| 著作『パール判事』で、中島が小林よしのりの戦争論1を「パール判事の発言を大東亜戦争肯定論の文脈で使用するのは不適切」と批判したことに対し、小林が「SAPIO」(2007年9月26日号)連載の「ゴーマニズム宣言」にて、「パールは同著で『東京裁判の相対化』のみで登場し、大東亜戦争肯定論は自分自身の主張」と反論し「中島の国語力は義務教育以下」と論破。 |
| また、中島が「毎日新聞」の記事に基づいて、「パールは憲法9条を支持していた」と主張したことについて、小林はパール著・田中正明編『平和の宣言』の記述に基づいて、「パールは日本の平和主義を支持したのであり、平和憲法を支持などしていない」と再び論破。 |
| そして「パール判事が平和憲法の中にガンディー主義の要素を見出していた」という中島の主張について、小林は、「生命至上主義」の平和憲法と「ナショナリズムを基盤とした独立闘争の手段」であるガンディー主義はまったくの別物であると反論。 |
| 中島が平和主義を平和憲法として、それを憲法九条に絞り、ガンディー主義に結びつけた事を、史料が無く、ありえない断定であると批判し、平和憲法とガンディー主義を同一視する中島の解釈は浅はかであると喝破した。 |
| これに対して中島は自身のブログで、パール判事の発言に関する史料考証の原則を提示し、ガンディー主義者のパールが日本の再軍備を批判、非武装中立の重要性を強調していたことを改めて指摘した。 |
| また、自分は「あくまでも「伝統的に無抵抗主義を守って来たインドと勇気をもって平和憲法を守る日本と手を握る」(毎日新聞)べきことを訴えるパールの演説文に基づき、パールが平和憲法の中にガンディー主義の要素を見出していると分析しているだけ」とし、自分の主張をここに投影などしていないと論じた。 |
| これに対し小林は「SAPIO」(10月10日号)の「ゴー宣」で、「(オウム事件の時の)ポストモダンの宗教学者みたいな逃げ方だな」と非難し、「正論」11月号に「パール判事は『憲法9条』を『ガンジー主義』と言ったのか」と題した論文を発表。 |
| パールが平和憲法にガンディー主義を見出すことはありえないこと、具体的にはガンディー主義とは死を恐れぬ非暴力・不服従の思想であり、憲法九条との同一視は有り得ないと主張。 |
| 中島が、この主張は自身の物ではないとした事については「パールが語っていない事を書きながら、私の主張ではないと答えた事に驚いた」として「「憲法九条とガンジー主義が同じだなんていう誤った考えは、あくまでもパールが言ったことだ。 |
| 自分は始めからガンジー主義の何たるかは知っていた」と居直ったのである。 |
| 」(141P)と、パールに失礼と批判。 |
| 中島著には『平和の宣言』からの引用に際し恣意的削除が見られること等を主張した。 |
| これに対し、中島もまたブログで反論した。 |
| なお小林は、この論争を開始した理由の一つとして、2007年8月に放送されたNHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか」が、「パール判事は、平和憲法の精神が世界に広がる事を願っていた」というナレーションで番組を締め括った点を挙げる。 |
| 小林は、これは「中島著に影響されたデマである」とし、正論11月号でも「史料操作をし、根拠なき「新事実」を売りにした本を書き、学者の権威に騙されたNHKがデマを拡散させる事態を見て中島は良心が疼かないのだろうか?」(138頁)と批判した。 |
| 両者の論争に関し、西部邁が「正論」2008年1月号に「パールは保守派の友たりえない」と題した論文を発表した。 |
| ここで西部は「小林の言い分に圧倒的に分がある」と評し、中島に「その小林批判が短絡的にすぎ、また見当を外れていたことについて」謝罪したらどうか、小林の歴史観は中島が批判する「自称保守」とは一線を画するとした一方、「中島が従来のパール観に一石を投じた点を認めるべきでは」とし、中島のパール論のおおよそを支持し、渡部昇一らを「自称保守」として批判した。 |
| これに対し小林は、「正論」2月号に「西部邁氏の誤謬を正す」と題した論文を発表。 |
