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プロフィール
- 上祐史浩とは
- 概要
- 1980年代
- 1990年代
- 2000年代
- 略歴
- 著書
- 関連書籍・関連項目
- 関連サイト
上祐史浩(じょうゆうふみひろ、1962年(昭和37年)12月17日-)は、宗教団体ひかりの輪代表。アーレフ(現Aleph・旧「オウム真理教」)元代表。オウム真理教 信者としての名前(ホーリーネーム)は、 マイトレーヤだった。教団内の元「外報部長」。当時、巧みに詭弁を弄することから「ああいえば、上祐」といわれた。オウム真理教では男の一番弟子であった。身長は175cm。オウム真理教時代に幹部の中で 麻原彰晃にNOといえるのは上祐だけといわれた。のちにロシア支部長に赴任するが、これはこのことが災いしての左遷といわれた。現在mixi会員としても活動している。(詳 ...
概要
| 福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)出身。 |
| 早稲田大学高等学院卒業、早稲田大学卒、同大学院理工学研究科修士課程修了。 |
| フジテレビアナウンサーの軽部真一は高等学院・早大の同級生である。 |
1980年代
| 大学在学中、サークルでディベートの技術を学ぶ。 |
| ディベートサークルの活動を通じて、苫米地英人と面識があったミランカ『博士も知らないニッポンのウラ』、苫米地英人『洗脳原論』(春秋社、2000年)。 |
| 大学時代より超常現象などに強い興味を持ち、オカルト雑誌『ムー』に掲載されていた麻原彰晃の記事をきっかけにオウム神仙の会に入会。 |
| 大学院を出た後宇宙開発事業団に就職するも1ヶ月で退職し、恋人の都沢和子と共に出家信者となった。 |
| 1989年、上祐らを除いたオウム幹部6人による坂本堤弁護士一家殺害事件が起きる。 |
| 上祐は事件前、麻原から(坂本氏の名前は出さずに)教団に批判的な存在をポア(殺害)することについて一度意見を求められた際に強く反対しており、同じく反対していた石井久子や上祐を除いて謀議していたものと見ている。 |
| 暴力行為ではなく自らの広報活動によって批判による影響を和らげるべきだと考えていた上祐は、教団が起こした事件だと察した際には不満を感じ麻原に電話するも、逆に事件を正当化するよう説得された。 |
| 無免許運転で人身事故を起こしたことがある。 |
| 幸い相手は軽い怪我で済んだ。 |
1990年代
| 早川紀代秀が推進した1990年の第39回衆議院議員総選挙教団幹部の立候補にも最後まで猛反対していたと伝えられている。 |
| この選挙が惨敗に終わり、麻原が大勢の信者達を前に話した「国家権力によって票のすり替えが行われた」という陰謀論にもただ一人異議を唱え、「自分独自の電話調査では麻原彰晃に投票すると言った有権者は100名中誰もいなかった」と発言。 |
| 場が凍りつき麻原が怒鳴り散らす中、一人で数分間に及ぶ反駁を続けた野田成人のブログ2009年8月29日の記述 |
| 1992年よりロシア支部に派遣されている。 |
| また1993年1月(亀戸異臭事件の前)に行われた以後のテロ活動に関する謀議では、参加はしていたものの肯定的でなかったことから麻原に注意を受けていたという。 |
| 1994年以降は麻原に「日本にいると身に災いが及ぶ」と言われほとんどをロシアで過ごしていたが、一時的に日本に戻った際に教団による薬物を使ったイニシエーションを受け、麻原への帰依を深めることとなった。 |
| 1995年、地下鉄サリン事件が発生して間もなく麻原から「広報活動をしてほしい」との電話が届き帰国する。 |
| 帰国直前にモスクワのクレムリン広場において全裸になり説法をした。 |
| 当局からは特にお咎めは無かった。 |
| サリン事件後、教団の広報責任者として青山吉伸や村井秀夫らと共に、連日朝から晩までテレビのワイドショーやニュース番組やラジオに出演し、オウムに批判的なあらゆる意見に対して徹底的に反論していた。 |
| そこで、数々の疑惑事件は創価学会や米軍、自衛隊を初めとする国家権力の陰謀であり、サリン被害を受けているのはオウムだとの見解を示し続けた |
| この時に見せたパフォーマンスから、「ああ言えばこう言う」を捩った「ああ言えば上祐」という流行語が生まれ、「上祐ギャル」と呼ばれる熱狂的な追っかけの女性ファンも登場するなど、一躍話題の人となった。 |
| 都沢和子とともに早稲田大学英語研究会(ESS)で教育ディベートの経験者であったことがマスメディアに報じられ、ディベートが相手を言い負かす技術として注目を集めることとなった。 |
| 村井秀夫刺殺事件直後の会見で、記者が今度の事件で麻原彰晃代表が会見を開くのかと質問したところ、「麻原を殺す気ですか今度は?麻原を殺す気ですか?今度は!?尊師を今度は殺すんですか!?」と答えた。 |
