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プロフィール
- 中嶋一貴とは
- プロフィール
- ジュニアフォーミュラ
- F3/SUPER GT/スーパー耐久
- GP2
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 国内レース復帰
- 2011年
- レース戦績(F1デビュー以前)
- F1年度別での成績
- エピソード
- 関連サイト
中嶋一貴(なかじまかずき、1985年1月11日-)は、日本のレーシングドライバー。愛知県岡崎市出身。父は 元F1ドライバーの 中嶋悟、弟はレーシングドライバーの 中嶋大祐。
プロフィール
| 血液型:RH+A型。 |
| 星城高校卒、南山大学中退。 |
| 好きなプロ野球チーム:読売巨人軍。 |
| 好きなサッカークラブ:FCバルセロナ。 |
ジュニアフォーミュラ
| 父のレースを幼少時から見て育ち、1997年にカートレースにデビュー。 |
| 1999年には鈴鹿選手権シリーズICAクラスでシリーズチャンピオンとなる。 |
| その後、父親の七光りと言う評判が付くことを嫌い、ホンダ系ドライバーであった父親とは違いただし中嶋悟は、F1参戦以前にトヨタ系チームのトムスからル・マン24時間レースやWEC-JAPAN等に参戦しており、ホンダ一辺倒だったわけではない。 |
| 、トヨタが運営するフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を2002年に受講し、スカラシップを獲得した。 |
| 2003年は、そのスカラシップでエントリーしたフォーミュラ・トヨタにて、見事シリーズチャンピオンに輝いた。 |
F3/SUPER GT/スーパー耐久
| 2004年は全日本F3選手権にステップアップし、いきなり開幕ラウンドで2連勝し、父中嶋悟のDNAを受け継ぐ者として周囲に印象付けた。 |
| しかしその後は苦戦し、シリーズ5位に終わる。 |
| 2005年も引き続き全日本F3に参戦しシリーズ2位となる。 |
| この年はマカオグランプリに挑戦するも6位に終わる。 |
| かねてから指摘されている、父と同じく予選での速さの不足及び不慣れなサーキットの攻略の遅さが表面化した形となった。 |
| また2005年はSUPERGT・GT300クラスにフル参戦し、スーパー耐久・ST-5クラスにも第3戦と第5戦にスポット参戦した。 |
| SUPERGTではスポーツランドSUGOで行われたシリーズ第4戦でクラス初優勝を果たし、スーパー耐久では第5戦富士スピードウェイでパートナーの黒澤琢弥と共に優勝を飾った。 |
| 2006年は平手晃平とともに、F3ユーロシリーズへトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)から参戦した(所属はManorMotosport、マシンはダラーラF305メルセデストヨタの育成ドライバーにも関わらずメルセデスエンジンを使うという異例の形だったが、当時のF3で使われていたトヨタ・3S-GEはメルセデスに比べ戦闘力が大きく劣っていたため、ドライバーの成績を優先させるというトヨタとしては苦渋の決断を行った。 |
| 第2ラウンド・ユーロスピードウェイで行われた第4戦において優勝するも、シーズンを通しては成績が伸び悩みシリーズ7位に終った。 |
| 決勝ではレースをうまくまとめており、課題はやはり予選の速さである。 |
| なお、引き続きマカオグランプリにも参加し、予選7位・決勝リタイヤに終わる。 |
GP2
| 2007年シーズンはTDPドライバーとしてDAMSからGP2に参戦した。 |
| 初戦となったバーレーンから第2戦スペイン・レース1まで3レース連続で1ポイントを獲得。 |
| 第5戦イギリス・レース1で3位となり初表彰台。 |
| 第7戦ハンガリー・レース1ではシーズン最上位の2位に入り、5戦連続表彰台。 |
| 最終戦バレンシアではP.P.を獲得(決勝レース1は3位・レース2は7位)したが、レース1のチェッカーを受ける直前に前を走っていた車に接触し、フロントウィングを失った。 |
