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プロフィール
- レッド・ツェッペリンとは
- 概要
- メンバーと主な担当楽器
- 結成までの経過
- バンド名の由来
- デビュー後の快進撃
- 音楽的独自性
- 活動の歴史
- 解散
- 解散後、再結成
- 政治性に関して
- 時代を超えた音楽性
- 再評価
- 関連項目
- 関連サイト
レッド・ツェッペリン(LedZeppelin,1968年-1980年)はイギリスのロックバンド。人気・実力共に1970年代を代表する世界的なロックバンドである。略称は、ZepもしくはLedZep。シングル、アルバムの認定セールスは3億枚を超える。これは クイーンや マドンナに匹敵する数値である。
概要
| 1968年にデビュー以来、今も全世界的な人気を誇るロックバンドである。 |
| {{要出典範囲|1971年の初来日公演は日本の音楽史上に残る伝説となった。 |
| 1960年代中頃、イギリスの若いミュージシャンの間では、ブルーズがブームとなっていたが、それをさらにドラマティックにした彼らは後の世代にハード・ロックと言われる音楽を世界中に知らしめた。 |
| また彼らの楽曲にはアコースティックナンバーも多く、ブリティッシュ・トラッド、フォークから中近東音楽に渡る幅広い音楽性を持ち、1960年代のザ・ビートルズとはまた違った方法論でロックの限界を押し広げた。 |
| 『レッド・ツェッペリンI』でデビューした彼らは音楽シーンに衝撃を与えると同時に広い人気を得たが、オフステージでの乱痴気騒ぎは。 |
| また新人としては破格の、アルバム5枚で20万ドル |
| またテレビでの演奏を拒否し、プレスに対し辛辣な態度を取るツェッペリンに。 |
| この様に、常にマスメディアと距離を置き、最初期を除きテレビでは殆ど演奏しなかったが、小さなクラブや大学のステージでの歌と演奏の凄まじさが口コミで伝わり、人気を獲得していった結果、アルバムセールスや観客動員数でも記録破りであった。 |
| 現代においても、アルバムはアメリカだけでも毎年100万枚、通算で1億枚を超え、エルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズに匹敵する実績を持っている。 |
| なお、全世界でのアルバムセールスの累計は、現在のところ3億枚を突破している |
| デビュー当時、アルバムは若者にとってまだまだ高価であったため、先ずはシングルを出し、それをラジオやテレビで流した上でレコードを買ってもらうのが普通であったが、彼らが本国イギリスで発売したシングルは、「胸いっぱいの愛を」と「トランプルド・アンダー・フット」の2枚のみである(しかも、「胸いっぱいの愛を」においてはイギリスではシングル発売直後、さしたる理由も発表されないまま回収されている)。 |
| また、海賊盤CDやブートレグ・ビデオなど、。 |
| 1995年にロックの殿堂入りを果たし、2004年には日本ゴールドディスク大賞を受賞 |
| 2005年にはグラミー賞(功労賞)を受賞。 |
| 2006年にはUKミュージックの殿堂「UKMusicHallOfFame」入りを果たしている。 |
メンバーと主な担当楽器
| ジミー・ペイジJimmyPage(ギター、テルミン、ダルシマー)。 |
| 楽曲、ビジュアル面も含めたプロデュース能力に秀で、ツェッペリン全アルバムのプロデューサーでもある。 |
| キャリアの中期以降テクニカルな演奏能力の面では酷評されることも多いが、アコースティックギターの上手さ、曲の印象を決定づけるリフの作成能力、曲想と調和したメロディアスなソロ演奏能力の面では高く評価される。 |
| 1980年代はポール・ロジャースと共にザ・ファームを結成。 |
| その後、カヴァデール・ペイジ、ジミー・ペイジ&ブラック・クロウズなど様々なプロジェクトに参加するが、現在ではギタリストとしての活躍は少なく、過去の未発表音源のリリースやアルバムのリマスタリング作業にあたるなど、ツェッペリンの業績を良好な形で現代に伝える、ツェッペリンの守り手としての活動が主である。 |
| ロバート・プラントRobertPlant(ボーカル、ハーモニカ)。 |
| 広い音域を自在に操る歌唱力、魅力的な声、凄まじい声量、美しいルックスで世界中のロックファンを震撼させたが、喉を痛めた1973年以降は初期のアクロバテックなヴォーカルスタイルを変化させ、独特の味のある歌唱法を完成させた。 |
| 元ツェッペリン中で唯一現在でもパーマネントなバンドを組んで精力的に活動している。 |
| 解散後はツェッペリンでも見せていたケルト音楽や民族音楽を大きく取り入れたサウンドを志向する事が多い。 |
