| 2002-2003シーズンからISUグランプリシリーズに参戦するにあたり、ショートプログラム(SP)に3回転アクセルを、フリーには単独の3回転アクセル、3回転アクセル-2回転トウループ、3回転フリップ-3回転トウループ、3回転ルッツ-3回転ループを跳ぶ攻撃的なプログラム構成を予定して競技会に臨んだ『StayGold』p.131。 |
| シーズン初戦の中部ブロック大会で3回転アクセルに成功すると、続くスケートアメリカではISU公認記録としては伊藤みどり、トーニャ・ハーディングに次いで3人目となる3回転アクセルに成功『littlewings』p.52『littlewings』p.58『StayGold』p.131,p.134、『素直な心が才能を伸ばす!』pp.65-66。 |
| さらに西日本選手権と全日本選手権では、3回転アクセル-2回転トウループにも成功した。 |
| 冬季アジア大会と四大陸選手権ではそれぞれ3位となり、荒川静香、村主章枝とともに日本人選手で表彰台を独占した。 |
| 2003-2004シーズンは中野にとって辛いシーズンとなった。 |
| 初めてISUジャッジングシステムのもとで行われたスケートアメリカでは3回転アクセルが回転不足と判定された。 |
| 旧採点においては回転不足であっても大技に挑戦することで一定の評価を受けたが、ISUジャッジングシステムでは大きく減点されてしまうため、得点が伸び悩んだ。 |
| そのため、次の試合からは3回転アクセルを回避した『応援ブック』p.61,p.64。 |
| 2003年夏からジェイソン・ダンジェンにペア転向の誘いを受け、シーズンオフには本格的な検討がなされた。 |
| 2004年3月には佐藤有香の紹介でジェレミー・アレンのトライアウトを受けた、アン・パトリス・マクドノーやナオミ・ナリ・ナムといった他の候補者を押しのける形でチーム結成を依頼された。 |
| しかし、迷いながらもシングルでの競技続行を決めた『応援ブック』pp.63-64。 |
| 2004-2005シーズン、早稲田大学の人間科学部eスクール(通信教育課程)に進学し、上京。 |
| 練習拠点も横浜に移し、佐藤信夫に師事するようになる。 |
| 2005-2006シーズン、東京ブロック大会で、国内競技会では初となるISUジャッジングシステムのもとでの6種類の3回転ジャンプに成功。 |
| 怪我の太田由希奈に替わって出場したNHK杯でGPシリーズ初優勝。 |
| GPファイナルでも初出場ながら3位に入る。 |
| しかし、全日本選手権で5位にとどまり、トリノオリンピック出場はかなわなかった。 |
| 四大陸選手権では銀メダルを獲得し、世界選手権では3回転アクセルを回避して5位に入った。 |
| 2006-2007シーズン、GPシリーズでは獲得ポイント6位タイながら総得点差でGPファイナル進出を逃した。 |
| 全日本選手権では初めて表彰台に上がる3位となった。 |
| 日本学生氷上競技選手権大会で3連覇を達成し、冬季アジア大会では村主章枝を逆転して初優勝。 |
| 東京開催の世界選手権では開会式で選手宣誓を行い、競技でも2年連続の5位に入った。 |
| 2007-2008シーズン、東京ブロック大会で3回転サルコウ-3回転ループに挑み(回転不足) |
| その後もスケートカナダ、ロシア杯、GPファイナルと立て続けに3回転アクセルを決めた。 |
| 全日本選手権は2年連続して3位に。 |
| 3年連続の代表となった世界選手権ではSP3位と好スタートを切り、最終滑走者として臨んだフリーでは、3回転アクセルが回転不足になったもののスタンディングオベーションを浴びる好演技を見せ『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック2008-2009』マガジンハウス、2008年10月、p.18『ファンブック2009』p.23,94『キャラクターブック2008-2009』p.18、4位となった。 |
| 2008-2009シーズン、GPシリーズスケートアメリカ、NHK杯では3回転アクセルを回避した。 |
| GPファイナルでは3回転アクセルに挑んだものの回転不足となり、その後もジャンプにミスがあって5位にとどまった。 |
| 全日本選手権はSPで首位に立ったものの、フリーでジャンプのミスが続き5位に沈み、四大陸選手権、世界選手権いずれの代表にも選ばれなかった。 |
| その後、ユニバーシアードで優勝してシーズンを締めくくった。 |
| 2009-2010シーズン、ジャパンオープンにて3回転アクセルに挑んだが転倒し、左肩を亜脱臼する。 |
| 肩が完治していない状態で臨んだGPシリーズエリック杯では3位と健闘したが、NHK杯では4位に留まり、GPファイナルへの出場を逃す。 |
| 全日本選手権ではSPで2位と好スタートを切ったが、フリーでは3回転ルッツが回転不足での着氷ミスなどが響き、2位の鈴木明子に僅か0.17点及ばず総合3位に終わる。 |
| 結果4年前のトリノ五輪に続いて、念願であったバンクーバーオリンピックの代表にも選出されなかった。 |
| 四大陸選手権と世界選手権の代表に選出されていたが、左股関節炎及び左肩亜脱臼の回復が思わしくないため欠場。 |
| またバンクーバー五輪開催中の2010年2月22日、既に日本スケート連盟へ引退届を提出していた事を、自身の公式サイトで表明した |