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プロフィール
- 中舘英二とは
- 来歴
- 騎手時代
- 騎手としての特徴
- 表彰
- 主な騎乗馬
- 関連項目
- 参考文献
中舘英二(なかだてえいじ、1965年7月22日-)は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手である。三度の年度表彰を受賞した ヒシアマゾンなどに騎乗し、GI級競走3勝、通算1500勝以上を挙げている(2009年終了時点)。
来歴
| 1965年、東京都荒川区に生まれる。 |
| 父は競馬関係者ではなかったが、競馬評論家・予想家の宮城昌康と親交があり後に中舘は宮城の長女と結婚している。 |
| 、また母もパートタイムで中山競馬場内の馬券売り場に勤めるなど、競馬との繋がりを持つ家庭であった木村(1997)p.155。 |
| 中学校在学中に騎手を志し、その卒業後、中央競馬の騎手養成長期課程に第32期生として入所。 |
| この翌年から競馬会が千葉県白井市に競馬学校を開設したため、従来使用された東京都世田谷区の馬事公苑で養成された最後の世代となった。 |
| 主な同期生には木幡初広、出津孝一、天間昭一、鹿戸雄一、谷中公一らがいる。 |
| 自身の回想によれば、養成所では「馬乗りが半端じゃなく下手で、超劣等生」であったが『優駿』2009年4月号p.46、当時の教官であった中俣修の叱咤激励を受けて努力を重ね、1984年に騎手免許を取得。 |
| 2年次の厩舎実習を行った美浦トレーニングセンターの加藤修甫厩舎所属としてデビューを迎えた。 |
騎手時代
| 同年3月に初戦を迎え、5月6日にトドロキキングで初勝利を挙げる。 |
| しかし以後二度の騎乗停止処分を受けるなど精彩を欠き、初年度は7勝に終わった。 |
| しかし翌1985年は、加藤の後押しもあり39勝と躍進。 |
| さらに当年の秋から厩舎の期待馬であるアサヒエンペラーの主戦騎手を任された。 |
| しかし自身の騎乗ミスもあり皐月賞、東京優駿といった大競走でいずれも惜敗し、ファン・評論家等から批判を集める結果となった。 |
| 後に中舘は「あれがあったから、今もめげないで頑張れるんだと思います」と語っている。 |
| 以後は騎乗数の少なさもあり、長らく年間20-30勝前後の成績で推移する中堅騎手として過ごした。 |
| デビュー9年目を迎えた1992年、ブランドアートでフラワーカップを制し、重賞初勝利を挙げる。 |
| さらに翌1993年12月、ヒシアマゾンに騎乗して阪神3歳牝馬ステークスをレコードタイムで制し、GI競走初制覇を果たした。 |
| 中舘と同馬のコンビは翌1994年にGI・エリザベス女王杯を含む重賞6連勝を達成。 |
| 1995年には大きな獲得タイトルこそなかったものの、通年で戦線の中心を担う活躍を見せた。 |
| ヒシアマゾンの登場と前後して騎乗依頼が増え始め、1990年代後半からは関東の上位騎手として定着。 |
| 2000年以降は主戦場をローカル開催中央競馬場全10場のうち、東京、中山、京都、阪神を「中央」、それ以外の6場を「ローカル」と呼ぶ。 |
| に移して騎乗数を増やし『優駿』2009年4月号p.44、2001年には自身初の年間100勝を達成した。 |
| 2005年からは毎年100勝以上の成績を維持しており、2005年、2006年には目標としていたワールドスーパージョッキーズシリーズ出場を果たしている。 |
| 2007年にはアストンマーチャンでスプリンターズステークスを制し、ヒシアマゾンのエリザベス女王杯以来13年ぶりのGI勝利。 |
| 2009年3月には史上12人目となる通算1500勝を達成した。 |
騎手としての特徴
| デビュー4年目の1987年に、年頭から4ヶ月間未勝利を記録するスランプに陥った。 |
| このとき加藤から「追い込み馬でも構わないから、どの馬でもどのレースでもハナ行ってみろハナに行く=先頭からレースを進める、逃げるを意味する俗語。 |
| 」と助言され木村(1997)p.159、以来逃げ戦法を得意としている。 |
| 「逃げの中舘」とのイメージを完全に定着させたのは、大逃げで人気を博したツインターボとのコンビで『優駿』2009年4月号p.47、この頃には同じく逃げを得意とした2000勝騎手・増沢末夫に擬え、「増沢二世」とも称された木村(1997)p.153。 |
| また、増沢は福島競馬場を大の得意としていたが、やはり中舘も福島を得意としており、毎年福島開催の最多勝を獲得している。 |
| また、関西圏の中京・小倉での活動も増やしており、ローカルを主戦場として以降、勝利の半数以上は関西馬で挙げている『優駿』2009年4月号p.45。 |
| ローカル開催での活躍が顕著である一方、重賞・GI級競走での勝利が、通算勝利数といった数字上の実績からは極端に少ないことも指摘される。 |
| これについて中舘は、「表舞台で重賞・クラシックに乗るか、それとも裏に回って数多く勝つか。 |
| ぼくは迷うことなく後者を選びました」と語っている。 |
| この背景には、2002年まで「1000勝騎手は調教師免許試験の第一次が免除される」という規定があったことが大きく関係しており、将来調教師を目指すに当たり「まさかその恩恵がなくなるとは思わなかったので」1000勝を達成するためにローカルを回るしかないと決意したという。 |
| 大舞台を諦めてどのようにモチベーション保つのか、との問いに対しては、「確かにGIと未勝利戦での喜びの大きさは違うのかも知れないけど、どんなレースでもひとつ勝つと凄く嬉しいんです。 |
| 乗り役は、1着でゴールを過ぎてから馬を止めるまでの間に、なんともいえない充実感にひたることができるんです」と語っている。 |
表彰
| フェアプレー賞8回(1990年、1993年、1994年、1997年、2002年、2006年、2008年、2009年)。 |
| 優秀騎手賞(勝利度数部門)2回(2001年、2002年)。 |
| 中京競馬記者クラブ賞2回(2001年、2008年)。 |
関連項目
| 宮城昌康-義父(舅)。 |
| 専門誌『競馬ブック』の昭和期の看板予想家の1人、馬券攻略法の一つ「AB-XY方式」の発案者。 |
| 若松和子-義母(姑)。 |
| 昭和期の映画女優。 |
| タコさんウインナーの発案者。 |
| 岸朝子-妻の叔母。 |
| 料理評論家・記者。 |
| 渡邊喜八郎-「トウコウ」の冠名で知られる馬主。 |
| 競馬学校受験の際に助言を受け、加藤厩舎所属への仲介役ともなった木村(1997)p.156。 |
| 中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧。 |
参考文献
| 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1997年)ISBN978-4896912982。 |
| 『優駿』2009年4月号(日本中央競馬会)島田明宏「優駿ロングインタビュー中舘英二-この道に迷いなし」。 |
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1965年
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東京都荒川区に生まれる中舘 英二(なかだて ... |
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1984年
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騎手免許を取得 |
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