| 大久保の名家の三男。 |
| 系図を遡ると平安時代に医学書『医心方』を著した丹波康頼に辿り着く。 |
| 祖父は薬学者の丹波敬三。 |
| 父は日本画家の丹波緑川、実弟の丹波明は音楽学者。 |
| 息子に俳優の丹波義隆と森正樹。 |
| 哲郎の妻は北一輝のいとこの娘にあたる |
| また、妻の兄の大蔵敏彦は弁護士で、四大死刑冤罪事件の一つ島田事件で被告人の無罪を勝ち取った人物である |
| 元大審院院長の林頼三郎は親戚。 |
| 丹波は杉並区西荻窪に永住したが、俳優として確固たる地位を築いた矢先、愛人と隠し子がいるとの騒動が勃発。 |
| しかし「こんなことはタクシーの運転手さんも知っているよ」とあっさり認めてしまった。 |
| 葬儀が行われた際、愛人とその子供が弔いに訪れた。 |
| 丹波義隆は気遣って席を外し、二人に別れの一時を与えた。 |
| 丹波は、二つの家族を分け隔て無く愛したゆえの出来事と言える。 |
| また、葬儀の際、義隆の長男が「祖父はいつも女性の身体を触っていた」と公表。 |
| 被害者(?)は義隆の夫人のみならず2人の孫娘など多岐に渡っていた模様。 |
| しかし当の本人達は笑って回顧していたことから、決して陰湿なものではなかったようである。 |
| 右目、右手が無い剣士、丹下左膳を演じる際、撮影の時に殺陣がやりにくいから左手、左目がないことにして刀を右で持つ、という提案をし、世間を驚かせた。 |
| 歴代の丹下左膳の中でも右手なのは彼が演じる丹下左膳のみである。 |
| また、主演も多い大物映画俳優としては屈指の出演本数の多さであり、「仁義なき戦い」シリーズでは写真だけの出演(モデルは田岡一雄)もあった。 |
| 彼の本によると『人間革命』(創価学会の戸田城聖原作)でシリアスな宗教家を演じた時期に東映の『ポルノ時代劇忘八武士道』(石井輝男監督)にも主演していた。 |
| 出演依頼は「二度断り三度目に応諾する。 |
| 5ページ以上の台詞がある仕事は受けない」というスタイルを守っていた。 |
| マネージャーの条件は「仕事を取って来ないこと」で、仕事を取りすぎるという理由で解雇されたマネージャーも複数いたという。 |
| また、現場では台詞を覚えてこないことで有名であった。 |
| 「なぜ台詞を覚えてこないのか」と聞かれると「仕事は家庭に持ち込まない主義だから」と答えた。 |
| 撮影では、机の上や壁、共演者の背中にカンニングペーパーが準備された。 |
| 「Gメン'75」等で共演した夏木陽介の著書によると「丹波ちゃんとは、同じ警視役で対等に付き合っていた。 |
| 丹波ちゃんは、新東宝を辞めてお金に苦労していた頃、柳家金語楼さんの付き人をしており、この金語楼さんが全く台詞を覚えてこず、カンニングペーパーを使っていたので、それを真似るようになったんだと思う」とのことである。 |
| ;海外での評価。 |
| 『007は二度死ぬ』への出演は、丹波は既に海外映画の経験があり、日常英会話による意志の疎通も可能だったために、制作スタッフから指名があった。 |
| スタッフが、浜美枝の英語の習得が遅々として進まないのに不安を持ち、それを丹波を通して浜美枝に伝えたというエピソードもある。 |
| ルイス・ギルバートとは『第七の暁』でも一緒に仕事をしており、プライベートでも交友があった。 |
| 海外(とくにヨーロッパ)では俳優・プロデューサーとして「テツロー・タンバ」の評価は高い。 |
| これは「ヤクザ映画」や「カルト映画」の俳優としてではなく、外国の映画祭にも精力的に足を運んだ時期があったことが関係しているが、このような丹波は日本ではあまり知られていない。 |
| ワンマン社長としてその名を知られた松竹の城戸四郎を、影でシロウちゃんと呼んでおり、不在の本社を訪ねては「シロウちゃん、いるかい」とふざけていたら、偶然本人がいたことで、城戸と言い争いになったこともある(キネマ旬報「大放言」より)。 |
| 軍隊時代の上官だった川上哲治からリンチを受けていた。 |
| 決定的だったのは「終戦後に『あのときは仕方なかった』と頭を下げて廻る、巧みに処世をする川上の人間性を見た瞬間だった」と自著で語っている。 |
| 東宝映画・『激動の昭和史沖縄決戦』出演の際、丹波は毎日遅刻で現場に入った。 |
| これはスターは定刻より遅く現場に入るという風習からの行動であり、スター・システムの東映では日常的な事であったが、ある日ついに共演者の小林桂樹から「これは東宝(作品)なんだ、明日からちゃんと定時に来るように」と説教されたという日本映画専門チャンネル「仲代達矢の日本映画遺産第五部時代劇の現場」(年齢は丹波が1つ上だが、芸歴では小林が先輩に当たる)。 |
| 心霊学の他、催眠術への造詣も深く、自ら催眠術を操れたという。 |
| 新東宝時代、社長の大蔵貢と会食した際、彼の愛娘に対し催眠術を掛けてやると持ちかけ、慌てて大蔵に止められたことがある。 |
| これは、当時大蔵が自社の女優を手当たり次第物色していたとして物議を醸していた最中のことであり、この一件はこのような大蔵の姿勢に対し、丹波が催眠術を掛けて逆に娘を物色するぞと皮肉ったものだった。 |
| 丹波の乗った車が交通違反で停められた際、丹波が警察官に「Gメンの丹波だが」と言ったエピソードは有名。 |
| この時の違反はスピード違反と語られることが多いが、丹波自身の談話によると、一方通行の逆走だったとのことであるDVD『Gメン'75FOREVERBOX』Vol.1映像特典「TALKALIVE」(東映ビデオ)。 |
| 『人間革命』出演後、創価学会の大会に招待された際、創価学会の活動をさかんに顕揚する講演をした後で「南無阿弥陀仏」としめくくり、場内を騒然とさせた。 |
| オロナミンCの初代CMキャラクターは当初、大村崑ではなく丹波になるはずだった。 |
| 嘉門達夫は丹波の発言やキャラクターをもとにした楽曲『タンバでルンバ』を発表し、それが機縁となりTBSドラマ『結婚してシマッタ!』で丹波の秘書役として共演した。 |