| ジョン・ポール・ジョーンズJohnPaulJones(ベース、キーボード、シンセサイザー、ピアノ、バンジョー、マンドリン)。 |
| ベースに限らず、幅広い楽器を嗜み、卓越した技術力と安定した演奏力でツェッペリンの演奏を支えた。 |
| 近年ではアレンジャーや若手バンドのプロデュースの仕事に加え、ライブを行ったり、自身のソロアルバムをリリースしたりとマイペースに活動していたが、フー・ファイターズのデイヴ・グロール、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのジョシュ・オムらと共にゼム・クルックド・ヴァルチャーズを結成した。 |
| ジョン・ボーナムJohnBonham(ドラム)。 |
| 独自のグルーヴ感、リズム感、早急感、ノリ、タイム感を持ち、強いプレイと多彩なフィルインによってロックにおける一つのドラムの在り方を構築し、彼以降のハードロックやヘヴィメタルバンドのドラマーには無論のこと、ポピュラーやソウル、ファンク、ジャズのドラマーにも影響を及ぼし続けている。 |
| そのヘヴィなドラムスでツェッペリンの音楽における核としての役割を果たした。 |
| 現在でも多くのドラマーに影響を与え続けている偉大なアーティスト。 |
結成までの経過
| スタジオ・セッション・ギタリストを経てエリック・クラプトン、ジェフ・ベックに続く、ヤードバーズ最後のリードギタリストとなったジミー・ペイジが、同バンドの録音を経験するうち、レコード制作に要求される配慮やボーカリストの重要性に目覚め、偶然性も加わってオーソリティーともいえる各パートのメンバーをそろえて結成されたものとされる。 |
| ヤードバーズは1968年7月7日のコンサートを最後に、キース・レルフ(vo)とジム・マッカーティ(ds)が脱退。 |
| クリス・ドレヤ(b)とペイジは同じミッキー・モスト・プロダクションにいたテリー・リード(vo.g)とプロコル・ハルムのB.J.ウイルソン(ds)をメンバーに誘うが、リードには自らのバンドのアメリカツアーが決まっていたため断られ、ウイルソンにはプロコル・ハルムが成功しているとして断られた。 |
| ところがすぐにリードから「シンガーを見つけた」とペイジに電話があった。 |
| リードはバクストンで共演したバンド・オブ・ジョイで歌っていたロバート・プラントを推薦。 |
| ペイジはステージをチェックしプラントを引き抜いた。 |
| そしてプラントがバンド・オブ・ジョイにいたことのあるドラマー、ジョン・ボーナムを推薦。 |
| プラントの紹介で1968年7月に北ロンドンのハムステッドにおけるアメリカのシンガーソングライター、ティム・ローズのUKツアーに参加しており、そのステージでドラムを叩くボーナムに会ったペイジは、彼をバンドに加えることを即座に決め、アメリカに滞在中であったピーター・グラントに国際電話をかけて報告した。 |
| だが、ボーナムの加入はすんなりとはいかず、プラント曰く、当時何かの理由(一説には、当時テイスト結成前のロリー・ギャラガーとバンドを組みたがっていたとされる)でバンドへの加入を頑強に拒んでいたボーナムを、プラントとグラントの両名で合計40回近くにもなる電報での説得を行い、強引にツェッペリンに加入させたといわれる。 |
| 最終的に「お前はこのバンドに入るんだよ!」とプラントが叱り付けてロンドンのスタジオまで引っ張っていき、より高いギャラが保証されるならとヤードバーズ入りを承諾。 |
| しかし、ドレヤがメンバー探しの途中にカメラマンに転向するとして脱退。 |
| そこで以前からペイジとスタジオ・セッションで顔を合わす機会の多かった、ベーシスト兼キーボーディストのジョン・ポール・ジョーンズを誘う。 |
| ジョーンズは、黒人音楽に精通するアレンジャーとしての地位を既に確立していて、ペイジ同様、若いながらも、売れっ子のセッションミュージシャンとして活躍していた。 |
| ヤードバーズとしての契約が残っていたスカンジナビア・ツアーをNewYardbirdsと名乗り行う。 |
| この時既にレッド・ツェッペリンのデビューアルバムの曲が演奏されている。 |
| (因みにそれにもかかわらずレコード会社がツェッペリンとヤードバーズで違うのは、ペイジが当時ヤードバーズの所属していたレコード会社の商業主義に嫌気が差していたからである)帰国後すぐにアルバムを録音。 |
| 1968年10月15日、サリー大学でのイギリス初のコンサートではNewYardbirdsfeaturingLedZeppelinと名乗っている。 |
| ヤードバーズはアメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートをしたほどのビッグ・ネームであったが、古いポップグループのイメージが残る名前と決別したかったため改名したといわれている。 |
| ヤードバーズの音楽性を継承しつつも、ブルースベースのハードロックをより推し進めた彼らの1stアルバムにおける音楽性について、同じミッキー・モスト・プロダクションにいた(第一期)ジェフ・ベック・グループがヒントであったといわれることがある(ジェフ・ベックはツェッペリンのステージを見て「あれは俺のパクリだ」と言ったらしい)。 |
| しかし、ツェッペリン結成時の状況に鑑みるに、音楽性が似通っていることは偶然であった可能性も否定できない。 |
バンド名の由来
| 1966年5月16日、ジェフ・ベックのソロ・シングルの録音のためベックとジミー・ペイジ(ギター)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、キース・ムーン(ドラムス、ザ・フー)の5人によるセッションが行われる。 |
| このセッションは非常に充実したもので、5人中4人はパーマネントなバンドとしての活動を希望したが、ジョーンズが乗り気でなかったことと、いいシンガーが見つからなかったことを理由にその計画は頓挫する。 |
| その時にムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の風船みたいに急降下だろうぜ、いや、鉛の飛行船(leadzeppelin)かな?」と発言したことによる。 |
デビュー後の快進撃
| 250px|right|thumb|1970年3月7日のモントルー公演より。 |
| 1968年10月に録音したアルバムのテープはペイジとマネージャーのピーター・グラントとの共同出資によるものであった。 |
| そのテープを持って渡米したグラントは当時としては破格の20万ドル(当時の日本円にして約7200万円)でアトランティック・レコードと契約。 |
| グラントがマネージメントしていたジェフ・ベックがヴァニラ・ファッジとのアメリカツアーに参加できなくなった代わりにレッド・ツェッペリンを送り込み、12月26日から参加させる。 |
| このツアーでツェッペリンは爆発的な評判を呼び、1969年1月12日にアメリカで発売予定のデビューアルバムに5万枚の予約が入り全米10位、イギリスでは3月28日に発売され、全英6位となっている。 |
| 1969年10月に発売されたセカンドアルバムはビートルズのアビーロードを蹴落とし英米共に7週連続1位、1970年10月発売のサードアルバムも英米共に1位となった。 |
| 1970年のメロディー・メーカー紙の人気投票でもビートルズを破りベストグループ1位となった。 |
音楽的独自性
| 各メンバーの担当パートにおける、実力に裏打ちされたオーソリティーとしての感性や音楽性、特にドラムスの独特のタイム感覚(グルーブ感)、そして、当初ペイジが中心になり、後にプラント、ジョーンズそしてボンゾも参加しだした楽曲の完成度は、「ブリテッシュハードロックの聖域」といわれるほど独自なものであった。 |
| また、インプロヴィゼーション(即興演奏)を得意としたバンドであり、ライブにおける「胸いっぱいの愛を」や「幻惑されて」、「ノー・クォーター」などは30分以上に及ぶこともあった。 |
| ただ、プラントが喉を痛め、かつてのような神がかり的な音域や声量を失ってしまった後の1973年以降のライブでは、ペイジのプレイも年を追うごとに雑になってしまう。 |
| 一般に単なるハードロックバンドの一種であると誤解されやすいが、典型的なハードロックにとどまらない楽曲が非常に多く、またアコースティックギター中心のナンバーにも力を入れ、トラッド風、メローなバラード調をはじめ、中東風民族音楽的要素、踊れないファンク調、同時代性としてのサイケデリックさ等々、特に5枚目のアルバム以降は様々な音楽を意図的に取り入れ、自分達流に作曲・演奏し、1980年に解散するまで貪欲にその音楽的独自性を高めていた。 |
| またツェッペリンは結成当初トラッド・フォーク・ロックバンドとして活動する構想もあったといわれている。 |
| これはペイジのフォーク趣味とプラントのケルト志向、民族音楽志向もあってのことであったが、結果的にボーナムという最高のドラマーを得たことにより、バンドは轟音のロックを基本的に志向することになる。 |
| しかしこのペイジとプラントのフォーク・トラッド志向は「天国への階段」をはじめ、ツェッペリンの様々な曲に大きく影響している。 |
