| 1925年(大正14年)、山形県鶴岡市生れ。 |
| 丸谷熊次郎(開業医)、千夫婦の次男。 |
| 1943年(昭和18年)に旧制鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。 |
| 中学校2年のとき、従兄弟で山本甚作(のちに画家)に小説家志望であることを告白し、山本と丸谷は美術団体の白甕会の会員であった( |
| 当時の優等生は陸軍士官学校か海軍兵学校に進むことを期待されていたにもかかわらず、校長の勧めを無視して東京の予備校に1年間通学し、1944年(昭和19年)に旧制新潟高等学校文科乙類に入学。 |
| 1945年(昭和20年)、召集によって山形の歩兵第32連隊に入営し、半年後に復学する。 |
| 1947年(昭和22年)、旧制新潟高校卒業後、東京大学文学部英文科に入学し、在学中中野好夫教授や平井正穂教授に師事して主に現代イギリス文学を研究、ジェイムズ・ジョイスを知って圧倒的な影響を受ける(卒業論文も「ジェイムズ・ジョイス」)。 |
| 1950年(昭和25年)、同大学院修士課程に進む。 |
| また修士課程時代には桐朋学園で英語教師として勤務した(当時の教え子に小澤征爾や高橋悠治がいる)。 |
| 1951年(昭和26年)、東京都立北園高等学校講師。 |
| 1952年(昭和27年)、篠田一士、菅野昭正、川村二郎らとともに季刊同人雑誌『秩序』を創刊し、習作を発表しはじめる。 |
| 高千穂高等学校講師。 |
| 1953年(昭和28年)、國學院大學講師に就任し、翌年(1954年・昭和29年)同大学助教授に昇進する。 |
| この職場において中野孝次らと知る。 |
| また10月、演劇批評家・根村絢子と結婚して、根村姓を継いだ。 |
| 1960年(昭和35年)、処女長編小説(本人によれば習作)の『エホバの顔を避けて』を刊行。 |
| 1964年(昭和39年)、國學院大學を退職。 |
| ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』(上下2巻)の共訳を行い、その技量によって注目される。 |
| 1965年(昭和40年)、東京大学英文科非常勤講師として2年間「ジェイムス・ジョイス」を講義。 |
| 1966年(昭和41年)、二つめの長編小説『笹まくら』、『梨のつぶて』刊行。 |
| 1967年(昭和42年)、『笹まくら』で河出文化賞を受賞し、『鐘』刊行、翌年(1968年・昭和43年)『年の残リ』刊行、芥川賞受賞。 |
| 1972年(昭和47年)、長編小説第三作『たった一人の反乱』で谷崎潤一郎賞受賞。 |
| 1974年(昭和49年)、評論『後鳥羽院』(1973年・昭和48年刊行)で読売文学賞受賞(この作より後歴史的仮名遣で作品を発表)。 |
| 1975年(昭和50年)、いわゆる「四畳半襖の下張事件」において、被告人野坂昭如の特別弁護人として活躍する。 |
| 1982年(昭和57年)、長編第四作『裏声で歌へ君が代』刊行。 |
| 1985年(昭和60年)には『忠臣蔵とは何か』を発表し、忠臣蔵における御霊信仰とカーニバル性について国文学者、諏訪春雄と論争を行う。 |
| 同作はこの年の野間文芸賞を受賞した。 |
| 1988年(昭和63年)、『樹影譚』で川端康成文学賞受賞。 |
| 1991年(平成3年)、『横しぐれ』の英訳(デニス・キーン訳、『''RAININTHEWIND''』)がイギリスのインディペンデント外国小説賞特別賞受賞。 |
| 1993年(平成5年)、長編第五作『女ざかり』がベストセラーとなり、翌年吉永小百合主演で映画化された。 |
| 1995年(平成7年)、鶴岡市名誉市民に推戴される。 |
| 1998年(平成10年)、芸術院会員就任。 |
| 1999年(平成11年)、評論『新々百人一首』が完結し、刊行。 |
| 2000年(平成12年)、大佛次郎賞受賞。 |
| 2003年(平成15年)、長編第六作『輝く日の宮』で泉鏡花文学賞受賞。 |
| 2004年(平成16年)、2003年度朝日賞受賞。 |
| 2006年(平成18年)、文化功労者に選ばれる。 |
| 2010年(平成22年)、『ジェイムズ・ジョイス「若い藝術家の肖像」訳注(改訳)』で読売文学賞(研究・翻訳部門)受賞。 |