| 1950年代前半頃、広島総合球場での対広島戦で小競り合いになると地元の広島ファンが降りて来たが、中にはヤクザがいて「与那嶺、町中を歩いていたらぶっ殺すからな!!」と脅された。 |
| この体験は本人にとってトラウマになっていて、「広島はヤクザが多くてホント怖いヨ」と後に口にしていた。 |
| 限りで巨人を退団し中日に移籍したのは、水原茂監督の後任として就任した川上哲治が与那嶺を戦力外と見なし、自身のチーム構想に組み入れなかったことが原因とされている。 |
| そのため川上を激しく敵視しており、中日監督時代には川上率いる巨人との試合で劣勢になると「哲のヤロー!!チックショー!!」や試合前のミーティングで「哲に負けるな!」と片言の日本語で吠えまくっていたという。 |
| に川上率いる巨人のV10を阻むセントラル・リーグ優勝を決めた際には「とうとうやったヨ、哲やっつけたヨ。 |
| 長い間日本にいて良かったヨ、本当に良かったよ・・・」と大はしゃぎしていたという。 |
| 川上はこの年限りで巨人軍監督を勇退したが、まさに1960年のリベンジをした形となった。 |
| 日本語は日常会話であれば十分理解できるものの、読み書きはほとんどできず、細かな表現にはつたない部分もあった。 |
| 中日監督時代の遠征の際、ある選手が門限を破って帰ってきたのを見つけた※近藤唯之の『プロ野球監督列伝』では敗戦投手となった投手に言った台詞とされている。 |
| どちらが真相なのかは分からない与那嶺は「今晩は、寝ないで反省しろ!」と叱り付けたかったのを上手く言えず、「こんばんは」を何度も繰り返すばかりで言葉が先に進まず、結局何も言えないまま自室に帰してしまったことがある。 |
| 周りにいた者たちは「なぜ監督は挨拶していったのだろう?」と不思議がったという(※松本幸行の後日談)。 |
| 読み書きはできなくても、周囲の人に新聞を読み伝えてもらい、スポーツ紙記者の考えなどはきちんと頭に入れていた。 |
| 「毎年開幕戦の前に家に全員招待してくれて、与那嶺夫人の手料理を振る舞ってもらった」と谷沢健一が語るように、非常にアットホームな優しさを持っている。 |
| には打撃コーチを務めたが、同年オフの長嶋茂雄監督解任に伴い球団に辞表を提出。 |
| この時の長嶋解任には川上がかかわっていたという説があり、与那嶺はそれに反発してコーチを辞任したのではないかと見られている。 |
| の中日監督就任時も、打倒川上巨人を標榜し、ナインの前で常に「テツだけには負けてはならんぞ!!」とハッパをかけていたという。 |
| なお、与那嶺は川上との過去の確執から、結局は一度も巨人OB会に参加したことがないが、川上が関与しなかった世界少年野球大会では、巨人のユニフォーム姿で協賛行事の日米OBオールスターゲームに出場した事がある。 |
| 少年時代の王貞治が後楽園球場に観戦に来た際のことである。 |
| 王少年は、観戦に来た大勢のその他の老若男女と同様に、巨人の選手達に対しサインを所望した。 |
| 周囲の少年達はサイン用の色紙や本格的な硬球を差し出しサインを希望したのだが、経済的に豊かとは言えなかった当時の王少年は玩具のゴムボールを差し出し、そこにどうにか誰かのサインを貰おうと頑張っていた(本当は誰のサインが欲しかったのか、などは明らかになっていない)。 |
| だが選手達も忙しいこともあり、王少年が必死で差し出す粗末で目立たないゴムボールなどは見向きもされなかった。 |
| その時、与那嶺だけが王少年のゴムボールに気が付き、立ち止まって快くサインに応じた。 |
| この時の体験から、王はできる限りファンからのサインの要望に応じる姿勢を貫いている、と言われている。 |
| 後年このエピソードの真偽を問われた与那嶺は、「何で日本の選手はサインをしてあげないのか、不思議に思いました。 |
| 彼が王君だったかは分かりませんが、目の大きな子供が軟球を差し出していました。 |
| 誰もサインをしてあげなかったので、僕がしたことは覚えています」と返答した。 |
| なお、偶然ではあるが、与那嶺と王は、同時に野球殿堂入りを果たしている。 |
| 来日以降38年間、の日本ハムコーチ退任まで一度もユニフォームを脱ぐことがなかった。 |
| 1987年のオフにフジテレビ系『プロ野球ニュース』の企画「特別出前表彰式」に出演。 |
| 都内の自宅にて、やや困惑した顔で中井美穂から表彰状を受け取っていた。 |
| 死去から3ヶ月後の2011年5月27日、東京都港区六本木の六本木教会(生前に与那嶺氏が通っていた教会)にて『お別れの会』が催され、長嶋や王、中日監督時代の教え子で1974年優勝時の投手だった星野仙一ら400人が参列し、故人との別れを惜しんだ。 |
| 王は「全てを教えてくれ、野球人生が大きく変わった。 |
| 与那嶺さんの加入は、プロ野球発展の節目の一つ」とスピーチした。 |
| また現在楽天監督を務める星野は「ウォーリーは生きています。 |
| 私が『ウォーリーイズム』を楽天で作っています。 |
| 必ずいい地盤を築き、ウォーリーに報告したい」と挨拶し、最後は盛大な拍手と大歓声に包まれた(なお、お別れの会は当初3月22日に千代田区麹町の聖イグナチオ教会で行う予定だったが、11日前に発生した東日本大震災により延期されていた)。 |