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三遊亭圓楽
東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)出身の円楽一門会総帥・最高顧問。落語家。 |
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プロフィール
- 三遊亭圓生とは
- 得意演目
- 経歴
- 俳優業
- CM
- 口演集
- DVD
- 出自について
- メディアへの露出・利用について
- 落語観について
- 人間関係について
- 芸に対する姿勢について
- 受賞
- 弟子
三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう、1900年9月3日-1979年9月3日)は、大阪市西区出身の落語家、舞台俳優。本名:山﨑松尾(「﨑」は右上が「大」ではなく「立」)。 出囃子は「正札付」5代目 三遊亭圓生は継父(母が5代目圓生と結婚した)、5代目 三遊亭圓窓は義理の叔父にあたる。また、橘家圓晃(本名: 柴田啓三郎)は異父弟。
得意演目
| 100以上もの演目をすべてLP化するという驚異的な企画『圓生百席』(ソニーレコード、プロデューサー京須偕充、ジャケット撮影篠山紀信)で知られる。 |
| 落語家としてデビューしたのは子供のときであり、記憶力の良いその年頃に、他の落語家の高座を盗み聞きするだけで(稽古をつけられなくても)覚えていった噺も多いという。 |
| 演目数は落語史上最も多かったのではないかと言われる。 |
| 大阪市西区生まれ。 |
| 落語家としての略歴は下段に記載。 |
| NHK連続ドラマ『おはなはん』、『天下御免』等に出演した。 |
| 志ん生1973年、落語家として2人目の御前公演を依頼され、香淳皇后の古希の祝いの御前で『お神酒徳利(おみきどっくり)』を上演。 |
| 1978年に落語協会の真打大量昇進に抗議して同協会を脱退(落語協会分裂騒動)。 |
| 多くの脱退者が落語協会に戻る中、一門で落語三遊協会を結成。 |
| 1979年9月3日、79歳の誕生日、千葉県「習志野文化ホール」で開催された。 |
| 後援会の集いで小噺『桜鯛』を演じた直後、心筋梗塞を発症急逝した。 |
| 後日、津田沼の習志野文化ホール入口近くに圓生を偲ぶ石碑が建立された(現存)。 |
| 演目の多さで知られる。 |
| 得意とした演目に『一人酒盛』、『文七元結(ぶんしちもっとい)』、『淀五郎』、『五人廻し』、『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』、『死神』、『鰍沢』、『三十石』、『牡丹灯籠』、『百川』、『豊竹屋』、『らくだ』、『御神酒徳利』、『唐茄子屋政談』、『首提灯』、『一つ穴』、『大山詣り』、『お若伊之助』、『文違い』、『妾馬』、『またかのお関』、『梅若礼三郎』、『ちきり伊勢屋』、『無精床』、『盃の殿様』、『双蝶々』、『芝居風呂』、『てれすこ』、『小言幸兵衛』等。 |
| 『開帳の雪隠』の主な演者でもある。 |
| 三遊派ゆかりの人情噺から滑稽噺、芝居噺、さらには怪談まで非常に幅広いジャンルを演じ分けて見せた名人であった。 |
経歴
| 1905年-子供義太夫として初舞台。 |
| 1909年6月ないし7月-落語家に転向。 |
| 4代目橘家圓蔵に弟子入りし二つ目としてデビュー、高座名は橘家圓童。 |
| 1916年-橘家小圓蔵と改名。 |
| 1920年3月-真打昇進し5代目橘家圓好を襲名。 |
| 1922年2月-師匠圓蔵の死去に伴い、義父圓窓が5代目橘家圓蔵襲名に伴い、4代目三遊亭圓窓を襲名。 |
| 1925年1月-義父圓蔵が5代目三遊亭圓生を襲名したことにともない、6代目橘家圓蔵を襲名。 |
| 5代目三遊亭圓窓は義理の叔父である三遊亭圓都が襲名した。 |
| 1941年5月-6代目三遊亭圓生を襲名。 |
| 1945年-3代目桂梅團治を東京に呼び寄せる。 |
| 1952年客分格弟子となり2年後の3月に2代目三遊亭百生を襲名させる。 |
| 1964年3月31日-2代目百生が死去。 |
| 1964年-落語協会副会長就任。 |
| 1965年-落語協会会長就任。 |
| 1972年-落語協会会長辞任。 |
| 同会顧問となる。 |
| 1978年-落語協会分裂騒動で一門弟子を連れ、落語協会を脱退し落語三遊協会を設立し会長となるが、2番弟子さん生・3番弟子好生が協会に残留したため両名を破門、芸名を強制的に返却させる(さん生は川柳川柳、好生は春風亭一柳と改名)。 |
| 1979年3月29日-歌舞伎座で落語家初の独演会。 |
| 演目は『首屋』『怪談乳房榎』『掛取万歳』。 |
