| 品川区立城南第二小学校では政治家の丹羽雄哉と同級生だった。 |
| 1960年-武蔵工業大学付属中学校(現東京都市大学付属中学校)卒業。 |
| 1963年-東京都立大学附属高等学校卒業。 |
| 高校在学中はアルバイトと勉強に明け暮れる。 |
| 1967年-早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、TBSにアナウンサーとして入社。 |
| 同期に、若林貴世志(現TBSHD取締役相談役)、宮内鎮雄、林美雄、青木靖雄、川戸恵子がいる。 |
| 1年後輩の小島一慶は同学年の同僚。 |
| アナウンサーを志したいきさつは、自身曰く「学生時代演劇活動に明け暮れていて成績が悪く、一流企業の推薦が取れなかったから」であるという。 |
| このときの部の仲間に長塚京三や田中真紀子がいる。 |
| なお、この時点ですでにマスコミとりわけアナウンサー職の倍率は高騰しており、「記念受験」程度の志で受かるものではなかった。 |
| 入社直後、激務と極度のアガリ症から体調を崩し、結核を患った。 |
| 1970年4月-『パックインミュージック』金曜担当パーソナリティに抜擢されるが病気によりわずか1か月で降板。 |
| 1970年5月-この月からスタートした『永六輔の土曜ワイド』の中継レポーターを務める。 |
| 1975年10月-『料理天国』レギュラー(〜1980年)、『ぴったしカン・カン』司会として、全国的な人気を得る(〜1984年5月)。 |
| 1978年1月-『ザ・ベストテン』司会(〜1985年4月)。 |
| 同年4月-『土曜ワイドラジオTOKYO』パーソナリティー(〜1985年3月)。 |
| 1979年6月-TBSを退社。 |
| 1980年4月-『おしゃれ』司会(〜1987年3月、日本テレビ)。 |
| 以降、民放各テレビ局を中心に活躍する。 |
| 1983年-『がん戦争シリーズ』(1983年〜、テレビ朝日)、『久米宏のTVスクランブル』(1982年〜1985年、日本テレビ)の司会に。 |
| 1985年10月7日-テレビ朝日の夜の大型ニュースショー番組『ニュースステーション』がスタートし、メインキャスターを務める。 |
| フランクな司会ぶりは民放の報道番組に変革をもたらし、賛否両論を呼んだ。 |
| この間、引き続き『がん戦争シリーズ』など単発番組の司会は務めた他は、ほぼ『ニュースステーション』に専念。 |
| おしゃれの終了と同時に、完全にこの番組一本となった。 |
| 1989年10月10日-『ニュースステーション』の企画「ジャイアンツエイド'89」での公約を守り、プロ野球読売ジャイアンツ優勝を受けて丸坊主になる。 |
| さらに11月3日、日本シリーズを制した時の公約に従い、他局である日本テレビの夕方に放送されていた徳光和夫メインキャスターのニュース番組『NNNニュースプラス1』に出演し『読売ジャイアンツ、バンザイ』と叫んだ。 |
| この一件は翌日の朝のワイドショーでも話題として採り上げられた。 |
| さらに、当時リクルート事件などで頻用されていた『ケジメ』という言葉が、この一連の出来事を伝える際にも使われるようになり、その結果、1989年版の現代用語の基礎知識流行語部門で『ケジメ』という言葉が銀賞を獲得した時、その言葉の代表例として久米宏の名前が表記された。 |
| 1990年4月-TBSラジオの特別番組『大沢悠里のそれ行け!ラジオ天国』に出演。 |
| パーソナリティの大沢悠里、永六輔とラジオをテーマに鼎談を行う。 |
| 1994年9月25日-ほぼ7年ぶりの日本テレビ出演となった『スーパースペシャル'94・久米宏の道徳の時間』の司会を務める(視聴率25.3%)。 |
| なお、この道徳の時間はその後、1995年6月に第2弾、1996年2月に第3弾が放送された。 |
| 視聴率の伸び悩みや日本テレビ側からの第4弾出演依頼を固辞したことなどにより、第3弾で打ち切りになった。 |
| 1995年2月-TBSラジオの戦後50年特別番組『久米宏のトークスクランブル』で10年ぶりにパーソナリティーを務める。 |
| アシスタントには『ニュースステーション』共演者の小宮悦子を迎え、5時間の生放送を行った。 |
| 1996年10月-『ニュースステーション』でのインドのルポの中で、インド人がよどみない日本語で話をする映像を見て、「しかし、外人の日本語は片言の方がいいよね」と発言、直後から有道出人の猛烈な抗議を受ける。 |
| ただし大きな問題として表面化はせず。 |
| またトニー・ラズロが代表をつとめる、一緒企画からも回答願を出されている。 |
| 2006年12月1日になって、久米本人から有道に対し当発言に対する謝罪のメールがあったhttp://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200612210282.html。 |
