すぐに電話を切ってしまった。 |
| その直後から次から次へと電話がかかってきてうんざりし、ノーベル賞を受けなければこんな目に遭わずに済むのかと考えて受賞を断ろうと考えたが、断った方が余計ことが大きくなると『Time』誌の記者に諭されて、受け取ることにしたR.P.FeynmanandR.Leighton,"AlfredNobel'sOtherMistake,"ClassicFeynman,p.339,2006.。 |
| その頃たまたまカフェテリアで男が皿を投げ上げているのを見て、皿が回転するときは横に揺れている事に気づき、その運動を解明するために、皿を構成する質点の運動をすべて計算するなど純粋に好奇心から計算を行った。 |
| ゲルマンが命名したクォークのことをファインマンは「パートン」(部分子)と呼び、「ファインマン・ダイアグラム」のことをゲルマンは「ステュッケルベルク図」と呼んでいた。 |
| シカゴ大学で研究所の所長を務めていたエンリコ・フェルミが他界した後、その後任として就任の要請が来たが、カリフォルニア工科大学の環境の良さを気に入っていた為に待遇も聞かずに断った。 |
| カリフォルニア工科大学で教鞭を執っているときはほとんど毎日のように自宅近くのストリップバーに通っていて、ダンスを眺めたりダンサーの気を引いたりしていた。 |
| また、ラスベガスが好きだったが、その理由のひとつもダンサーに会えることだった。 |
| 別の機会に来日した時にも、とあるリゾートホテルから三重県の山側にある町(名松線伊勢奥津駅付近)の小さな宿屋にわざわざ変えてもらったりした。 |
| 海産物が大嫌いで、一度カキを試してみたが、あまりの不味さに耐えられなかったというR.P.FeynmanandR.Leighton,"FizzledFuses,"ClassicFeynman,p.124,2006.。 |
| NASAのチャレンジャー事故調査委員になるべきかどうか悩んでいたとき、夫人のグウェネスに「あなたが引き受けなかったら、12人の調査員はみんなでぞろぞろ連れ立って、色々な処を調べるが何も見つけられないけど、あなたが行けば、ひとりで飛びまわって、ひとの考えないようなことを調べ、きっと事故原因を見つける。 |
| 晩年、ソ連の一風変わった地名「キジル」(現・ロシア連邦トゥバ共和国)の地に行こうと、何年にもわたって交渉を重ねていた。 |
| 彼が幼少の頃に過ごしたファーロッカウェイのコーナガ・アベニューは、彼にちなみ2005年5月11日にニューヨーク市により『リチャード・ファインマン・ウェイ』と改名されている。 |