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プロフィール
- 中田喜直とは
- 人物
- 年譜
- 活動など
- 器楽曲
- 歌曲・童謡・放送歌謡など
- 合唱曲
- 校歌作曲
中田喜直(なかだよしなお、1923年(大正12年)8月1日-2000年(平成12年)5月3日)は、日本の作曲家。
人物
| 東京都渋谷区出身。 |
| 『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』『夏の思い出』など、今日も小中学校の音楽の時間で歌い継がれている数々の楽曲を作曲した日本における20世紀を代表する作曲家の一人である。 |
| 父は「早春賦」で知られる作曲家の中田章、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。 |
| 妻の中田幸子は、音楽出版ハピーエコーの代表であり、喜直の作品を多数出版している。 |
| また、はいだしょうこの声楽の師匠でもある。 |
| 本名:中田喜直(字は同じで、下の名前の読みが「よしただ」)。 |
| 苗字の読み方は「なかた」ではなく「なかだ」である。 |
| 父は「早春賦」を作曲した中田章であり、喜直も日本の四季を題材にした曲を多数作った。 |
| 春については、「もうすぐ春だ」(内村直也作詞)、「もう春だ」(夢虹二作詞)、「春のむすめ」(立原えりか作詞)、「ああプランタン無理もない」(サトウハチロー作詞)等がある。 |
| 生前、喜直は「春の歌に関しては自分は父の『早春賦』にまさる曲を作ることはできない」と言ったと伝えられている。 |
| 中田には運動家・提唱者としての側面もあった。 |
| とりわけ嫌煙運動家としての顔が知られており、1980年には渡辺文学と『嫌煙の時代』(波書房)を出版している。 |
| エッセイ集『音楽と人生』(音楽之友社)では、第2章「タバコについて」、第9章「もう一度タバコについて」、第10章「野球のこと、そしてまたタバコのこと」と、全10章中3章がタバコ関連の文章で占められており、これら以外の章にも散見される。 |
| 中田の評伝を出版した牛山剛によると、「中田はよく音楽にまつわる講演を頼まれたが、普通なら忙しくて断わるときでも、『タバコの話』さえできれば、喜んでどこへでも出かけて行った」(『夏がくれば思い出す――評伝中田喜直』新潮社、p.197)という。 |
| これだけ熱心な嫌煙家になったきっかけは、父が晩年に結核に倒れてもなおタバコを吸い続けるほどの愛煙家であり、その彼を見ていた母からタバコの害を聞かされていたことだという。 |
| 自分の手が小さく、ピアノを弾くのに苦労したという中田は、ピアノを習う子供たちのために鍵盤の幅を細くすることを提唱した。 |
| 提案だけでなく実際に作らせ、自身の作曲に使用した。 |
| 「細幅鍵盤運動」は嫌煙に次いで力を注いだ分野であったが、嫌煙運動ほどの反響を得ることはできなかった。 |
| また、政治や社会の問題に対しても積極的に発言し、読売新聞「気流」欄や朝日新聞「声」欄に熱心に投稿した。 |
| 騒音問題(駅や飛行機のBGMも彼にとっては「騒音」であり、車掌やスチュワーデスに音楽を止めるよう直接要求したことさえある)、反核、憲法改正など彼の発言は多岐にわたる。 |
年譜
| 1923年東京府(現・東京都)生まれ。 |
| 1943年東京音楽学校(現在の東京藝術大学)卒業。 |
| 1968年横浜市保土ヶ谷区(翌年区制が改正され「旭区」となる)へ転居。 |
| 1979年~2000年社団法人日本童謡協会会長。 |
| 1986年11月紫綬褒章受章。 |
| 1990年~2000年フェリス女学院大学教授ならびに名誉教授。 |
| 1995年NHK放送文化賞受賞。 |
| 1999年日本音楽著作権協会60周年特別賞受賞。 |
| 2000年第42回日本レコード大賞日本作曲家協会功労賞受賞。 |
| 5月3日、直腸癌のため死去。 |
活動など
| 中田章の三男として生れる。 |
| 父は物心ついた頃にはすでに病床に伏しており、音楽については兄の一次から教わったという。 |
| 1933年には最初の歌曲を書いている。 |
| 1935年には、映画「別れの曲」の影響でショパンに心酔しピアニストを志望するようになる。 |
| 青山学院中等部を経て1940年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科に入学。 |
| 戦時(太平洋戦争)のため繰り上げ卒業をした後は、特別操縦見習士官(第1期)となり宇都宮陸軍飛行学校に入校、帝国陸軍航空部隊の戦闘機操縦者となる。 |
| 陸軍少尉に任官し、四式戦闘機「疾風」を装備する飛行第51戦隊附としてフィリピン戦線やインドネシアに赴き、本土で特攻隊要員として終戦を迎えた。 |
| ジャズピアニスト志望であったが、手が小さいことから断念し、終戦後の1946年には作曲家グループ「新声会」に入会。 |