| 最終的にシーズン44ポイントでシリーズ5位となりルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。 |
2007年
| 2006年11月8日にウィリアムズより「2007年シーズンのテストドライバー契約を中嶋一貴との間で締結した」との発表があり、2006年11月16日に富士スピードウェイで開催された「トヨタ・モータースポーツ・フェスティバル2006」において、ウィリアムズのF1カーであるウィリアムズ・FW28を初ドライブした。 |
| 2007年シーズンは、GP2を戦いながらウィリアムズチームの第3ドライバーを兼務した。 |
| これはTDPの「参加ドライバー」として、初めてF1チームとの契約ドライバーになることであった。 |
| このことについては、2007年からウィリアムズのエンジンサプライヤーとなったトヨタの推薦を元に、チームオーナーであるフランク・ウィリアムズが自ら面接を行い決断したものであると、共同オーナー兼エンジニアリングディレクターであるパトリック・ヘッドが明かしている。 |
| ドライバーとしての能力は当然として、英語が堪能であることも契約に至る判断材料になったものとされる。 |
| F1の開催がGP2と重ならないレースでは、第3ドライバーとして金曜フリー走行に出走しているが、F1とGP2が併催されるレースではリザーブドライバーとして登録されている。 |
| なお、ハンガリーGPではそれまで通りウィリアムズのリザーブドライバーとしての登録と同時に、トヨタのリザーブドライバーとしても重複エントリーされた。 |
| これは本来のトヨタのリザーブドライバーであるフランク・モンタニーがトレーニング中のケガのため、サーキットに来られなかったことによる珍事であった。 |
| GP2閉幕後の中国GPではシーズンで5度目となる第3ドライバーを務めていたが、アレクサンダー・ヴルツが中国GP限りでの引退を発表したことにより、最終戦ブラジルGPでF1デビューが決定、日本人としては17人目のF1ドライバーが誕生した。 |
| また、アジア人では初めての親子2代のF1ドライバーである。 |
| このドライバー選考については、GP2最終戦のバレンシアの予選において、ポール・ポジションを獲得したことや、中国GPのフリー走行で9番手タイムを叩き出したことが大きく影響したと考えられており、ブラジルGPの結果は、2008年シーズンのウィリアムズチームにおけるドライバー選考に大きな判断材料にはならないと、フランク・ウィリアムズ代表は記者会見で表明した。 |
| また、ディレクターのパトリック・ヘッドはエンジンサプライヤーであるトヨタの支援が明確に影響した事を後日認めた(この事との関連は不明だが、中嶋のレーシングスーツの胸の部分にはトヨタの赤いロゴがあるが、ロズベルグの胸にはない)。 |
| F1デビュー戦となった2007年ブラジルGPでは、予選においてはタイヤを上手く使いきれず19位に終わった。 |
| 決勝では、31周目、1回目のピットイン時に、ブレーキングのミスによって停止位置をオーバーランし自らのチームのピットクルーに接触して脚を負傷させるという失態を犯した。 |
| また63周目には第1コーナーで9位走行中のデビッド・クルサードをアウト側からオーバーテイクしたが、クルサードの進路を塞ぐという問題のあるライン取りであったため、クルサードに接触し、クルサードをスピンさせるなど、未熟さが露呈したレースだった。 |
| 10位で完走し、シリーズ22位の結果を残した。 |
| また、レース中のファステストラップは5番手のタイムで、チームメイトのニコ・ロズベルグを0.043秒上回った(ロズベルグはファステストラップ7位、決勝順位4位だった)。 |
2008年
| 2008年シーズンはウィリアムズとレギュラードライバー契約し、日本人8人目のフルタイムドライバーとして参戦することが決まった。 |
| 一方でクルサードをはじめ、F1ドライバーとして参戦するのは時期尚早ではないかとする意見もあった。 |
