| 練習試合ということもあり、江川は直球しか投げず、チームメートは江川の速球に三振の山であった。 |
| しかし中尾だけはファウルで何球も粘り、ついに根負けした江川がカーブを投じ、タイミングを外された中尾は三振した。 |
| この事により、中尾は「江川にカーブを投げさせた男」として同校に語り継がれた。 |
| 同校卒業時の1974年、江川らと共に慶應義塾大学を受験したが、不合格となった。 |
| 一浪して翌1975年にも慶應義塾大学を受験したが、再度不合格となった。 |
| 結局、進路変更して専修大学へ入学する。 |
| 東都大学リーグ通算97試合出場、353打数106安打、打率.300、13本塁打、59打点。 |
| 春季リーグではチーム25季ぶりの優勝に貢献し、最高殊勲選手に選ばれた。 |
| 社会人野球のプリンスホテルを経て、のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。 |
| 当時、中日の正捕手には木俣達彦が君臨しており、正捕手争いが注目されたが、走攻守に高い能力を見せ、にはついに木俣に代わって正捕手となる。 |
| 同年は中日のリーグ優勝に貢献。 |
| 突出した数字ではなかったが、シーズンMVPに選出される。 |
| 「鈍足」「ずんぐり体型」という捕手のイメージを変えたと言われた。 |
| 一方どんな試合展開でも手を抜かず全力でプレーした中尾は、ホームでの接触プレーも多く、故障も多かった。 |
| 同時代にプレーした「無事これ名馬」を地で行く巨人の山倉和博とは対照的であった。 |
| 1982年以後は故障が多く、シーズンフル出場をすることが出来なかった。 |
| 1984年のオールスターゲーム・ナゴヤ球場での第3戦で前出の江川とバッテリーを組み8連続奪三振をアシスト。 |
| 「一休さん」という愛称は守備の際にヘルメットをかぶることからついたものだが現在は捕手の守備機会時のヘルメット着用は義務付けられているが、1980年代前半あたりのまだ義務化される以前からヘルメットを着用、それも打撃用ヘルメットと異なるツバの無いヘルメットであったため、不調の時期は、そのヘルメット姿が坊主に見えたことから「一休さん」と言われた所以である。 |
| 現在は捕手用のヘルメットはツバのついたキャップ形のヘルメットが主流で、ツバの無いヘルメットは東京ヤクルトスワローズの福川将和や中日ドラゴンズの小田幸平がかぶる程度で、ほとんど着用されていない。 |
| その上、メーカーによって機能性を求めた事から角張った形など様々なため、当時のような丸みを帯びたつば無しの捕手用ヘルメットは皆無である。 |
| なお、中尾はプロ入り以前の専修大学在籍時点で既に、捕手用のヘルメットを着用していた。 |
| 、「(中尾は)試合を休むから、一休さんだ」と揶揄されるほどであった。 |
| 、当時の監督星野仙一の方針で外野手にコンバートされたものの中尾は捕手にこだわり続け、同年オフに捕手の強化を目指す読売ジャイアンツが獲得を希望し、西本聖・加茂川重治との交換トレードで巨人に移籍した。 |
| 、捕手に復帰した中尾は新天地で同い年で同じセ・リーグMVP経験者の山倉和博から正捕手の座を奪い、強気のリードで斎藤雅樹をエースとして一本立ちさせ、古巣中日戦では小松辰雄をカモにするなど巨人の日本一に貢献。 |
| この1989年には20勝したトレード相手の西本とともにカムバック賞を受賞した出場試合数・打撃成績共に前年を下回っていたが、前年に一旦外野手にコンバートされて再び捕手に再コンバートし巨人の投手陣をリードするなど活躍したことが評価されたという、現在に至るカムバック賞受賞者の中でも異色の受賞となった。 |
| 所属した3球団すべてで日本シリーズ出場を果たした。 |
| 3球団からの出場は若生智男(大毎・阪神・広島)、永尾泰憲(ヤクルト・近鉄・阪神)、大宮龍男(日本ハム・中日・西武)、阿波野秀幸(近鉄・巨人・横浜)、工藤公康(西武・ダイエー・巨人)、中嶋聡(オリックス・西武・日本ハム)らと並ぶ最多タイ。 |
| このうち、大宮とは1988年に同チームで出場、阿波野とは1989年に対戦している。 |
| 最後に所属した西武では伊東勤が正捕手として君臨しており、ほとんど出番はなかったが、1993年第2戦で伊東に代打が送られたため、控え捕手として出場を果たした。 |
| これが西武時代唯一の日本シリーズ出場で、この出場によって3球団からのシリーズ出場を達成できた。 |
| 引退後は、はオリックス一軍ヘッド兼バッテリーコーチを務めていたが同年6月8日にシーズン途中での解任となった。 |
| 解任理由として当時の球団本部長・矢野清は「成績不振が直接の原因ではなく、ヘッドコーチとしての役割を果たしていなかった」と話した。 |
| その後はに阪神タイガースの二軍打撃コーチを務めた。 |
| その阪神のタテジマのユニフォームを初めて着た際、「憧れだった。 |
| 一度、このユニフォームを着てみたかったんだ」と感激した。 |
| までは二軍バッテリーコーチを務め、退任後は阪神タイガース東日本担当スカウトを務めている。 |