| 父親が転勤族であったため少年期は転居を繰り返し、神奈川県鎌倉市や兵庫県神戸市、群馬県などを転々とした後、東京都に定住した。 |
| 東京都立新宿高等学校を経て立教大学法学部卒業後、1981年にニッポン放送に入社した。 |
| 若手時代は主に深夜枠の番組を担当。 |
| 『オールナイトニッポン』(月曜2部)を経て、アマチュアバンドブームの中『HITACHIFAN!FUN!TODAY』『ぽっぷん王国』などの音楽系番組のパーソナリティを歴任し「うえちゃん」の愛称で親しまれる様になる。 |
| 1987年にスタートしたヤマハ主催の10代限定の音楽の祭典『ティーンズミュージックフェスティバル』の司会も担当していた。 |
| 上柳自身、元々音楽には造詣が深く、若手時代から現在に至るまで親交を深めているミュージシャン・芸能人は数多い。 |
| また自らとスタッフで結成したバンドの歌声をラジオで披露する事もあった。 |
| その余勢を駆って、一時期ラジオ局のアナウンサーでありながら、同じフジサンケイグループであるフジテレビ系のテレビ番組『夕やけニャンニャン』(水曜日)でMCを務めていた経験がある。 |
| だが、当時はまだテレビ番組の進行に不慣れであったことに加え、ニッポン放送の社員という立場もあって短期間で降板した。 |
| なお同番組には同時期、文化放送からフリーに転身したばかりの吉田照美もMCとして出演していた。 |
| フジテレビではこの他深夜番組『録影館』で、当時フジテレビの新人アナウンサーだった中井美穂とMCを務めている。 |
| ある回では、上柳と中井がCG合成の温泉で混浴するという一幕もあった。 |
| その人気ぶりに「フリーになるのではないか?」と実しやかな噂が流れ、当時のアナウンサー部長から呼び出されて「フリーにならないで欲しい」と声を掛けられた、と後に語っている。 |
| 実際、迷った時期もあったが、映像のない語句のみで物事を明確に伝え、表現することの面白さに魅力を感じ、ラジオの世界に留まっているという。 |
| また、この時期に担当していた番組に招くゲストの多くが、映像の付随するテレビではまず見せることはない、ラジオであるが故のフランクさで本音や素顔を見せてくれたことも大きく影響しているという。 |
| 当時の担当番組の多くが、人気絶頂だった「ヤングパラダイス」と「オールナイトニッポン」(どちらも基本的に生放送)の間に挟まれていた生放送音楽番組だったこともあり、予定外にサプライズゲストが訪れることも多かった。 |
| バンドブームの終焉と、社内の世代交代等々の事情もあって深夜枠を外れ、1990年代からは日中の時間帯の番組を担当。 |
| また1993年の自民党55年体制崩壊時には国会担当記者、選挙特別番組のキャスターなども務めるなど報道畑でも研鑽を重ねた。 |
| 1994年のオフシーズンナイター枠で『上柳昌彦の花の係長ヨッ!お疲れさん』がスタート。 |
| 帰宅途中の中堅サラリーマンを対象とする実験的な番組で、上柳が得意とするトークと音楽を主体にしながら、ニュースやスポーツなどの情報系コンテンツとを組み合わせたスタイルであった。 |
| 当初は苦戦するも、明確にターゲットを打ち出して次第に支持を集め、翌年からもオフシーズン番組として続行となる。 |
| 3年目の『うえちゃんのホッとラジオヨッ!お疲れさん』で遂に同時間帯聴取率トップの座を獲得する。 |
| これは同局のオフシーズンナイター枠番組としては画期的な出来事であった。 |
| 上柳は1997年オフ(1998年春)まで『ヨッ!お疲れさん』のパーソナリティを務め、翌1998年オフからはパーソナリティが松本秀夫に交代。 |
| その後タイトルは毎年変更しながらも、番組の基本的なスタイルは2009年オフの『ショウアップナイターバッテリー』に至るまで引き継がれ続けている。 |
| 1998年春、テリー伊藤がパーソナリティを務める午後の生ワイド番組『のってけテリー!渚の青春花吹雪』のテコ入れ策として白羽の矢が立ち、テリーとのコンビによる『テリーとうえちゃんのってけラジオ』が3月30日にスタートした。 |
| 当時の昼間時間帯の番組としては珍しい、男性コンビによるワイド番組。 |
| 「得意先回りの営業マンが、営業車で、缶コーヒー片手に聞くラジオ」をコンセプトに、苦戦しつつも人気投稿コーナーを企画するなど序々に固定リスナーを確保。 |
| テリー発案の企画「ジャイアンツ優勝ちょうちん行列」時に同時間帯聴取率トップの座を奪取するなどし、結局上柳は2002年9月27日まで4年半の間、パーソナリティを務め上げた。 |
| 『のってけラジオ』降板後の上柳に、更なる課題が課された。 |
