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プロフィール
- リック・フレアーとは
- 人物
- 初期
- NWA
- WWF
- WCW
- WWE
- WWE以降
- 日本との関わり
- やられ技
- 獲得タイトル
- その他
- 関連サイト
リック・フレアー(RicFlair、1949年2月25日-)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州 メンフィス出身。本名はリチャード・モーガン・フレイアー(RichardMorganFliehr)。ニックネームはネイチャー・ボーイ(NatureBoy)、略して「ネイチ」と愛称で呼ばれることもある。その試合巧者ぶりから「業界一卑劣な男(DirtiestPlayerintheGame)」の異名を取った。日本でのニックネームは「狂乱の貴公子」。息子の デビッド・フレアーとリード・フレアーもプロレスラー。
人物
| タイプ的には対極のハルク・ホーガンと双璧をなすアメリカン・プロレスの象徴。 |
| 幾度となくNWA、WCW、WWEの世界ヘビー級王座のベルトを巻き、16回の世界王者(16-timeWorldChampion)とも呼ばれる。 |
| 歴代のNWA王者がそうであったように、正攻法で攻めるよりもずるがしこい戦法を得意とした。 |
| これは元々NWA王者が巡業の行く先々で地元の英雄を相手にする必要があったところから生じたものであり、対戦相手を引き立てつつ、数々のムーブ(試合中の動作)で観客を沸かせる術に長け、「箒相手でもプロレスができる」と形容された。 |
| 跪いて相手に攻撃を躊躇させるムーブやフラフラ歩き前方に倒れるムーブは大きな見せ場となっている。 |
| そのスタイルは数々のレスラーに賞賛され、また武藤敬司は「自身のプロレスのベース」と語っている。 |
| なお、彼の金髪は、ラフファイトの際に流血が映えるよう、自ら染めたものである。 |
初期
| 1950年に発覚し全米を騒がせたテネシー児童福祉協会による養子縁組用の乳幼児売買事件の被害者の1人。 |
| 生後1か月ほどで当時デトロイトで産婦人科医を開業していた養父母の元に引き取られ、ミネソタ州ミネアポリスで少年時代を過ごす。 |
| 少年時代からプロレスファンで、特にクラッシャー・リソワスキーが好きだったと語っている。 |
| 学生時代はレスリングおよびアメリカンフットボールの選手であった。 |
| ミネソタ大学を退学後、保険外交員の職に就いていたが、バーン・ガニアのレスリング・キャンプに参加しプロレスラーとなるための訓練を受ける。 |
| このキャンプの同期にはケン・パテラ、コシロ・バジリ、グレッグ・ガニア、ジム・ブランゼルらがいる。 |
| 1972年12月10日、師匠・ガニアが主宰し、ミネアポリスに拠点を置くAWAにてデビュー戦を行った。 |
NWA
| 1974年、ジム・クロケット・ジュニアが運営するNWAミッドアトランティック地区(本拠地はノースカロライナ州シャーロット)に活動の場を移す。 |
| 金髪ヒールの先達であるベテランのリップ・ホークのパートナーに起用され、同年7月4日にミッドアトランティック・タッグ王座を獲得、プロ入りして初のタイトル戴冠を果たした。 |
| 1975年2月8日にはポール・ジョーンズからミッドアトランティックTV王座を奪取し、シングルタイトルを初めて獲得している。 |
| 同年下期からは、AWA時代の先輩でもあるワフー・マクダニエルを相手にミッドアトランティック・ヘビー級王座を争った。 |
| 1975年10月4日、セスナ機の事故に遭い背骨を骨折、医師から引退勧告を受けるも奇跡的にレスラーとして復帰した(この事故ではパイロットは死亡、同乗していたジョニー・バレンタインなどは半身不随となり引退している)。 |
| 復帰後の1976年12月26日にはグレッグ・バレンタインと組んでミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を奪取。 |
| 以降もミッドアトランティックを主戦場に、USヘビー級王座をはじめ同地区認定のタイトルを立て続けに獲得。 |
| 「ネイチャー・ボーイ」の異名が定着したのも、生涯のライバルにして親友でもあるロディ・パイパーやリッキー・スティムボートらとの邂逅もこの時期である。 |