| 「西部は『判決書』も『平和の宣言』も、一切読んでいない」とし、パール判決書が「反対意見書」である事を挙げ、「東京裁判史観」と「パール判事の史観」は対立したものであること、西部がパールを「ナショナリズムの欠如」とした事に対しては、パールは「ナショナリズムの本源」で、ナショナリズムの必要性を主張していると論証し、西部に対し「保守思想家の廃業か?」などの辛辣な反論を記し、二度と自分は「保守派」になど分類されたくないと締めくくった。 |
| そして「月刊現代」2月号で中島は、「パールの主張の一部を援用している人々への批判を、自称保守とは一線を画した面のある小林の議論に還元したことについては、私自身バランスを欠いていた」「小林の影響力の大きさにひきずられてしまったことについて、私自身、反省すべきだと思う」など、小林の大東亜戦争の見方に同意出来る部分が多くあるとした。 |
| そのうえで、「小林のパールに関する記述は、いささか平衡を崩しているのではないか」とし、「保守とは極端を排するものではないか」と主張。 |
| 「戦力不保持」論や再軍備反対論を含めたパールの思想の全体像を議論すべきことを主張した。 |
| また、「毎日新聞」の記事を採用した理由については、「毎日新聞」の記事は「平和主義」と「平和憲法」が訳し分けられていること、また『平和の宣言』の側は、「田中正明は提示する史料に自らの主観を反映させることがある」として、田中が主観に基づいて史料の修正を行なったのだろうと主張した。 |
| そして「若輩者に力を貸して欲しい」と小林に「月刊現代」での対談を要請した。 |
| 中島からの対談の要望に対して、小林は「SAPIO」(2月13日号)で、「史料批判」を交えた論争なのだから対談は無意味と回答。 |
| そして当初の批判を取り下げていない点などを挙げ、何を謝罪しているのか不明瞭と指摘して「対談するには、今後明らかにしていく中島の本の誤謬に中島はどう対処するのか、筋を通してもらいたい」とした。 |
| そして、中島が小林に対して保守とは何かを説いたことに関しては、過去に「論座」誌上で中島が小林を右翼と定義したことに触れ、「なぜ今回は過去のように、わしを右翼と言わなかったのか?」と一笑に付し、先の論文に続き、自分は保守でなくて構わないと主張した。 |
| また、パールがガンディーの影響の下に裁判の管轄権の範囲を決めたという中島の主張に関して、小林は、管轄権の範囲は「連合国が中立義務を守らず、日中戦争に介入していたため、宣戦布告の有無に関わらず支那事変(日中戦争)と大東亜戦争(太平洋戦争)が連続していた」とパールが判断したことにより決められたと反論した。 |
| また、中島の史料検証の方針に関しては、信用ならないとした田中の「平和の宣言」に依拠しているのはダブルスタンダードであると批判した。 |
| また、「田中が主観に基づいて史料の修正を行なったのだろう」とする中島の主張に対しては、「それには、当時の田中が改憲派であり、平和憲法に反対する主観を有している事が大前提」だが、当時の田中は日本国憲法の精神を認める「平和憲法・護持論者」であり、なかでも九条を高く評価していた史料を提示し、平和憲法を平和主義に改変する主観を有していないと主張した。 |
| 小林は「SAPIO」誌上などで、さらに中島批判を強め、途中、「平和の宣言」の復刊に関わり、SAPIO2008年5月14日号までパール論が続いた。 |
| なお、批判を受けた渡部昇一は、産経新聞2008年1月14日号「正論」 |
| その後の、「VOICE」連載をまとめた「『パル判決書』の真実」(2008年8月23日)でも同様の主張を行った。 |
| そして2008年6月23日、小林は連載と書き下ろしから成るゴー宣SPECIAL「パール真論」を発売した。 |
| 新章で新たに行われた、中島「パール判事」批判を以下に示す。 |
| 15章「パールは反共主義者だったのか?」では、中島は「法律家としての中立性を強調したパールであったが、共産主義に対しては、一貫して厳しい立場を堅持した(パール判事140P)」など、パールが判決に反共主義を持ち込んだとしたが、小林は「かような感情が正当なものかどうかは、本官の論ずべきことではない。 |
| (共同研究パル判決書上504)」と続く部分を挙げ、パールは自身のイデオロギーで共産主義を批判したのでは無いとし、中島のそれは家永三郎の丸写しと批判。 |
| 「左派の家永を批判しない中島は、偽装保守」とした。 |