| 彼らの多様な音楽性を物語るエピソードとして、6枚目のアルバム「フィジカル・グラフィティ」に収録された「トランプルド・アンダー・フット」は当時ニューヨークのアンダーグラウンドで黒人の間で盛り上がっていたディスコで頻繁にプレイされ、現在に至るもディスコ音楽においてDJ達からクラシックとして敬意を払われ、プレイされ続けている事があげられる。 |
活動の歴史
| 250px|right|thumbnail|1977年の北米ツアーでのロバート・プラントとジミー・ペイジ。 |
| 1975年ギリシャのロードス島でプラントが自動車の運転中事故に遭い両脚を折る重体となりワールドツアー後半で中止。 |
| 1979年イギリス、ネブワースでの復活コンサートの2回を含む4回のライブのみ。 |
| 1980年この年のヨーロッパ・ツアーの後、アメリカツアーが予定されていたが、ジョン・ボーナムの死によってキャンセルとなり、活動を終了。 |
解散
| 後継者として何名かのドラマーが名乗りを上げ、バンドでも人選について議論されたが、ボーナムのドラミングに見られるグルーブ感やノリには余人の模倣を許さないほどの特徴があり、彼のバンドサウンドへの貢献度は非常に高かったため、「彼なしでのバンド継続は無理」と判断されたもの。 |
政治性に関して
| これは1980年代以降の商業ベースが定着したシーンにおいてさして特筆すべきことでもないが、元来ロックミュージックはエルヴィス・プレスリーが白人音楽に黒人の「ブルース」テイストを融合させセクシャルに歌いあげた事件以降、タブーへの挑戦や反逆性を秘めたジャンルであった。 |
| とくにツェッペリンが結成された1960年代後半はラブ・アンド・ピース、ウッドストックなどに代表される反戦メッセージや、ヒッピー文化を背景にした理想の追求が音楽面にとどまらず世代的ムーブメントにまで昇華したのであるが、後述のように今日彼らの活動や高い音楽性がそれら政治思想の影響として評価される例はほとんど稀である。 |
| 一方で、1971年9月の来日時に広島でチャリティーコンサートを開き、当時の金額にして約700万円の売上金を広島市役所を通して原爆被災者に寄付している |
時代を超えた音楽性
| 彼らの長髪や乱痴気騒ぎは「反社会的」ではあったが、1960年代から1970年代前半に流行していたプロテストソングのような反体制的な歌を特にやっていたわけではない。 |
| また、1976年から1977年、肥大しすぎたロックは当時の若いリスナーの反感を買っており、旧来のロックへのアンチ・テーゼとして生まれたパンク・ロックやニュー・ウェイヴが一大ムーブメントを形成していた。 |
| イギリスではストラングラーズ、ザ・クラッシュ、セックス・ピストルズなど、政治やストリートの「リアル」を反映した「パンク・ロック」が人気を集め、アメリカではディスコ・ブームが起こり、イギリス出身のローリング・ストーンズやロッド・スチュワートまでもがディスコ・ソングを歌った。 |
| 1990年代にはパンク〜ニューウェーブを通過したオルタナティブ・ロックが世界を席巻したが、その中でもニルヴァーナやパール・ジャムに代表されるグランジロッカーたちは、モトリー・クルーやボン・ジョヴィといったヘヴィメタルバンドを軽蔑・酷評しながらも、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスといったブルース性を残したハードロックを崇拝し、その影響を口にしている。 |
| 2000年代にはガレージ・ロック・リバイバルの代表格バンド、ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトが再結成ライブに際し「ツェッペリンを嫌う奴は信用していない」などと発言(ペイジもジャック・ホワイトに関しては「最近のギタリストではNo1」などと最大級の賛辞を送っている)。 |
再評価
| 1980年代中期前後以降、ロックではなくR&Bやヒップホップなどのシーンにおいて、レッド・ツェッペリン独自のビートやリズム、グルーヴ感が再評価され、「レヴィー・ブレイク」などがビースティ・ボーイズなどによりサンプリングされるようになり(現在では「レヴィー・ブレイク」のドラムスは、サンプリングにおけるスタンダードの一つになっている)、ツェッペリンの音楽性は、再び日の目を見ることとなった。 |
| U2やブルース・スプリングスティーンに比べて余りにも「反骨精神」がなく、ニルヴァーナに比べて「リアル」でもないとされてしまったのである(カート・コバーンがその影響を口にするなど、メディア外では当時も彼らの影響を受けたと公言するアーティストは数多かったが)。 |
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