| また記者会見の場で、「これ見たら分かるでしょ!馬鹿らしいですよこんなの」と言いながらフリップを投げた。 |
| しかし後に「オウム真理教は事件に関わりがあると薄々気づきながら、当時はマスコミに無関係だとウソをつき続けていた。 |
| 自分はウソツキだった」と告白した。 |
| また、サリン事件が教団が起こしたものだと麻原に伝えられたのは帰国して1ヶ月後(村井秀夫刺殺事件の後)で、一連の事件の全貌を知ったのもその頃だったと語っている。 |
| 麻原の側近と目される教団幹部であったが、一連のオウム真理教事件では1992年以降はロシア支部にいたこともあり、教団本部の共謀や実行の場にいなかったことや、炭疽菌テロを目論んだ亀戸異臭事件で被害が出なかったことなどで、重要犯罪事件で起訴はされなかった。 |
| 熊本県波野村の土地取得をめぐって、国土利用計画法違反事件で1995年10月7日逮捕、偽証と有印私文書偽造・同行使の罪で10月28日に起訴される。 |
| 裁判では懲役3年の実刑判決を受けた。 |
2000年代
| 1999年の出所後、2002年にアーレフで代表となるも、「一連の事件を反省し麻原の影響を排除する」という改革を打ち出したため主流派(麻原回帰派)の強い反発を受け、翌年にも事実上失脚。 |
| 「修行」として自室に軟禁されるようになる。 |
| 2006年4月30日、TBSの「報道特集」が、新教団立ち上げ計画を明言していた事を報道。 |
| この時期、千葉県習志野市のマンションを「上祐派」の道場として使用しながら活動するも、管理者からは立ち退きを要求されていた。 |
| 2006年9月、習志野市のマンションからは立ち退き完了し、東京都世田谷区南烏山のマンションを拠点とした模様である。 |
| 公式サイトも教団から分離して、「脱麻原」(後述)を旨とする新教団として活動している。 |
| その後も内部分裂が進み、2007年3月8日にアーレフを正式脱退。 |
| 翌9日、mixiのアカウントを取得したことを、オフィシャルサイトの日記で公表した。 |
| 上祐のマイミクシィ(申請含む)はわずか2日で上限に達した。 |
| 5月7日に麻原の教義を完全排除したとする新団体「ひかりの輪」を設立して、代表の座についた。 |
略歴
| 1962年12月-福岡県に生まれる。 |
| 1969年-小学校2年の時に東京都へ転居。 |
| 1978年-早稲田大学高等学院進学。 |
| 1981年-早稲田大学理工学部に入学。 |
| 1985年-早稲田大学大学院に進学。 |
| 1986年-オウム神仙の会に入会。 |
| 1987年-宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に就職。 |
| 1ヶ月の研修期間終了と同時に退職しオウムの出家信者となる。 |
| 1988年-ニューヨーク支部に派遣され、翌年帰国。 |
| 1990年-第39回衆議院議員総選挙で真理党から東京5区で立候補したが落選。 |
| 1992年-ロシア支部に派遣される。 |
| 1993年-亀戸異臭事件発生。 |
| 同年秋にロシア支部長となる。 |
| 1995年3月-地下鉄サリン事件発生後ロシアから帰国(この事件では訴追されていない)。 |
| 1995年10月8日-逮捕される(国土法違反などで懲役3年の実刑)。 |
| 1999年12月29日-広島刑務所を出所。 |
| 2002年1月29日-「アーレフ」教団代表に就任。 |
| 2003年10月-麻原回帰派の反発により教団運営から隔離され、自室にこもる。 |
| 2007年3月8日-アーレフを脱退し、松本死刑囚の教義を完全排除した新団体を設立すると発表。 |
著書
| 『覚醒新世紀』東山出版(2002年)ISBN483440076X。 |
| 『上祐史浩が語る―苦悩からの解放』東山出版(2002年)ISBN4834400727。 |
| 『上祐史浩が語る〈2〉心の解放と神秘の世界』東山出版(2003年)ISBN4834400786。 |
関連書籍・関連項目
| 『オウム法廷―グルのしもべたち〈上〉』(朝日新聞社、1998年)ISBN9784022612236。 |
| 四方田犬彦は90年代中葉東浩紀と会い、駒場の上祐と呼ばれる院生と日記に記している。 |
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1989年
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上祐らを除いたオウム幹部6人による坂本堤弁... |
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1995年
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地下鉄サリン事件が発生して間もなく麻原から... |
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