| 16章「パールは南京事件をどう見たのか?」では、パールが南京事件に懐疑的であることを挙げ、それが事実認定されたのは、弁護側が南京事件の事実関係を争っていなかったためと主張。 |
| さらに証拠不十分である被告を死刑にした東京裁判・判決への反対意見書がパール判決書であり「東京裁判の意義をパールが認めた」とする解釈は成り立たないとした。 |
| 20章「日本無罪論はミスリーディングか?」の230Pで、昭和27年4月に発売された「日本無罪論ー真理の裁き」の重版にある、パールの手紙の二通目を掲載。 |
| 「"JapanNotGuilty"」というタイトルに、パールは何の批判も行わず、判決全文が日本国民に読まれる事を要望し「私の判決文の英語原文が外部の国々に読まれて、日本に対する戦時宣伝の有害な効果が完全に圧服されんことを望んでおります。 |
| 」と結ぶ手紙を書いていた事を提示し、日本無罪論がミスリードとする主張は無効であるとした。 |
| 中島と西部は、2008年7月17日に「パール判決を問い直す「日本無罪論」の真相」を講談社現代新書から発売。 |
| 中島は「はじめに」6~7Pで、小林の「恣意的に日本批判を切り取っている」という批判に対し、パールの日米開戦の主張をまとめた文書を再び出し「史料改竄の捏造犯」と呼ばれる事に反発した。 |
| 最も痛烈に西部・中島を批判した自分を避けておきながら、誰を指しているのか不明瞭な「自称保守派」を批判する態度を批判し、ハンス・ケルゼンの法実証主義を、西部、中島が「法と道徳は全く別物とする、パールの法理論の背後にある思想」として「法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義を自称保守派が受け入れるというなら、「では、あなたたちの保守とは何なのか?」と問うてみたい。 |
| 」(パール判決を問い直す160P(西部))と、自称保守派は近代主義者と批判した事に対し、小林は、ケルゼンが「法が道徳的であるべきだとの、即ち、善くあるべきだとの要求を排斥するのではない」(純粋法学28P)と、法と道徳が別物とは考えておらず、分離する理由は「そもそも「正義」とは「幸福に対する人としての永遠のあこがれ」ではあるが「一般に合理的認識によって到達し得ない」からである。 |
| 」(正論10月号51P)と、「正義」に「合理的認識」によっては到達しないためであり、仮に到達するのであれば、立法自体が無意味というのがケルゼンの主張であると反論した。 |
| 中島は、ケルゼンは「事実(であること)」と「当為(であるべきこと)」を厳密に区別し、「当為」を法から除去しようとし、「その事実は制定法と判例であるというのが、ケルゼンの純粋法学です。 |
| 」(パール判決を問い直す159P)と説明したが、小林は、ケルゼンが「実定法において構成事実が互に結合されているところの特殊な様式をいやしくも把捉し、表現しようとするならば、この点において当為を欠くことを得ない(純粋法学44P)」と、実定法には「犯罪者は刑罰を受ける」という「事実」ではなく「犯罪者は刑罰を受けるべきである」という「当為」でなければならないと言っているとし、規範や当為を無視すれば「法律生活が日々表示されるところの幾千の言葉のすべてがその意味を失ってしまう」と主張、中島の説明とは正反対であると反論した。 |
| 同じく中島が、ケルゼンを批判し「Aという法は、どうして法律として妥当なのか」と問うた場合、ケルゼンの理論によると、「それはAという法の上位にある法に則っているからだ」(パール判決を問い直す62P)と、最上位の法は「根本規範」に行き着き、それが何なのかは問われない、理論の根本が「ブラックホール」とした事に対して、小林は「最後には、一人の簒奪者又は任意に形成された団体によって発布された歴史的に最初の憲法に到達するであろう。 |
| 「西部・中島が言うような「法と道徳は全く別物だ、法に道徳や慣習が関与する余地がない」などということは、パールもケルゼンも唱えていないし、そんなことを信奉している「自称保守派」など、どこにも存在しないのである。 |
| 」(正論10月号53P)とするなど多くの批判を行い、最後は「他にも西部・中島は大量にインチキをしゃべっているが、それらは全て『パール真論』で論破したことの繰り返しだ。 |