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つながりの強いひと
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足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年-1358年)。足利将軍家の祖。 |
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中島信行
父
日本の政治家。男爵。通称は作太郎。長男は中島久万吉。最初の妻は陸奥宗光の妹中島初穂(1877年死去)で、後妻は女性解放運動家の岸田俊子。 |
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斎藤実
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲位は大勲位。爵位は子爵。新字体で斎藤実(さいとうまこと)とも表記される。当初の名前は「富五... |
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陸奥宗光
幕末から明治時代の武士、政治家、外交官。カミソリ大臣と呼ばれ、外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。江戸時代までの通称は陽之... |
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桂太郎
日本の武士、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功三級。爵位は公爵。諱は清澄(きよずみ)元老井上馨とは義理の親子の... |
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鳩山一郎
日本の政治家。弁護士。第52・53・54代内閣総理大臣。位階は正二位。勲等は大勲位。1912年(大正元年)に東京市議会議員に当選。1915年(大正4年)に衆議院議... |
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松本烝治
日本の商法学者。法学博士。戦後、憲法草案(松本試案)を作成した。 |
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高橋是清
日本の政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任:1921年(大正10年)11月13日-1922年(大正11年)6月12日)。大勲位子爵。幼名は和喜次(わき... |
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岡田啓介
日本の軍人、政治家。階級は海軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。海軍大臣(第14・18代)、内閣総理大臣(第31代)、拓務大臣(第7代)、逓信大臣(第37代... |
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藤原銀次郎
日本の実業家、政治家。戦前の三井財閥の中心人物の一人で、王子製紙(初代)の社長を務め「製紙王」といわれた。その後貴族院議員に勅選され、米内内閣の商... |
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林銑十郎
日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。功級は功四級。陸軍大臣、内閣総理大臣(第33代)、外務大臣(第53代)、文部大臣(... |
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吉田茂
吉田 茂様 プロフィール 株式会社 イビサ 取締役会長 吉田 茂(よしだ・しげる) 昭和 8年 1月 2日 岐阜県加茂郡八百津町須賀に生まれる 昭和26年 3月 1日 岐... |
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鈴木喜三郎
日本の司法官僚、政治家。立憲政友会第7代総裁。旧姓は川島。鳩山一郎は義弟(夫人の弟)にあたる。司法官僚から、貴族院議員、清浦奎吾内閣の司法大臣、田中... |
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後藤文夫
後藤文夫(ごとうふみお、1884年(明治17年)3月7日-1980年(昭和55年)5月13日)は大正・昭和の官僚・政治家。「天皇陛下の警察官」を自称し、新官僚の代表... |
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永井柳太郎
永井柳太郎(ながいりゅうたろう、1881年4月16日-1944年12月4日)は昭和時代の日本の政治家。憲政会・立憲民政党に所属していた。大日本育英会(現:日本学生... |
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菊池武夫
