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プロフィール
- 井上陽水とは
- 人物
- デビュー前
- アンドレ・カンドレ時代
- ポリドール時代
- フォーライフ時代〜第二次陽水ブームまで
- フォーライフ時代〜『九段』まで
- 『GOLDEN BEST』とその後
- 逸話、関連人物など
井上陽水(いのうえようすい、1948年8月30日-、本名:井上陽水(いのうえあきみ))は、日本のシンガーソングライター。血液型AB型。身長178cm。
人物
| 福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)出身。 |
| 本名は井上陽水と書いて「いのうえあきみ」と読む。 |
| 1970年代には吉田拓郎と双璧をなし、フォークソング界あるいはニューミュージック界を牽引した。 |
| 1973年発売のアルバム『氷の世界』は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録する。 |
| その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベストアルバム『GOLDENBEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持し、日本ポピュラーミュージック界の最重要人物の一人として活躍し続けている。 |
| デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。 |
| コンサートやテレビ番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲の随所に見られる。 |
| 2人目の妻である石川セリとの間に一男二女がおり、長女は作詞家・歌手の依布サラサである。 |
デビュー前
| 高知県幡多郡佐賀町出身の父は、元軍医で朝鮮半島からの引揚者 |
| 引き揚げ後炭鉱で働いていたが、陽水が生まれてまもなく福岡県田川郡糸田町で歯科医を開業した。 |
| 母は福岡県直方市の出身。 |
| 兄弟姉妹は他に姉1人、妹1人。 |
| 家業を継いで歯科医になることを期待されていた。 |
| 1953年、糸田町に引っ越す。 |
| 以来、デビュー時の上京まで約15年間を糸田町で過ごす。 |
| 田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという五木寛之・井上陽水『青空ふたり旅』、ペップ出版、1976年、p285。 |
| 糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。 |
| 糸田小学校時代に陽水の大好きだった大きな瞳の月森先生の為に町内会の「のど自慢大会」で合格の鐘を鳴らした事がある。 |
| 同時に宿題を忘れたことを帳消しにしてもらっている。 |
| また、糸田中学時代にFMラジオを聴こうとしてFMアンテナを設置する際、自宅の屋根から隣の友人宅の庭先に転落した事もあるが無傷だったらしい。 |
| 西田川高校時代に所属していた「弓道部」では男性用の弓ではなく女性用を使っていたとのこと。 |
| その弓で昇段試験に挑んだが、会場が小高い丘の上にある田川体育館だった為、強風にあおられて矢がひどく揺れ、本人にとって悲しい結果となってしまった。 |
| 的に当たらなくても昇段できるとう。 |
| 1963年、ラジオで知ったビートルズに熱中する。 |
| 1966年前後に、はじめて歌を作る。 |
| この歌は当時付き合っていた女の子を歌ったもので、ごく短く、題名もついていないが、デビュー後にはコンサートでときおり歌われることになる。 |
| 1967年、九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。 |
| この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。 |
| 浪人時代も音楽に熱中していた。 |
| 二浪目の1969年「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ『青空ふたり旅』、p70-71自著『媚売る作家』角川書店、1993年、p49、251、自著『ラインダンス』、新潮社、1982年、p30。 |
| ギターを見よう見まねで始める。 |
| 1968年、再度の受験にも失敗する。 |
| 1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めて歌手を志す受験に失敗した原因について、のちに「天才的頭脳がない」「裏口入学させられるほど金持ちの親がいない」(『断絶』の歌詞カード)、「ビートルズ」「女性」「受験慣れ」(『もどり道』のインナースリーブ)などとコメントしている。 |
アンドレ・カンドレ時代
| 1969年6月に生活の本拠を東京に移すが、しばらくは転々と居所を変えていた。 |
| 同年、RKB毎日放送のラジオ番組「スマッシュ!!11」が放送開始される。 |
| この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は「カンドレ・マンドレ」を自宅録音し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む。 |
| このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、「スマッシュ!!11」のディレクターの野見山実が難色を示し、芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。 |
| 「カンドレ・マンドレ」は「スマッシュ!!11」で放送され、数多くのリクエストを受ける。 |
| ただしリクエストのかなり多くは、陽水が友人にはがきを配って頼んだためのものだったという『媚売る作家』、p50-51。 |
| この(仕組まれた)反響から、「カンドレ・マンドレ」は東京で改めてレコーディングされ、同年9月1日、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からアンドレ・カンドレのデビューシングルとして発売される。 |
| 演奏は六文銭、編曲は小室等が担当した。 |
| 陽水は「カンドレ・マンドレ」のヒットを確信していたが、実際にはほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛と加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わる。 |
| こうしたプロデビューの経緯から陽水自身が「僕はアマチュア経験がない」と話すように、本格的な音楽・創作活動の始まりはプロデビュー後となる「LIFE井上陽水40年を語る」NHK教育、2009年8月24日。 |
| 作詞法で最も影響を受けたというボブ・ディランを知ったのも小室等からという「LIFE井上陽水40年を語る」、2009年8月25日。 |
| シングル3枚でアンドレ・カンドレの活動は終わり以後、深く潜行。 |
| しかし、これらの作品では、以後にない、無理をしない甘い歌唱が聞ける。 |
| またジャケット写真にはいずれもサングラスをかけ、髪はなでつけて写っている。 |
| この時期に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。 |
| 特に小室等からは、以後のヒットに恵まれるまでの間にさまざまな形で援助を受け、また清志郎とは「帰れない二人」「待ちぼうけ」などを共作する。 |
ポリドール時代
| 1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。 |