| 1981年9月17日、ダスティ・ローデスを破りNWA世界ヘビー級王座に初戴冠。 |
| 後に同王座を8回(7〜10回と諸説有)獲得して一時代を築く。 |
| 1986年には、オレイ・アンダーソン、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャード、およびマネージャーのJ・J・ディロンと共に、今や伝説と化したチーム、フォー・ホースメンを結成した。 |
| NWAからWCWへの移行期となる1980年代末から1990年代初頭にかけては、若手として台頭してきたスティング、グレート・ムタ、レックス・ルガーらとの戦いを繰り広げ、初期WCWの目玉カードとなった。 |
WWF
| 1991年9月に、ジム・ハード副社長との確執から、それまで所属していたNWAの流れを汲むWCWを離脱、WWFへ電撃移籍した。 |
| WCW首脳部にとってはフレアーは「すでに全盛期の過ぎた時代遅れの選手」でしかなく、ハードからは思い付きで「古代の剣闘士」スパルタカスなるキャラにギミック変更を要求されるなどの扱いを受けていた。 |
| なお離脱前の一時期にトレードマークだったロングヘアーが短くカットされたのは、このキャラチェンジ命令を完全には拒否することができずに妥協したためである。 |
| トップ・ヒールとして迎えられたWWFではボビー・ヒーナン、カート・ヘニングと組むこととなり、かつての宿敵で親友でもあったパイパーとの抗争、その後はハルク・ホーガンとの頂上対決が組まれた。 |
| 引退を考えていたホーガンとの抗争は今一つ盛り上がらなかったが、1992年1月にロイヤルランブルで優勝、およびこの試合に懸けられていたWWF世界王座を獲得した。 |
| レッスルマニア8ではランディ・サベージを相手に王座防衛戦を戦い、敗れたもののサベージの愛妻エリザベスの唇を奪った。 |
| 同年のサマースラムでタイトル奪回にも成功するが、アルティメット・ウォリアーとの試合で三半規管を損傷。 |
| 欠場の必要に迫られ、ブレット・ハートに王座を明け渡した。 |
WCW
| 1993年2月にWWFを離脱、WCWへ復帰しフォー・ホースメンを再結成した。 |
| また、インタビューコーナー・AFlairfortheGoldのホストも担当している。 |
| 1998年に、エリック・ビショフとの対立からWCW離脱寸前までいくも、アーン・アンダーソンの働きにより残留。 |
| その後WCWには消滅まで所属していたが、ビショフら首脳陣やホーガン、ナッシュを筆頭とする主流派グループとの確執は激しく、脇役扱いも多くかつての輝きを取り戻すことはなかった。 |
| 脚本家のビンス・ルッソーがWWFから移籍してからはその傾向がさらに顕著になり、精神的・肉体的な理由から一時期はセミリタイヤ状態であった。 |
| 2001年3月26日のマンデー・ナイトロ最終回ではメインイベントでスティングと戦っているが、この時もコンディションは非常に悪く、体型を隠すためにTシャツを着たまま試合を行った。 |
WWE
| WCW消滅後、2001年末よりWWEに所属する。 |
| 50%の株式を保有するビンス・マクマホンとのWWE共同経営者というギミックを与えられ、ベビーフェイスとして活躍した。 |
| 2002年のレッスルマニア18ではジ・アンダーテイカーと対戦、同年WWEがブランド分けを行った際にはRAWのオーナーとなってアンダーテイカーをドラフト1位指名し抗争を継続した。 |
| 2003年には、トリプルH、バティスタ、ランディ・オートンと共にヒールのユニット、エボリューションを結成した。 |
| その後、ランディ・オートン、バティスタらが単独でファンを沸かすことができるキャラクターに成長して次々と抜けていき(アングル上はエボリューションと抗争するための脱退)、トリプルHも休養に入ったためにエボリューションはフェードアウト。 |
| 2005年8月に、ショーン・マイケルズと組んでフェイスターン。 |
| カリート、クリス・マスターズと抗争後10月のWWE・ホームカミングからは旧友のトリプルHとの抗争に入った。 |
| トリプルHとの抗争はサバイバー・シリーズまで続いた。 |
| サバイバー・シリーズ後はプライベートで起こした交通トラブルネタをエッジがあげつらったことをきっかけに抗争開始した。 |