| 1979年-79歳の誕生日に高座で小噺を演じた直後に心筋梗塞で倒れ急死。 |
| 葬儀には破門された弟子も駆けつけた。 |
俳優業
| がしんたれ(東宝現代劇、1961年)。 |
| おはなはん(NHK連続テレビ小説、1966年)。 |
| 昭和残侠伝(1966年、東映)。 |
| 天下御免(NHK時代劇、1971年)-北々斎役。 |
| 春だドリフだ全員集合!!(映画、松竹、1971年)-本人役(いかりや長介が演じる主人公の師匠)。 |
CM
| ハウス食品「ほんとうふ」-落語家の符牒である「バカウマ」という言葉を発し流行語とさせた。 |
| 日本損害保険協会自動車保険。 |
口演集
| 『圓生全集』。 |
| 『圓生全集別巻』。 |
| 『圓生全集追悼編』。 |
| 『圓生古典落語』集英社文庫。 |
DVD
| 『落語研究会六代目三遊亭圓生全集上』ソニー・ミュージックダイレクト(2009年9月2日発売)。 |
| Disc1:妾馬('66)、三十石('66)、芝居風呂('66)、浮世床('66)、首提灯('67)。 |
| Disc2:紀州('69)、五人廻し('69)、一文惜しみ('69)。 |
| Disc3:お祭佐七('69)、大名房五郎('69)(宇野信夫作)、双蝶々('69)。 |
| Disc4:鰍沢('70)、中村仲蔵('70)。 |
| Disc6:小言幸兵衛('71)、火事息子('72)、髪結新三・上('73)。 |
| Disc7:らくだ('72)、唐茄子屋政談('72)、。 |
出自について
| 母親が5代目三遊亭圓生と再婚したため、5代目圓生を「親父」と呼んでいた(当人同士に養親子関係はないが、いわゆる“義理の親子”であった)。 |
| 新宿に長年住み、当時の地名から「柏木(の師匠)」とも呼ばれた。 |
| 「あたしは20世紀の生れでげすから」が口癖だったが、上にもある通り4ヶ月ほどの差で19世紀の最後の年の生れである。 |
| 「~げす」、「~がす」、「~やす」など、日常的に江戸言葉を使っていた最後の噺家とされる。 |
| 8代目正蔵もほぼ同世代(正蔵は5歳上)であるが、彼は江戸言葉というよりは東京弁を主に使っていた。 |
メディアへの露出・利用について
| 弟子の圓楽・圓窓が笑点メンバーを務めていた時代は『笑点』に不定期であるが出演。 |
| 師弟大喜利で弟子と罵倒合戦をしたり、鶴亀大喜利に出演したり、演芸コーナーで落語を披露したり、笑点500回記念の際は、演芸コーナーで圓生、圓楽、圓窓の三人でリレー落語を行ったりと番組を盛り上げていた。 |
| 落語のレコード化にライフワークとして取り組み、『圓生百席』(当初『三遊亭圓生人情噺集成』として刊行されたものを含む)は延べ収録時間110時間をゆうに超え、のちにCD化されたものではCD126枚(他にセットには特典盤2枚付)に及ぶという、日本の演芸界でも他に類を見ない大作で、芸人圓生とプロデューサー圓生の真剣勝負だったともいわれている。 |
落語観について
| 名手として極めて高い評価をほしいままにしていた圓生ではあるが、その一方で、落語観となると新作落語とこれを手がける落語家を徹底的に否定し、古典落語絶対至上主義ともいえるほどに守旧的に凝り固まった考え方の持ち主であった。 |
| 弟子の中でも圓丈は師匠の目を気にしながら古典落語の合間に新作落語を披露していたが、圓生の死を契機に新作だけを演じるようになり、現在では新作落語の旗手として認知されている。 |
人間関係について
| 圓生と同時代に落語の世界に身を置いていた者からの圓生に対する評価は、落語の話術などの評価では一様に掛け値なしの名人とされても、その人間性となると一転して批判も多い。 |
| 特に8代目林家正蔵(後の林家彦六)とは最後までそりが合わなかったことで知られ、その関係は正蔵が5代目蝶花楼馬楽を名乗っていた頃から悪く、6代目三遊亭圓生襲名当時、「あの人に(6代目が)務まる訳がない」と酷評された事に起因する(圓楽が雑誌取材で明かしていた)。 |
| なお、彦六は一時期師匠扇遊亭金三(後の3代目三遊亭圓遊)と共に4代目圓蔵一門に所属していた事もあった。 |
| 圓生の次は、歳と芸歴、落語協会副会長の順からすれば正蔵だったが、協会幹部達は圓生の次は5代目柳家小さんだと暗黙の了解を取っていた。 |
| 会長の圓生は形だけでも作ろうと思い、圓生は「正蔵さん、会長をやって下さいよ」と正蔵に会長就任を要請したが、正蔵は「いやぁ、私はそんな柄じゃないよ」と一応断り、もう一度頼まれれば会長を引き受けるつもりだったが、圓生が「あぁ、そうですか」と言って帰ってしまったため、2人の対立関係は決定的になってしまったという、持ちネタの『紀州』さながらの挿話が伝えられている。 |
| なお、それまで笑点師弟大喜利で隣り合わせで座っていたのが、この一件以降は実現しなくなった正蔵が再び師弟大喜利に出演するのは圓楽の弟子楽太郎がメンバーとなって以降。 |