| このとき来生たかおがフォークギターで参加している。 |
| このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水-ようすい」と書くという。 |
| 奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がこの二文字で若者にインパクトを与えている。 |
| だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てたあの日フォークが流れていた、シンコー・ミュージック、p76-78。 |
| 翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。 |
| ここで陽水は歌唱に嗚咽を交えるなど、感傷を強調しており、『氷の世界』(後述)までの作品は同様の作風で貫かれることになる。 |
| また「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。 |
| 5月にアルバム『断絶』がリリースされると、同アルバムに収録された「傘がない」が富澤一誠などの批評家に注目される。 |
| 陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から |
| 陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴもどり道』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている。 |
| 翌1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴもどり道』がリリースされるに至る。 |
| 人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。 |
| 『氷の世界』の影響で以前の作品が注目され、「人生が二度あれば」「愛は君」「傘がない」「つめたい部屋の世界地図」「東へ西へ」「夜のバス」「夏まつり」「神無月にかこまれて」「紙飛行機」「能古島の片想い」などが人気を博する。 |
| これらの作品は四畳半フォークに通じる叙情的な色合いを持っている。 |
| また「東へ西へ」などには超現実主義的な歌詞がすでに現れている。 |
| これについて陽水は「ボブ・ディランの影響を受けた」と語っている。 |
| さらに「たいくつ」「自己嫌悪」など内省的な作品が多いこともこの時期の大きな特徴である。 |
| ただし『二色の独楽』はロサンゼルスでレコーディングされ、演奏にジャック・ニッチェやジーン・ペイジを迎えたものであり、サウンドが『氷の世界』以前のフォーキーな作風から一転してロック色を帯びている。 |
| ポリドール時代には理由は諸説あるが一度もテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。 |
| シングル「人生が二度あれば」から『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。 |
| しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」を以降著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。 |
| 1974年1月17日、熊本県出身の女性アルバム『二色の独楽』のジャケットにはこの女性とのツーショットが掲載されている。 |
| 同年のシングル「闇夜の国から」はこの結婚を意識した作品とされている。 |
| 1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。 |
| また、後に結婚する石川セリと出会う。 |
フォーライフ時代〜第二次陽水ブームまで
| 1976年2月、離婚。 |
| 1977年、石川セリのアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。 |
| 「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。 |
| 同年9月10日、大麻所持容疑で逮捕され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。 |
| 9月22日に保釈され、10月11日には懲役8か月、執行猶予2年の判決を受ける。 |
| 1978年8月30日、30歳の誕生日に石川セリと結婚、同年12月16日には長男が産まれている。 |
| 1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を務め、1980年のアルバム『EVERYNIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。 |
| さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二は、その後BANANAなどの名前で陽水の作品に多く携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。 |
| 1982年、バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。 |
| さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。 |
フォーライフ時代〜『九段』まで
| 1988年9月、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。 |
| リリース直後はそれほどでもなかったが、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMに使われてから売り上げを伸ばした。 |
| 「シングル「少年時代」はロングセラーとなり、1997年7月には日本レコード協会からミリオンセラーに認定された『日刊スポーツ』2007年12月15日付。 |
| 1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-upShadow」(2007年にはトヨタ・ブレイドのTVCFソングとしても使われた)がヒットし、第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する。 |
『GOLDEN BEST』とその後
| 2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒットし、日本のポピュラー音楽において2003年ごろまで続くカバー・ブームの先駆けとなる。 |
| 『GOLDENBEST』以後の活動は、『UNITEDCOVER』とセルフカバーアルバムの『BlueSelection』をリリースし、1999年から2006年まで、2004年を除いて毎年全国ツアーを行うなど、歌うことに関しては活発だが、自作の新曲は少ない。 |
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1948年
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井上 陽水(いのうえ ようすい、、本名:井上... |
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1953年
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糸田町に引っ越す |
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