| 150cm程の小柄で痩せた体つきに、童顔であったため、20代後半になっても子供と間違われる事がたびたびあったという。 |
| 夜分遅く、仕事帰りに町を歩いていたら、警察に「お嬢ちゃん」と呼び止められ、既に人妻(後に離婚)であり、年齢・経歴を話しても信じてもらえなかったというエピソードが存在する。 |
| 人見知りが激しい性格でも、偏見のない見方ゆえに、人種を超えて人との交友が持てた。 |
| 明るくインテリな性格の反面、行動力には優れており、思い立つとすぐに実行するタイプであった。 |
| 数々の海外旅行はその例である。 |
| (「南洋じゃ美人」井上瑤著より)。 |
| 1984年2月末から1985年5月上旬まで、1年3ヶ月に渡ってインドなど6カ国へ旅行。 |
| インドには6ヶ月半滞在した「セイラさん、おかえりなさい井上瑤が肌で感じた日本と外国の差!1年3か月のインド旅行体験報告記」『アニメージュ』1985年10月号。 |
| この旅行のために、『うる星やつら』のラン役など当時レギュラーで出演していたキャラクターは、一旦すべて降板した。 |
| ラン役は小宮和枝が引き継いだ。 |
| 『機動戦士Ζガンダム』にセイラが登場した時台詞が無かったのは、このためだと言われている。 |
| ちなみにシャア・アズナブル役の池田秀一からは「アルテイシア」と呼ばれていた。 |
| 占い師として、人気絶頂の頃のYMOを1983年頃活動を終えると予言したり(坂本龍一を姓名判断した際、細野晴臣と衝突、分裂するだろうと予言)、テレビで見た人物に対して「近々、いいことがありそう」などと評して的中させたという。 |
| また『スネークマンショー』で共演した伊武雅之に「名前の最後の字を2画の字にするといい」とアドバイスし、伊武はそのアドバイスを受け入れ、現在の芸名・伊武雅刀に改名した。 |
| 社交的で人当たりが良く、自宅で『ガンダム』時の声優共演陣を持て成したと言う。 |
| 裁縫・料理ともに得意で、スタジオ内で声優仲間に手作りの食べ物をわけたり、非常にもてなしの精神に富んでいた。 |
| シャア・アズナブル役の池田によると、井上瑤はセイラ・マス役でもミスを出さないほど、役への入れ込み・声優としての実力において優れていたという。 |
| (「シャアへの鎮魂歌」池田秀一著より)。 |
| 井上瑤がとりわけ気に入っていた作品としては、NHK「こどもにんぎょう劇場」を本人が挙げている。 |
| ラジオ形式の仕方でとられるこの作品は、井上瑤の録音後それにあわせて人形が動くため、井上瑤の演技が問われるところとなり、本人はこどもの反応などを注意しつつ演じていた。 |
| こどもに想像力を与えるこうした作品は、井上瑤にとって非常に大切であったという。 |
| (「青春ラジメニア 声優バケツリレー」1990年10月13日放送より)。 |
| オーストリア人の夫(ピーター)とは南インドで知り合い、交際後結婚。 |
| 池田著の「シャアへの鎮魂歌」によると、井上瑤が母親の死により意気消沈していた頃、「インドが呼んでいる気がする」という直感のもと、泣く泣くインドへ旅行。 |
| その先で予感を裏付けるかのごとく、夫と知り合うことになる。 |
| その夫が先立った後散骨の為オーストリアへ渡航したが体調不良の為帰国し、癌に侵されている事が発覚。 |
| その後約二年間の闘病後永眠に至った。 |
| 夫と井上瑤の遺骨は遺族により夫が一番好きだったオーストリアの田舎にある古城に散骨された。 |
| シャア役の池田もアムロ・レイ役の古谷徹も、彼女の訃報を聞いた時は非常に悲しんだという。 |
| 「大好きだったお母ちゃんとピーターの傍で幸せにね!!」と言う古谷の談話は涙を誘った(『ガンダムエース』での古谷徹の追悼文より)。 |