| 歌曲の伴奏をつとめるかたわら、作曲家としての活動を本格的にスタートさせる。 |
| NHK「ラジオ歌謡」や「歌のおばさん」、「えり子とともに」などラジオ番組にも積極的にかかわり、これらの番組において「夏の思い出」や「かわいいかくれんぼ」「雪の降る街を」などを生み出している。 |
| 1953年にはフェリス女学院短期大学音楽科講師に就任し、その後40年にわたって教職を勤め上げた。 |
| 在職中、教え子であった妻幸子と出会い結婚。 |
| 同校とのかかわりのなかで生まれたものに、プロ合唱団「フェリス女声合唱団」(のちの日本女声合唱団)のために書いた多くの女声合唱曲や、著書『実用和声学』(音楽之友社)がある。 |
| 1988年からは神戸山手女子短期大学でも教えた。 |
| 1955年に大中恩、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。 |
| この会は中田が亡くなる2000年まで活動を続け、数多くの童謡のレコード・楽譜を世に送った。 |
| また、1956年には「蜂の会」に参加し、ここで歌曲「サルビア」「おかあさん」などを発表。 |
| 1969年に設立された日本童謡協会にもかかわり、のちに会長に就任する。 |
| 2000年5月3日に亡くなるまでに書かれた作品は3000近くといわれている。 |
| その全貌はまだ明らかになっていない。 |
| 校歌や社歌・自治体のための歌も少なくない。 |
器楽曲
| 小さなヴァイオリニスト(ヴァイオリン・ピアノ)。 |
| フルートとピアノのための「日本の秋の歌」。 |
| 2台のピアノのための音楽「無宗教者の讃美歌」。 |
| 2台のピアノのための「軍艦マーチによるパラフレーズ」。 |
| 雨の夜に(ピアノ)。 |
| ピアノのための組曲「光と影」。 |
| ピアノのための組曲「時間」。 |
| 四手連弾のための組曲「日本の四季」。 |
| 子どものための8手連弾ピアノ曲「日本ふうのメロディーによる主題と変奏曲」。 |
歌曲・童謡・放送歌謡など
| のちに合唱曲に編曲された作品も少なくない。 |
| 六つの子供の歌〔1.うばぐるま、2.烏、3.たあんきぽーんき、4.風の子供、5.ねむの木、6.おやすみ〕。 |
| 歌曲集「海四章」。 |
| マチネ・ポエティクによる四つの歌曲〔1.火の鳥、2.さくら横ちょう、3.髪、4.真昼の乙女たち〕。 |
| 二人のモノローグによる歌曲集「木の匙」。 |
| 雪の降るまちを。 |
| 心の窓にともし灯を。 |
| 君よ八月に熱くなれ。 |
| とんでったバナナ。 |
| わらいかわせみに話すなよ。 |
| さわると秋がさびしがる。 |
| 手をたたきましょう。 |
合唱曲
| 混声合唱曲集「午後の庭園」。 |
| 混声合唱組曲「海の構図」。 |
| 混声合唱組曲「昇天」。 |
| 合唱組曲「おかあさんのばか」混声・男声・女声版あり。 |
| 磯部俶との共作。 |
| 混声合唱とピアノのための組曲「都会」。 |
| 女声合唱とバリトンソロ・管弦楽のためのカンタータ「新しい山河」。 |
| 女声合唱組曲「美しい訣れの朝」。 |
| 朝のうた(第17回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)。 |
| 祭りの宵(第19回同小学校の部課題曲)。 |
校歌作曲
| 青森県立八戸南高等学校校歌。 |
| 愛知県立丹羽高等学校校歌。 |
| 愛知県立岡崎北高等学校校歌。 |
| 愛知県立明和高等学校校歌。 |
| 愛知県立一宮興道高等学校校歌。 |
| 足立区立本木小学校校歌。 |
| 岡山県美作高等学校校歌。 |
| 厚木市立飯山小学校校歌。 |
| 岩手大学教育学部附属小学校校歌。 |
| 茨城大学教育学部附属中学校校歌。 |
| 上田市立第六中学校校歌。 |
| 大阪教育大学附属天王寺小学校校歌。 |
| 茨木市立大池小学校校歌。 |
| 岡山市立岡北中学校校歌。 |
| 神奈川県立相模田名高等学校校歌。 |
| 神奈川県立横浜立野高等学校校歌。 |
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1933年
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最初の歌曲を書いている |
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1940年
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東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科に... |
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