| 本来のスタイルは淳がボケ、亮がツッコミだが、最近ではボケとツッコミがはっきりしないコンビになっている。 |
| 理由として、もはや淳がボケ担当ではなくなり、そのことからボケの要素が本来ツッコミ担当である亮の天然ボケぐらいしか存在しなくなっていることが挙げられる。 |
| 典型的な例として、自身の冠番組でほぼ100%、本来ボケ担当の淳が司会進行をし、本来ツッコミの亮がパネラーとして出演をする極めて異例なコンビであることが挙げられる。 |
| 後述のウッチャンナンチャンをはじめとする、ボケ・ツッコミがはっきりしないコンビに関しては近年珍しくなくなってきている。 |
| また、そのようなコンビがそろって司会進行をするパターンも然りである。 |
| しかし「ロンドンブーツ1号2号スタイル」は、他にはバナナマン(設楽統は二人と同期)ぐらいしか当てはまらない。 |
| 他の例として、2007年放送の史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチにて調整のため(シャッフル後はコンビの形が必須なのに対し、ピン芸人や3人以上のグループも参加するため)淳がツッコミ、亮がボケにまわった事が挙げられる。 |
| 東京のインディーズお笑い集団(集団田中)に2人とも所属していたことから出会い、1993年にコンビ結成。 |
| 渋谷で路上ライブを行い、多数の観客を集めるようになる。 |
| 当時のネタのひとつに「精子爆裂隊」がある。 |
| 1994年4月、銀座7丁目劇場のオーディションに合格して吉本興業に入る。 |
| 同期にDonDokoDon・ペナルティなどがいる。 |
| 大阪NSCでは12期が同期にあたる。 |
| タモリのSuperボキャブラ天国には「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」のコーナーに出演。 |
| 芸人がネタの評価を競うスタイルが後に人気となるが、その初期の出演者の1組だった。 |
| ネタには(オチのフレーズが)長文のものが多く、高評価を得ることもあった。 |
| 番組内で独自に付けられる芸人別のキャッチフレーズは「くいだおれパンクス」。 |
| CX深夜の帯番組、ウッチャンナンチャン司会の「UNFACTORYカボスケ」でたくさん出演していた若手の中から際立った目立ち方でウンナンから引き立てられて売れ始めた。 |
| 以後、異例のスピードで大ブレイク。 |
| デビュー2年にしてオールナイトニッポン2部パーソナリティとなる。 |
| 以後多くの番組で「仕切り」のポジションに立ち、若くして冠番組を多数持つようになる。 |
| 奇しくも、吉本興業に入った頃のインタビューで淳は将来の夢として「オールナイトニッポンのパーソナリティをやりたい」と語っている。 |
| 「1号2号」というのはコンビ名としての表現であり、「どちらが1号でどちらが2号ですか?」と聞かれる事を狙ったもので、実際に「1号」「2号」の区別がある訳ではない。 |
| ただし、結成当初は年上の亮が1号、年下の淳が2号を名乗っていた。 |
| 弁が立ちリーダシップを取る事の多いテクニシャン型の淳が1号、自らも実践する格闘マニアであるパワーファイター型の亮が2号だと思われがちだが間違いである。 |
| ブレイク直後は素人をいじる企画などを得意としていたが、近年は芸能人をいじる企画にシフトしている。 |
| また、深夜帯の冠番組が好調なのに対して、ゴールデンに出ると、2クールで終了していき、「深夜でしかウケない」と評されていた。 |
| 亮は大阪出身であるが東京吉本デビューの為か、標準語と関西弁が半々であり、ツッコミの「それ、あかんだろ」等の東西チャンポンのツッコミは同業者がたまに真似る。 |
| デビュー直後、まだキャラクターを模索中の頃は淳も関西弁を使っていた時期があった。 |
| 2000〜2002年、歌手としてエイベックスから3枚のシングルを発売した。 |
| また吉本芸人のユニット「Re:Japan」に参加し、2001年のNHK紅白歌合戦に出場を果たした。 |
| 以前、淳は3ヵ月家賃を払っていなかった為、亮宅に同居していた(押入れの中に入れてもらったといわれる)。 |
| 木曜深夜に3局でメイン番組を持ったことがある。 |
| (『ぷらちなロンドンブーツ』(テレビ朝日系/1997年10月〜2002年9月)→『ロンロバ!全力投球・金メダル』(TBS系/2003年10月〜2004年9月)→『嗚呼!花の料理人』(日本テレビ系/2006年4月〜2008年9月))。 |
| 初期の頃はロックバンド『KATZE』と同じ事務所に所属していた。 |