| 当時ニッポン放送は、かつて平日午前帯の生ワイド枠で人気を博した長寿番組『玉置宏の笑顔でこんにちは』が終了して以降、主なリスナー層だった高齢者層の他局への流出が大きく響き、加藤茶や山田邦子といったタレント起用による新規リスナー層の開拓も不発に終わるなど聴取率改善策に長らく苦慮しており、そのテコ入れ策として上柳にこの枠が託されたのである。 |
| こうして『山田邦子ワンダフルモーニング』の後を受け、同年9月30日『うえやなぎまさひこのサプライズ!』がスタート。 |
| 上柳が深夜放送時代に長らく経験してきた、男一人だけのワンマンパーソナリティ形式の番組は、朝ワイドとしては異色の存在だったが、固定リスナーを得るなど聴取率も安定した。 |
| 特に、全国各地の心温まるエピソードを取り上げる「10時のちょっといい話」のコーナーから生まれた書籍「涙があふれて心が温かくなる話」シリーズは、第1弾『車いすのパティシエ』が約10万部のベストセラーとなったのに始まり、その後も『母ちゃんダンプ』『80点コロッケ』がベストセラーとなるなど話題を呼んだ。 |
| だが一方で2005年以降、番組内容のマンネリ化が顕著となって聴取率は横ばいをたどり始めた。 |
| そこで番組では2006年から、金曜日のみ番組構成を変更して「フライデースペシャル」としたり、同局アナウンサーの新保友映が担当する中継コーナーを設けたり、上柳がかつて『オールナイトニッポン』時代に演じたエロティックなキャラクター「うなぎまさこ」を登場させるなど思い切ったリニューアル策を図った。 |
| 結局『サプライズ!』は2007年9月28日をもって終了した。 |
| 上柳が代わってパーソナリティを任されたのは、平日朝のニュース・情報ワイド枠。 |
| 同年10月1日『上柳昌彦のお早うGoodDay!』がスタートした。 |
| 報道番組の経験こそあるものの、専らトーク主体の番組を中心に担当してきた上柳。 |
| それだけに番組開始当初は試行錯誤の連続だったが、自らのスタイルを徐々に構築していった。 |
| 『サプライズ!』の人気コーナー「10時のちょっといい話」も「8時のGoodStory」として引き継がれた。 |
| また2008年10月4日から2009年3月28日まで、ナイターオフ期間の番組『上柳昌彦土曜日のうなぎ』を担当。 |
| “街歩き”を主体にした番組で、上柳が土曜日の夜の街をぶらりと歩きながら、街の人々や風景とふれあいを広げてゆく様子を生中継で伝える独特のスタイルが一部で話題を呼んだ。 |
| 2010年6月25日を以って『お早うGoodDay!』は終了。 |
| 代わって6月28日から、平日午後のワイド枠『上柳昌彦ごごばん!』のパーソナリティを務めている。 |
| 前述の地震パーソナリティも務めており、『サプライズ!』時代には毎年9月1日の「防災の日」と1月17日の「防災とボランティアの日」の年2回放送される『ラジオ災害情報交差点』のパーソナリティリレーにニッポン放送担当として出演し、首都圏の各ラジオ局はもとより、NHKラジオ第1放送をでも声を聴く事ができた。 |
| 現在も『お早うGoodDay!』やスポット枠の『防災ひとくちメモ』で災害対策や心がけ、緊急地震速報を聴いた際の対応方法などをレクチャーしている。 |
| 2011年3月11日午後2時46分に発生した、東北地方太平洋沖地震では、スタジオで最大震度5強の地震を感じつつも、リスナーに対し落ち着いた口調で地震に関することを呼びかけていた。 |
| 1995年には渡辺美里の西武スタジアムライブ『Shelovesyou1995Summer10thAnniversary』(於西武ライオンズ球場、現西武ドーム)のナビゲーターを務めた。 |
| 渡辺は上柳と親交が深いアーティストの一人であり、またニッポン放送が同ライブに協賛していたという縁もあって実現したものだが、この模様はWOWOWでも生放送された。 |
| また映画の出演経験もあり、サザンオールスターズ・桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』の他、『サラリーマン専科』にも居酒屋のおやじ役として出演している。 |
| 私生活では、二度の結婚経験がある。 |
| 最初の妻と新婚旅行先のエジプトから帰国すると年号が変わっていて、成田空港で二人で顔を見合わせて唖然としたと語ったことがある。 |
| 現在の妻との間に2人の子供(2001年生まれの長女と2003年生まれの長男)がいる。 |
| 読書、音楽、映画などといった定番の趣味以外に、落語や漫才、ラジオ聴取なども好む。 |
| 高田文夫や、後述する笑福亭鶴瓶との親交はこの趣味によるところが大きい。 |
| 上柳は鉄道ファンを自認しているが、こうして列車の姿を放送上で伝えるのは各路線が定時で動いているかどうかを目安に、ダイヤの乱れが生じていないか確認する意味合いも含まれている。 |