| 第1戦のオーストラリアGPは7位で完走したが、6位フィニッシュのルーベンス・バリチェロの失格(ピットアウト時の赤信号無視)により繰り上がり、6位に入賞した(チェッカーフラッグを受けたドライバー中の最下位)。 |
| またこのレースでは、セーフティカー走行中の48周目に第15コーナーでBMWザウバーのロバート・クビサに追突し自身フロントウィングを失うとともに、クビサをリタイヤに追い込んだ。 |
| この行為により、第2戦マレーシアGPでは10グリッド降格の処分を受けた。 |
| 予選は14位(ティモ・グロックの降格により13番手スタート)、レース中のファステストラップは14番手だった。 |
| 第4戦スペインGPではここまでの自己最高位の予選12位で通過し、初めてチームメイトのロズベルグを上回った。 |
| また決勝レースでも初めてトップと同一周回で完走し、7位2ポイントを獲得した。 |
| 第6戦モナコGPでは、序盤は雨という荒れたレースであったが、最後まで走りきり7位フィニッシュ、モナコGPにおける日本人ドライバー初のポイントを獲得した。 |
| 第15戦シンガポールGPでは、未知のナイトレースで予選で自身初となるQ3に進出し、予選10番グリッドを獲得する。 |
| 決勝では序盤に順位を落としたものの、最後は見事8位入賞を果たし1ポイントを獲得する。 |
| 初の母国GPとなった第16戦日本GPでは、フリー走行では好調な結果だったものの、Q3進出はならず、予選14番グリッドを獲得する。 |
| 決勝では1周目でクルサードに追突し、フロントウイングを破損しピットイン。 |
| 完走はしたものの、最下位の15位フィニッシュ。 |
| フル参戦初年度でクラッシュなども目立ったが、9ポイントを獲得し翌年のシートを得た。 |
| しかし、予選で一発の速さを見せられないなどの課題もあった。 |
2009年
| 2009年シーズンも引き続きウィリアムズのレースドライバーとして参戦。 |
| 第1戦のオーストラリアGPでは、スタートの混乱をうまく避けて一時は4位を走行していた。 |
| しかし、単独でクラッシュし、リタイアした。 |
| 第7戦トルコGPでは終盤まで入賞圏内を走り、このまま行けば2ポイント確実と言われた状況で最後のタイヤ交換に時間がかかるというまさかのトラブルで12位に終わってしまった。 |
| 第8戦イギリスGPの予選では、自己ベストの5位を獲得した。 |
| 決勝ではスタートで4位に上がったものの、軽い燃料搭載量であったため他のドライバーより早い1回目のピットストップで、なおかつピットクルーがタイヤ交換に手間取ったため順位を落とした。 |
| また予選ですべてのソフトタイヤを使ったため決勝に新品のソフトタイヤが余っておらず、ハード-ハード-ソフトのタイヤチョイスとなり気温の低いイギリスでハードでのタイムが伸びず、11位でレースを終えた。 |
| 第16戦ブラジルGPでは、ティモ・グロックの代役としてF1デビューを果たした小林可夢偉にスタート後の3コーナーでオーバーテイクされ、抑え込まれた。 |
| 皮肉にも同じコーナーにて、第2スティントでピットアウト直後の小林をオーバーテイクしようとして追突してレースを終えた。 |
| その後もポイント圏内に入る事が出来ず、今年度はノーポイントだった。 |
| そしてウィリアムズとの契約更新も出来ず今年度をもってチームから放出された。 |
| 2008年シーズンでの課題である予選での速さの改善が見られた。 |
| しかし、決勝レースでは、ピットでのトラブルや自身のクラッシュなど、うまくかみ合わないままシーズン最高位が9位になり、ノーポイントでシーズンを終えた。 |
| 余談だが、名門チームであるウィリアムズでフルシーズン参戦でノーポイントだったのは長い歴史の中でアレッサンドロ・ザナルディと中嶋のみである。 |
2010年
| ウィリアムズを離脱し、移籍チームの発表がないまま2010年を迎えたが、同年2月には旧トヨタF1の施設やスタッフを受け継ぐ形で同年からのF1参戦を目指しているチームである、セルビアのステファンGPが既に契約済みであることが明るみに出た |
