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つながりの強いひと
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城山三郎
日本の小説家。本名は、杉浦英一(すぎうらえいいち)。経済小説の開拓者であり、伝記小説、歴史小説も多く出している。 |
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鞍馬天狗
大佛次郎の時代小説シリーズである。幕末を舞台に「鞍馬天狗」を名乗る勤王の志士が縦横に活躍をするさまを描いた、大衆小説の代表作である。頭巾をかぶった... |
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牛尾治朗
日本の実業家。ウシオ電機株式会社代表取締役会長、経済同友会代表幹事のほか、社会経済生産性本部会長、KDDI取締役、経済財政諮問会議議員などを歴任。日本... |
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元興
東晋、安帝司馬徳宗の治世に行われた2番目の年号。402年-404年。元興元年は3月に一旦、隆安6年に戻された上で大亨元年とされた。後に再び元興に戻された。『... |
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小林陽太郎
日本の実業家。経済同友会終身幹事(元代表幹事)。日本電信電話相談役最高顧問。ソニー取締役会議長。国際大学理事長。慶應義塾評議員・理事。 |
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西村正雄
日本の銀行家。日本興業銀行の元頭取(最後の頭取となる)、みずほホールディングス元会長。政治家・安倍晋太郎は異父兄であり、その息子安倍晋三の叔父にあ... |
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木川田一隆
昭和期の経営者・財界人。元経済同友会代表幹事(1960年~1962年(複数代表幹事制)、1963年~1975年)。「企業の社会的責任」を唱導した、哲人的財界人として... |
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水上達三
水上達三(みずかみたつぞう、1903年10月15日-1989年6月16日)は日本の実業家。1977年勲一等瑞宝章。 |
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石坂泰三
日本の財界人、経営者。第一生命保険、東京芝浦電気(現東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、2月21日~5月24日)。経団連会長を4期、... |
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桜井正光
日本の会社経営者。リコー代表取締役会長、NPO法人日本防災士機構評議員。経済同友会代表幹事を務めた。 |
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永野重雄
永野重雄(ながのしげお、1900年7月15日-1984年5月4日)は日本の実業家である。島根県松江市生まれ、広島県広島市南区出汐育ち。新日本製鐵会長などを歴任し... |
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本田宗一郎
日本の実業家、技術者。本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。 |
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北城恪太郎
日本の実業家。日本アイ・ビー・エム最高顧問、前経済同友会代表幹事。学校法人慶應義塾の最高意思決定機関、慶應義塾評議員を務める。東京都出身。錦華小学... |
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土光敏夫
土光敏夫(どこうとしお、9月15日-8月4日)は昭和時代の日本のエンジニア、実業家。第4代経済団体連合会(以下「経団連」)会長。位階勲等は従二位勲一等(勲... |
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永守重信
エルステッドインターナショナルの代表取締役社長・永守知博。 |
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東海林武雄
日本の実業家。旭電化工業社長、日本専売公社(現・日本たばこ産業)総裁。 |
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高杉良
日本の小説家。ビジネスマン小説の巨匠として知られる。 |
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前田晃伸
日本の銀行家。元みずほフィナンシャルグループ社長、会長。 |
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川又克二
川又克二(かわまたかつじ、明治38年(1905年)3月1日-昭和61年(1986年)3月29日)は日本の実業家。日産自動車中興の祖として知られる。 |
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工藤昭四郎
工藤昭四郎(くどうしょうしろう、1894年7月30日-1977年10月13日)は日本の実業家。東京都民銀行頭取、経済同友会代表幹事などをつとめた。従三位勲一等瑞宝章。 |
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プロフィール
中山素平(なかやまそへい、1906年(明治39年)3月5日-2005年(平成17年)11月19日)は、日本の銀行家。日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)頭取、同会長、経済同友会代表幹事を歴任。「財界の 鞍馬天狗」の異名を持つ一方、部下からは「そっぺいさん」と呼ばれ慕われた。
略歴