| 2006年11月5日のサイバー・サンデーでは、抗争中だったスピリット・スクワッド(ケニー&マイキー)の持つ世界タッグ王座に、ファン投票で選ばれたパートナーのロディ・パイパーと組んで挑戦。 |
| 足4の字固めでギブアップを奪い王座奪取を果たした。 |
| 2007年6月11日、RAWで行われたドラフトにより、RAWからスマックダウンに移籍。 |
| 約2年ぶりにバティスタと同じブランドでの再会を果たす(リックの移籍を決めた試合を行ったのもバティスタである)。 |
| 移籍後、3か月の欠場を経て11月26日にRAWで復帰し、「私は引退しない」と宣言した |
| この時、ビンス・マクマホンから「もし1試合でも負けたら強制的に引退とする」と通告されたため、以後の試合はハウスショーの2008年2月11日有明コロシアム大会・12日日本武道館大会を含めてすべて「負けたら引退」マッチとなった(レッスルマニア前最後のRAWでの対戦相手はビンスだった)。 |
| 2008年のWWE殿堂入り第1号として、トリプルHに紹介された。 |
| 3月30日、米フロリダ州オーランドにて開催されたレッスルマニア24にてショーン・マイケルズに敗れ、引退決定。 |
| 引退後はWWEのエージェントとしてイベントや授賞式などに登場していたが、8月3日をもってWWEを退団。 |
| その後はWWE、ROH、インディー団体などにゲストで登場試合はしない。 |
| 2009年に入り、クリス・ジェリコによる映画『レスラー』の主演ミッキー・ロークへのアングル上での批判に端を発したジェリコ対レジェンド(フレアー、スティムボート、ジミー・スヌーカ、ロディ・パイパー)の抗争ストーリーが組まれ、レッスルマニア25ではレジェンド軍のセコンドについた。 |
| また、大会前日のWWE殿堂式典では、殿堂入りを果たしたスティムボートのプレゼンターを務めた。 |
| ジャッジメント・デイ以降はランディ・オートンとバティスタの抗争に関わる。 |
| これはオートンがエボリューション時代からの遺恨だとしてトリプルHやマクマホン家との抗争を経たもので、フレアーはオートンに再三自身と(引退したため正式な試合ではないが)闘うよう要求した。 |
| 結局オートンはエクストリーム・ルールズ直前のRAWでのパーキング・ロット戦に同意、待ち伏せしたフレアーはオートンを叩きのめし未だ衰えない存在感を見せ付けるが、オートン率いるレガシーの介入により形勢逆転し、最後にはRKOを喰らった。 |
WWE以降
| right|thumb|2010年、TNAに登場。 |
| 再度WWEを離れた後はROHやインディー団体へのゲスト出場を経て、2009年11月にはハルク・ホーガンがオーストラリアでプロデュースした"HulkamaniaTour"に参加、約1年8カ月ぶりにリングに復帰し、メルボルン、パース、ブリスベン、シドニーにてホーガンとの連戦が行われた。 |
| 2010年1月よりTNAに登場し、A・J・スタイルズの指南役となって活動。 |
| 4月18日のロックダウンではスティングやデズモンド・ウルフらをメンバーにチーム・フレアーを組織し、ホーガン率いるチーム・ホーガン(アビス、ジェフ・ジャレット、ロブ・ヴァン・ダム、ジェフ・ハーディー)との対戦を指揮した。 |
やられ技
| コーナーに登りダイビング攻撃を狙ったところを対戦相手に察知されて派手に投げつけられ、リングの中央付近まで跳躍しサマーソルト・ドロップのような体勢で着地するという定番ムーブ。 |
| 2005年にフェイスターンした頃、コーナーダイビングはやられ技では無く確実に成功する技となったことがある。 |
| レッスルマニア24での引退試合では、投げられずにダイビング・クロス・ボディを決めた。 |
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1949年
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リック・フレアー(Ric Flair)は、アメリカ... |
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1950年
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発覚し全米を騒がせたテネシー児童福祉協会に... |
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