| ;2005年-2007年。 |
| 外野手に転向。 |
| 2005年は、2軍で打率.320、10本塁打、6盗塁と活躍し、シーズン終盤に1軍昇格。 |
| プロ初安打・初打点を記録した。 |
| 2006年、3月31日の横浜ベイスターズとの開幕戦に8番・右翼手で出場。 |
| 3打数2安打4打点と活躍。 |
| 6月29日には横浜山口俊からプロ入り初本塁打を放った。 |
| シーズン中盤に打撃不振に陥り、肋骨骨折など故障もあって矢野にレギュラーを奪回され2軍降格。 |
| 141打数で四球5、出塁率.233と低迷した。 |
| 2007年に背番号を35に変更。 |
| 1番打者候補と期待されたが、1軍出場はプロ入り後最少となる20試合にとどまった。 |
| この間2006年10~11月にはハワイ・ウィンターリーグに参加するなど、積極的に技術面やメンタル面の鍛錬を行っている。 |
| 中央大学の先輩の阿部慎之助、堀田一郎(現チーム二軍マネージャー)と、「ズームイン!!サタデー」内のコーナー『プロ野球熱ケツ情報』で「中3トリオ」を結成。 |
| 亀井は「三男」という位置づけ。 |
| 2005年シーズンオフに夫人と入籍。 |
| 2006年8月11日に長男を授かる。 |
| 谷佳知の不振により開幕6試合目にスタメンに起用されると、1番・高橋由伸、3番・小笠原道大と共にチーム9年ぶりとなる3者連続ホームランを放つ。 |
| 5月からは1番打者に定着したが、5月26日の日本ハム戦で、右足関節を捻挫。 |
| 7月25日に1軍復帰するが、谷との併用が続いた。 |
| 中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズでは第1戦で負傷した鈴木尚広に代わり第2戦から1番でスタメン出場。 |
| 14打数7安打1打点の活躍で日本シリーズ出場に貢献。 |
| 日本シリーズにも出場し、最終戦では5番を打った。 |
| 開幕前、第2回WBCの代表に選出される。 |
| 規定打席に達したことすらなかったものの、亀井の守備を高く評価していた高代延博コーチの強い推薦によるものだった「WBCに愛があった」(高代延博著、ゴマブックス刊)より。 |
| 出場機会は多くなかったが、3試合の出場で1安打1犠打1盗塁を記録。 |
| シーズンでは1番・右翼手で開幕スタメンの座を得るも、当初は調子が上がらず谷と併用された。 |
| しかし、4月25日の対中日戦で左腕の岩瀬仁紀から代打逆転サヨナラ3ランを放つなど、調子を上げるにつれて投手の左右に関わらずスタメンで起用されるようになる。 |
| 李承燁の不調により中盤からは5番に定着、以降は一塁手としての起用も多くなる。 |
| また「2の腕」をリラックスさせて小さく構えていたが、ラミレスなどからアドバイスを受け週刊ベースボール9月7日号より、大上段にバットを大きく構える打撃フォームに変更。 |
| 6月下旬に25打席無安打、8月には28打席無安打とスランプを経験したが、シーズン25本塁打のうち18本塁打、74三振のうち50三振を7月以降に記録した。 |
| 球団記録に並ぶ3本のサヨナラ本塁打を放ち、初の規定打席に到達。 |
| 日本ハムとの日本シリーズでも第5戦での武田久からの同点本塁打が評価され、優秀選手賞を受賞し、チームの7年ぶりの日本一に貢献。 |
| 初のタイトルとなるゴールデングラブ賞を外野手として受賞した。 |
| 開幕から5番に起用されたものの前年の活躍から一転して不振に陥り、度重なる故障もあって3度の登録抹消を経験、打率.185、5本塁打、17打点の成績でレギュラーシーズンを終えた。 |
| 10月16日に出場選手登録されクライマックスシリーズに出場。 |
| 11月6日、減額制限を上回る30%減の4200万円に同意して契約更改した |
| 秋季練習では「たぐいまれな器用さがある」 |
| 復活を期し、シーズンオフにはオーストラリアン・ベースボールリーグに参加するなど、精力的に動いた。 |
| また1月に登録を外野手から内野手に変更している。 |
| 開幕はオフに三塁手として補強したラスティ・ライアルに譲ったが、そのライアルの不調や他の野手の負傷が相次いだことなどで、徐々に出場機会が増えた。 |
| 5月14日の広島東洋カープ戦では、本塁打・三塁打・二塁打を打ち、あとシングルヒットを打てばサイクル安打達成となる程の活躍を見せた(第4打席で凡退し、サイクル安打は未達成)。 |
| しかし、この試合前の練習中にノック打球の直撃を受けており、翌15日に右手薬指を骨折していたことが判明、チームを離脱した。 |
| 6月11日に復帰して不振の坂本勇人に変わって1番でスタメン出場して自身初の先頭打者本塁打を放った。 |