PROFILE 菊池 武夫 / プロフィール 1939年東京都千代田区生まれ。71年“ビギ(BIGI)”を設立。75年“メンズ・ビギ(MEN’S BIGI)”を設立しパリに進出。日本人と... |
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広田弘毅
日本の外交官、政治家。勲等は勲一等。旧名は丈太郎(じょうたろう)。新字体で広田弘毅(ひろたこうき)とも表記される。外務大臣(第49・50・51・55代)、... |
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郷誠之助
日本の実業家。日本経済聯盟会会長、日本商工会議所会頭を歴任。貴族院議員。 |
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プロフィール
中島久万吉(なかじまくまきち、1873年7月24日-1960年4月25日)は政治家、実業家、男爵。
生涯
| 父は衆議院議長や駐イタリア大使等を歴任した、男爵中島信行。 |
| 妻八千子は子爵岩倉具経の娘。 |
| 古河財閥、城西大学、古河電気工業や横浜ゴムを設立した。 |
| 1934年(昭和9年)、いわゆる「足利尊氏論」による混乱を鎮めるため、斎藤実内閣の商工大臣を辞任した。 |
| また同年、帝人事件に連座して起訴されたが、後に無罪が確定した(帝人事件では被告人全員が無罪となり、裁判長から「証拠不十分の無罪ではなく全く犯罪の事実が存在しない」とのコメントがあったため、事件そのものが捏造と解されている)。 |
| 1960年(昭和35年)、死亡叙勲により勲一等旭日大綬章。 |
足利尊氏論
| 1921年(大正10年)、中島は、清見寺(静岡県静岡市清水区)にある足利尊氏自作の木造を拝観し、その感想文を俳句同人雑誌「倦鳥」に投稿した。 |
| 当時、皇国史観に基づき、後醍醐天皇に背いた足利尊氏は、謀反人と断定されていたが、中島は尊氏と足利時代(室町時代)を再評価すべき旨、その感想文に記していた。 |
| その記事が掲載されてから13年後の1934年(昭和9年)、中島の感想文が雑誌『現代』2月号に転載される。 |
| 同年2月3日の衆議院予算総会において、栗原彦三郎・衆議院議員(野党・国民同盟所属)が、この転載記事を利用して、逆賊たる尊氏を評価するような者が大臣の職にあることは「日本の教育行政にとって望ましくない」と政府の教育行政を批判した。 |
| この場は、中島が転載を知らなかったと釈明し、陳謝して収まった。 |
| しかし、軍部出身議員や右派議員を多く擁していた貴族院において、尊氏論は再燃する。 |
| これら、軍部出身議員や右派議員は、斎藤内閣の軍縮姿勢と中島が主導した政友会・民政党の連携による軍部抑制策に不満を持っており、政府攻撃の隙を窺っていたからである。 |
| 尊氏論は、その格好の攻撃材料となった。 |
| 中島攻撃を主導したのは、菊池武夫・貴族院議員(予備役陸軍中将、男爵、南朝の功臣菊池氏の子孫)である。 |
| 菊池は、逆賊尊氏を礼賛することは補弼にあたる大臣の任に堪えないとして、斎藤首相に「しかるべき措置」を取るべきと、中島の商工大臣罷免を迫った。 |
| 斎藤首相は、すでに中島の陳謝により決着済みであり、議論は場違いであることを指摘した。 |
| この答弁に不満を述べた三室戸敬光・議員(子爵)は、さらに中島の爵位辞退をも要求し、斎藤の政治責任を追及した。 |
| 議会の内外でも右翼の執拗な攻撃が続き、宮内省にも批判の投書が殺到したため、中島は商工大臣を辞任せざるを得なくなった(爵位は辞退せず)。 |
| この足利尊氏論に関わる一連の顛末は、政治に対する軍部の介入と右翼の台頭に勢いを与え、翌年の天皇機関説事件の要因ともなる。 |
略歴
| 1873年(明治6年) 横浜に生まれる。 |
| 耕余義塾を経て、明治学院中退後、高等商業学校予備門へ進学。 |
| 1892年(明治25年)高等商業学校(現・一橋大学)入学。 |
| 1897年(明治30年)高等商業学校卒業後、東京株式取引所勤務。 |
| 1899年(明治32年) 桂太郎首相秘書官。 |
| 1906年(明治39年) 西園寺公望首相秘書官。 |
| 1907年(明治40年) 古河鉱業入社。 |
| 1918年(大正7年) 城西学園創立(現・城西大学)。 |
| 1920年(大正9年) 古河電気工業、横浜護謨、富士電機等古河コンツェルンを創立。 |
| 1931年(昭和6年) 日本工業倶楽部創立、同専務理事。 |
| 1932年(昭和7年) 商工大臣(斎藤実内閣)。 |
| 1934年(昭和9年) 足利尊氏論で商工大臣辞任。 |
| 1934年(昭和9年) 帝人事件にて起訴、収監。 |
| 1937年(昭和12年) 同無罪判決。 |
| 1950年(昭和25年) 日本貿易協会会長。 |
| 1955年(昭和30年) 日本文化放送社長。 |
| 1960年(昭和35年) 葉山にて死去。 |
著書
| 『政界財界五十年』 ISBN4-944069-31-6C0234 発行所まつ出版。 |
| category:日本の閣僚経験者。 |
| category:日本の実業家。 |
| CateGory:1960年没。 |
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