| 天敵とされ、何かにつけて衝突を繰り返した圓生と8代目正蔵だが、正蔵の弟子・林家正雀は『落語百景』(別冊歴史読本/新人物往来社)の中で、「圓生師匠がお亡くなりになったときも、青山斎場に出向いたウチの師匠は、落語の祖・安楽庵策伝の研究で知られる名古屋在住の関山和夫先生に言ってました。 |
| 正蔵の弟弟子で新作主体であった通称「鬼の馬風」こと4代目鈴々舎馬風を徹底的に否定し、「あの人のは落語ではない」とまで言っていた。 |
| 7代目橘家圓蔵には目を掛けていたものの、その弟子である初代林家三平については繰り返し芸風を酷評・痛罵しており、三平一門すらをも駄目扱いしていた。 |
| 三平の方でも、表面上は知らん顔をしていたが罵られている事実はちゃんと掴んでおり、これが後述する落語協会分裂騒動が勃発した際の三平一門の身の振り方に繋がることとなる。 |
| このほか、若手時代にともに子供落語家から成長した6代目春風亭柳橋の高座を見て、「この男はどこまで上手くなるのか」と危機感を持っていたが、戦後の落語研究会の高座で、圓生が『妾馬』で好評だったのに対して、柳橋が散々な出来だったので圓生は自信をつけたというエピソードや、東京落語会で『鼠穴』を演じた際にトチリが入り、しばらくしてようやく思い出し落語を続けたあと「あたくしもおいおいに桂文楽になる」と言い放った(これは8代目桂文楽がトチリを理由に引退したことを掛けたブラックジョークである)ことなども知られる。 |
| 圓生は8代目春風亭柳枝門下から移籍してきた弟弟子の圓窓と圓彌を先に真打昇進させ、好生の昇進時には改名を認めないなど、好生を冷たく扱い続けた。 |
| 1978年の落語協会分裂騒動で、好生は圓生に従わずに落語協会に残って破門され、天敵正蔵の客分格弟子となり、名を春風亭一柳と改めた。 |
| やがて一柳は精神的に不調をきたし、圓生死後の1981年、自宅のある葛飾区金町のアパート屋上から飛び降り自殺してしまった。 |
| 真打大量昇進に端を発する落語協会分裂騒動が起きた時には、圓生が代表者となって立ち上げた落語三遊協会に思ったほど人が集まらないという事態が起き、やがては圓生の死と三遊協会の事実上の総敗北という形で騒動の終焉に至るが、これも圓生の人間性や守旧的な落語観が要因の一つになったとされる。 |
| 圓朝塚のある全生庵に、圓生が「圓生塚」を作るので、寿山に「塚の文を書いて欲しい」と頼んだが、その後、まったく礼もなく、新宿中村屋の一番安いパンを持ってきただけだった。 |
| 芸術協会の人気落語家・3代目春風亭柳好に対しては、序列は上でも構わないので落語協会の方に来て欲しいと思っていたという。 |
芸に対する姿勢について
| 出囃子は『つくま祭』だったが、同じ曲を使う3代目桂三木助の芸術協会から落語協会への移籍に前後して共演の機会が増えてきたため、『正札附(しょうふだつき)』に変えた。 |
| 大阪出身である所以からか、噺中に関西人の登場する場面のある場合、船場の商人は商人言葉(あきんどことば)で、大阪の長屋衆なら正しい大阪弁で、京都の人なら正しい京言葉で、しかも江戸時代の噺と明治以降の噺とではちゃんと言葉柄を使い分けるなど細かいニュアンスに至るまで、正しい関西弁を口演でき、それでいて江戸っ子の台詞が関西弁に引っ張られて怪しくなることもない、という稀有な異能の噺家であった(大概の場合、「上方噺家の使う江戸言葉、標準語」「江戸前落語家の使う関西弁」は、たとえどんなにうまく演じようとも、何れも夫々の地の者からすれば若干不自然に聞こえるものである)。 |
| なお、弟子の圓丈に金明竹を習得させる際、名古屋弁版への改作を助言し、名古屋で幇間の経験がある7代目圓蔵に稽古をつけさせている。 |
| 3代目桂米朝とは米朝の師匠4代目桂米團治を通じて懇意にしていたようで、米朝の噺の枕に圓生のエピソードが屡々登場するとともに、噺の組み立てにも随所に影響が散見される。 |
受賞
| 1960年1月、『妾馬』(『八五郎の出世』との記録もあり |
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1909年
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ないし7月落語家に転向。4代目橘家圓蔵に弟子... |
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1960年
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『妾馬』(『八五郎の出世』との記録もあり)... |
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