| 1906年(明治39年)ともに長崎県出身の父金三郎、母禎の六男一女の三男として東京に生まれる。 |
| 小学校4年生のときに父を喪う。 |
| 1929年(昭和4年)東京商科大学本科(現一橋大学)を卒業。 |
| 高瀬荘太郎ゼミに所属し、卒業論文は「景気変動理論における金融中心説の一考察」。 |
| 1929年(昭和4年)日本興業銀行に入行する。 |
| 同窓の同期に川又克二がいる。 |
| 最初の配属先は本店経理課。 |
| 1932年(昭和7年)本店預金課に異動。 |
| 1935年(昭和10年)本店鑑定課に異動。 |
| 1936年(昭和11年)大阪支店に異動。 |
| 1937年(昭和12年)東北支店(福島)に支店長代理として異動。 |
| 1940年(昭和15年)札幌支店次長。 |
| 1941年(昭和16年)神戸支店次長。 |
| 1942年(昭和17年)本店査業部次長。 |
| 1943年(昭和18年)海外派遣・南方占領地区出張としてシンガポールへ。 |
| 1945年(昭和20年)2月人事部長。 |
| 終戦直後、興銀は、特殊銀行としてGHQ(連合国軍総司令部)の指令により廃止の危機にあったが、中山は調査部長・復興金融部長として、GHQと興銀の存廃をかけて交渉する。 |
| その結果、ついに存続を認めさせることに成功した。 |
| この経験から、ねばり強い交渉力と強い意志に基づく経営理念を身につけた。 |
| 1947年(昭和22年)興銀理事に就任。 |
| 1950年(昭和25年)常務取締役に就任。 |
| 1951年(昭和26年)日本開発銀行に出向。 |
| 1954年(昭和29年)興銀に戻り副頭取。 |
| 1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)まで経済同友会代表幹事(終身幹事)。 |
| 1961年(昭和36年)頭取に就任。 |
| 1968年(昭和43年)会長に就任。 |
| 相談役を経て1984年から特別顧問。 |
| 2005年(平成17年)11月19日午後5時45分、肺炎による心不全のため、都内の榊原記念病院で逝去。 |
業績
| 1950年(昭和25年)、川崎製鉄(現:JFEスチール)が千葉に銑鋼一貫工場を建設する計画書を通商産業省に提出した。 |
| 1950年度に250万トン程度の粗鋼生産しかない業界に、一挙に50万トンの生産力をもつ一貫工場を、資本金5億円の川崎製鉄が163億円かけて建設するという計画であった。 |
| 日本銀行の一万田尚登総裁は金融引き締め政策に逆行する巨額投資に憤り、「製鉄所にペンペン草をはやしてやる」とまで言い放ち、反対した。 |
| 中山は、原料の船からの荷下ろしから製銑・製鋼・圧延、製品の船積みまでの全工程が合理的にレイアウトされていること、全工程に最新の設備の導入が予定されていることなど、優れた計画であることを認め、この反対を押し切り、融資を決め、製鉄所実現に尽力した。 |
| 1962年(昭和37年)には東邦海運と日鉄汽船の合併による新和海運設立の舞台回し役を務め、1964年(昭和39年)の海運再編成の契機を作った。 |
| 1964年(昭和39年)、低迷する証券市場の安定を目的に株式の買い上げ機関「日本共同証券」が設立されたが、その発起人総代になった。 |
| 1965年(昭和40年)5月28日山一證券が経営危機に陥り、日本銀行氷川寮で事態収拾のための会議が行われた際、日銀特融を主張し、田中角栄蔵相の決断を引き出すきっかけを作った。 |
| 1966年(昭和41年)8月の日産自動車とプリンス自動車の合併に尽力した。 |
| 1970年(昭和45年)、富士製鐵と八幡製鐵の大型合併による新日本製鐵(新日鉄)発足に難色を示した山田精一公正取引委員会委員長と推進派の大平正芳通産相の会談をセットして合併承認への道を開いた。 |
| 1973年(昭和48年)11月21日、経済団体連合会、日本商工会議所、経済同友会、関西経済連合会の財界4団体が母体となり設立されたエネルギー総合推進委員会の委員長として、インフレ抑制のため、値上げ自粛などを盛り込んだ「中山構想」を提唱した。 |
| 中東協力センター理事長として中東との交流に努め、「資源派財界人」とも呼ばれた。 |
| 多くの企業の救済・起業に東奔西走し、その中にはハウステンボスの起業や1992年経営危機に陥ったアスキーの救済などが知られている。 |
| 中曽根康弘元首相の私的諮問機関「平和問題研究会」に加わったほか、臨時教育審議会の会長代理に就いた。 |
| 中曽根元首相が推進した国鉄の分割民営化に反対していた田中角栄を中山が説得した。 |
| 1983年(昭和58年)、上越新幹線の開通と同時に、土光敏夫ら財界あげての支援の下に、日本初の全て英語で授業を行う大学院大学である国際大学を新潟県南魚沼市に開学した。 |
| 中山は、自ら初代理事長となり、初代学長には大来佐武郎が就任した。 |
| 国際大学の経営を自らのライフワークとし、99歳で亡くなるまで特別顧問として采配を振った。 |
エピソード
| 「素平」の由来は、「素」は白より白くの意味で、「飾らない人間になれ」という願いが込められている。 |
| 経済人の勲章ともいえる日本経済新聞の私の履歴書、叙勲を断り続けていた。 |
| 「財界の鞍馬天狗」の名付け親は評論家の草柳大蔵。 |
関連書籍
| 高杉良『小説日本興業銀行(第一部~第五部)』(講談社文庫、1990-1991年)-中山素平を主人公とした本書には、彼の識見、行動力、人の心をつかむ魅力がいかんなく描かれている。 |
| 城山三郎『運を天に任すなんて』(光文社、1997年・新潮文庫、2003年)。 |
| 城山三郎『静かなるタフネス10の人生』(文藝春秋、1986年・文春文庫、1990年)-中山素平の章のタイトルは「二階級下げられても」。 |
| 日本開発銀行を設立するときに、初代総裁に内定していた小林中は、興銀から当時常務であった中山を副総裁でスカウトしようとした。 |
| しかし、日本銀行総裁の一万田尚登が日銀理事の太田利三郎を副総裁に推した。 |
| そこで、小林は中山を筆頭理事で招くことになった。 |
| そんなとき、大蔵省事務次官の船山正吉が大蔵省出身の中村建城をぜひ筆頭理事にとねじ込んできた。 |
| 結局、中山は次席理事で開発銀行に行くことになった。 |
| このことに関して、中山は、日本の事業金融を軌道に乗せようと思っていたので、ポストが一つ上だろうが、下だろうがあまり意に介さなかったと述べている。 |
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