| 1999年2月1日-『ニュースステーション』のダイオキシン問題に関する特集で埼玉県所沢市の葉物(実際には煎茶)から多く検出されたと伝えた。 |
| これにより、埼玉県所沢市産のホウレンソウなど野菜の価格が風評被害により暴落ニュースステーション#所沢ダイオキシン訴訟。 |
| その後、2004年6月16日にテレビ朝日が農家側に謝罪して1000万円で和解している。 |
| 同年10月6日-気力・体力の問題により『ニュースステーション』を降板。 |
| 自身のウェブサイト・著書ではこの期間を「無職」としている。 |
| テレビ朝日は「休暇」としていた。 |
| 2000年1月4日-『NEWSSTATION』に復帰。 |
| ヒゲ姿で登場した。 |
| 写真入りで「久米ヒゲ復帰」などの見出しが新聞各紙を飾った。 |
| 番組はリニューアルされ、ロゴがカタカナ表記から英字表記に改められる。 |
| 2004年3月26日-『NEWSSTATION』の放送最終日。 |
| エンディングでは、「今まで頑張った自分へのご褒美」と称してビールを飲んで締めくくり、60歳を目前にして18年半のメインキャスター生活にピリオドを打つ。 |
| 番組の終了の際、他局でも「ニュースステーション終了」が取り上げられたり、裏番組である『筑紫哲也NEWS23』の筑紫哲也が番組内でコメントするなど、反響が大きかった。 |
| 同年9月20日-半年間の休養後、ニッポン放送1日ジャック『久米宏と1日まるごと有楽町放送局』で復帰。 |
| 2005年4月13日-フジテレビの『トリビアの泉』にて、久米の応募したトリビアが採用される。 |
| 「目標は、1人15へぇ出してくれるとして、トータル75へぇはいきたい」と宣言したが、結果は30へぇに留まった。 |
| なお「銀の脳」を獲得している。 |
| トリビアの内容は「ルイ・ヴィトンではロゴ入りの箸を作ったことがある」だった。 |
| なお、このトリビアは2度目の投稿であり、採用されたトリビアでは「“元”ニュースステーションキャスター」だった。 |
| なお、最初に投稿した時の肩書きは「ニュースステーションキャスター」だったが、採用される日を待っているうちに『ニュースステーション』が終了した。 |
| 同年4月17日-日本テレビの日曜20時枠で、1年ぶりのテレビ復帰となるレギュラー番組『A』が鳴り物入りでスタートするものの、低視聴率に伴い6月19日にわずか1クール(実際には2か月)で打ち切りになった。 |
| 同年9月11日-TBSで放送の第44回衆議院議員総選挙の特別番組(開票速報)『乱!総選挙2005』で、スペシャルアンカーとして参加し、『筑紫哲也NEWS23』の筑紫哲也と1991年のプロ野球日本シリーズにゲストに出演して以来、実に14年ぶりの共演となった。 |
| 視聴率は、関東で15.6%、関西で18.2%と民放トップとなった。 |
| 同年12月-USENの動画配信サイト「GyaO」で、レギュラー番組『久米宏のCARTOUCH!!』がスタート。 |
| 久米本人が長年やりたかった番組とのことで、企画構成司会の3役をこなしている。 |
| 2006年6月-自らドイツへ行って、サッカーワールドカップの取材を行う。 |
| 同年8月、21年ぶりに、古巣のTBSの番組に復帰することを発表。 |
| 10月開始のラジオ番組『久米宏ラジオなんですけど』でパーソナリティを務める。 |
| 同じ時間帯に久米がTBSに入社した年と同じ1967年に文化放送に入社したみのもんたの番組があり、さらにニッポン放送が同じ時間帯に小倉智昭をパーソナリティに起用。 |
| 2007年5月-『久米宏ラジオなんですけど』の功績が認められ第44回ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞を受賞する。 |
| 同年7月23日-週1回4週にわたって、『報道ステーション』の裏番組『テージセー〜1461日の記憶〜』(日本テレビ)に出演した。 |
| 同年12月10日、17日にフジテレビ系列ドラマ『ガリレオ』に、自身29年ぶりのドラマ出演を果たした。 |
| フジの鈴木吉弘プロデューサーによると、久米の起用は福山雅治に相談している中で生まれたという。 |
| 2008年6月1日-『久米宏・経済スペシャル“新ニッポン人”現わる!』(テレビ東京)に出演。 |
| これにより、民放全局制覇を果たした |
| なお、VTR出演としては前出の「久米宏と1日まるごと有楽町放送局」が放送された週の「ワールドビジネスサテライト」で特集した企業のVTRで映っていた。 |
| 2008年10月22日-『久米宏のテレビってヤツは!?』放送開始。 |
| 2009年4月15日-『クメピポ!絶対あいたい1001人』放送開始。 |
| 2011年3月18日-東北地方太平洋沖地震発生により創設された朝日新聞社と朝日新聞厚生文化事業団による「東日本大震災救援募金」に個人名義で2億円を寄付した |