| ステファンGPのF1参戦が実現すればF1参戦できるはずだったが、3月3日に発表された2010年F1エントリーリストにステファンGPは載っておらず、F1継続参戦もついえた。 |
国内レース復帰
| 2010年11月25日、この月の29日、30日に富士スピードウェイで行われるフォーミュラ・ニッポンの合同テストにトムスから参加することが発表された。 |
| 2011年は全日本F3時代に所属していたトムスに復帰し、フォーミュラ・ニッポン及びSUPERGT・GT500クラスに参戦する(チームメイトは共にアンドレ・ロッテラー)。 |
| この年は弟の大祐も、父・悟が率いるNAKAJIMARacingからフォーミュラ・ニッポンに参戦するため、初の兄弟・父子対決が実現することとなった。 |
2011年
| 5月15日のフォーミュラ・ニッポン開幕戦は予選14位から追い上げ、表彰台となる3位を獲得した。 |
| 第2戦オートポリスでは、予選13位からスタートすると、チーム戦略がピタリとはまり、自身もそれを完璧に遂行し、大逆転でトップフォーミュラ初優勝を飾った。 |
レース戦績(F1デビュー以前)
| 1997年-鈴鹿選手権シリーズ・RSOクラス。 |
| 全日本F3選手権(TOM'S#8FTRSトムスF304/ダラーラF3043S-GE)(シリーズ5位・優勝2回)。 |
| 全日本F3選手権(TOM'S#37TDPトムスF305/ダラーラF3053s-GE)(シリーズ2位・優勝2回)。 |
| F3マカオGP(トムス)(決勝6位)。 |
| SUPERGT・GT300クラス(APEXERAwithapr→吉兆宝山withapr#31APEXERA→吉兆宝山MR-S/ZZW303S-GTE)(シリーズ8位・優勝1回)。 |
| F3マカオGP(ManorMotorsport)(決勝DNF)。 |
F1年度別での成績
| 太字はポールポジション''斜字''はファステストラップ。 |
エピソード
| 平手晃平・小林可夢偉とともに、中嶋一貴はTDP三銃士と呼ばれていた。 |
| 小林可夢偉と中嶋一貴は共にネットラジオの「タイムマシン部」に出演している。 |
| F1デビュー戦は、父、中嶋悟と同じブラジルGPであったが、サーキットは父がジャカレパグア、中嶋一貴はインテルラゴスと別である。 |
| イギリス「Times(タイムズ)」紙が行った、2008年ベストドライバー投票において、6500票を超える投票数の中で、得票数1で最下位となった。 |
| ちなみに1位はアロンソ、2位はハミルトンでそれぞれ1000票以上を得票し、その差は僅かに10票だった。 |
| 2005年に放送されたフジテレビのドラマ『エンジン』では、F3レース中における木村拓哉の代役を務めた。 |
| 2010年にフジテレビ系列の特番『スーパーアスリートが夢の対決!!ジャンクCUP2010』内の「バランストレイン」というゲームに出場し、他スポーツのトップアスリート8人と、各駅で発進・加減速・停車する列車の中を小さい足場からいかに落ちないかを競い、最後は一貴含め4人が終着駅まで到達したが、終点で停車した瞬間にライバル3人が一斉に足場から落ちる劇的な幕切れで見事優勝した。 |
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1985年
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中嶋 一貴(なかじま かずき)は、日本のレー... |
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1997年
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カートレースにデビュー |
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投票数
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中嶋一貴さんについてのひとこと紹介
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