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〔高前田乾隆窯〕 〒988-0161宮城県気仙沼市赤岩字高前田222 ℡0226−23−6603 都会でサラリーマンをしていると、いつか故郷に帰り、故郷の素材で物つくりをして見たいとふと考える。焼物など民芸が好きな人なら、よくあるはずだ。これは手打ち蕎麦愛好者の場合も然り。しかし、一歩踏み出す勇気もなく、歳月が過ぎていくのが現実だ。 だが、夢想に終わらせず、実現した陶芸家がいる。番外編として紹介しよう。 気仙沼市、高前田乾隆窯(けんりゅうがま)の斎藤乾一(けんいち)さん、66歳である。 斎藤さんは地元の気仙沼水産高校水産製造科を出て、東京の水産会社に入社、冷凍技術者として10年間働き、その間、明治大学の夜間部で学び、デザイン関係の仕事をしようと広告会社に転職した。バブルの最盛期だったが、スモッグなど環境汚染は深刻になり、広告業界も誇大広告が多くなった。繁栄の裏で進む崩壊の ... もっと見る
〔高前田乾隆窯〕 〒988-0161宮城県気仙沼市赤岩字高前田222 ℡0226−23−6603 都会でサラリーマンをしていると、いつか故郷に帰り、故郷の素材で物つくりをして見たいとふと考える。焼物など民芸が好きな人なら、よくあるはずだ。これは手打ち蕎麦愛好者の場合も然り。しかし、一歩踏み出す勇気もなく、歳月が過ぎていくのが現実だ。 だが、夢想に終わらせず、実現した陶芸家がいる。番外編として紹介しよう。 気仙沼市、高前田乾隆窯(けんりゅうがま)の斎藤乾一(けんいち)さん、66歳である。 斎藤さんは地元の気仙沼水産高校水産製造科を出て、東京の水産会社に入社、冷凍技術者として10年間働き、その間、明治大学の夜間部で学び、デザイン関係の仕事をしようと広告会社に転職した。バブルの最盛期だったが、スモッグなど環境汚染は深刻になり、広告業界も誇大広告が多くなった。繁栄の裏で進む崩壊の兆し、大都会の暮らしに矛盾を感じ、気仙沼に戻った。そして、栗原市金成町、大久保窯・村上世一さんに弟子入りし焼物を学んだ。 3年後の昭和53年、独立し故郷に窯を築いた。経済的にはゼロからのスタートで、水産高校の同級生たちや地域の人の支援を受けた。高校時代、生徒会長などをしていた斎藤さんの人柄と、気仙沼に焼物を−というその意気込みに共感したからだろう。 100年ほど前、旧松岩村平貝(気仙沼市松岩)で堤焼の職人を呼んで始めた登り窯があったことも大きな刺激になった。現在、乾隆窯の陶土はすべて自分で探し当てた地元のものばかり。難しい土だが独特の力強さがある。そのなかで海の藍よりも濃い瑠璃(るり)色を自分のカラーとして作り上げた。 河北工芸展、国展などに入選を重ね、国際陶芸展入賞し、アメリカ・カリフォルニア大バークレイ校などでワークショップを開いた。バークレイには縁があり、個展も何度か開いた。 4年前にはスペイン・バルセロナ国際ビエンナーレに招待出展している。 3月下旬、仙台市青葉区の晩翠画廊で「斎藤乾一 作陶30周年展」を開いた。展示作品はおよそ150点。食器、花器、陶板など。白釉、飴釉などはわずかで、主流は個性ある瑠璃色の作品だ。 「私はまだまだ修業の途中。ふるさとの土くれを私の手でよみがえらせ、焼物として生かしたい」と前を見つめる斎藤さん。 登り窯は年に2,3度焼く。今度は5月末か6月上旬に焼く予定。見学も歓迎だ。電話で事前に連絡すればいい。 〔写真説明〕 自分の作品を語る斎藤乾一さん=仙台・晩翠画廊の個展で 戻る
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