| 今田はプロ転向後、PGAツアーの下部組織、ネーションワイド・ツアー(当時の名称は「バイドットコム・ツアー」(BUY.COMTOUR)に参戦を開始する。 |
| この年に「バージニア・ビーチ・オープン」で初優勝を挙げた。 |
| しかしこの後、レギュラー・ツアーの「クオリファイイング・スクール」(通称Q-School)の通過に失敗が続く。 |
| 2002年に2軍組織の名称は「バイドットコム・ツアー」から「ネーションワイド・ツアー」に変更される。 |
| 2004年、今田はネーションワイド・ツアーの「BMWチャリティープロアマAtTheCliffs」(サウスカロライナ州開催)で優勝し、賞金ランキング3位に入った。 |
| 以前は2軍(バイドットコム・ツアー→ネーションワイド・ツアー)からレギュラー・ツアーへの昇格条件は年間賞金ランキング「15位以内」であったが、2004年度から「20位以内」と枠が広げられたため、この資格で今田は2005年度レギュラー・ツアーのシード権を獲得し、PGAツアーのメンバーとなった。 |
| 2005年度の今田は「ブーズアレン・クラシック」の5位入賞が自己最高成績であったが、全米オープンゴルフで15位に食い込んだ。 |
| こうして年間賞金ランキングは121位となり、2006年度もレギュラー・ツアーのシード権を維持した。 |
| なお、年間賞金ランキングを125位以内で終えることがシード権確保の条件である。 |
| 2006年度は、シード選手として丸山茂樹、田中秀道とともにPGAツアーにフル参戦する。 |
| 同年6月、全米オープン選手権で通算9オーバー(289ストローク)の12位と奮闘、4大メジャー大会自己最高位でフィニッシュした。 |
| 優勝したジェフ・オギルビーとは4打差だった。 |
| 2007年度のAT&Tクラシックでは2日目に首位タイに躍り出ると、最終日まで首位タイを守り、同年のマスターズを制したザック・ジョンソンとのプレーオフとなったが、1ホール目の第2打を池に入れてしまい惜しくも敗れた。 |
| この年はEDSバイロンネルソン選手権でも9位に入り、年間賞金ランキングは前年の92位から65位まで上昇した。 |
| 2008年度は年明けから好調を維持しタイガー・ウッズが4連覇を果たしたビュイックインビテーショナル(TorreyPines,SanDiego,CA)でタイガーに次ぐ単独2位となった。 |
| 特に最終日風と雨の天候の中、9つのバーディパットを決めスコア自体も最終日はタイガーを凌駕した。 |
| さらにポッズ選手権でも2位タイと好調を維持しており世界ゴルフ選手権のCA選手権に出場し34位となる。 |
| 日本ツアーへの凱旋も期待されるが、本人の最終目標はマスターズの優勝とかつて語ったことがある。 |
| 2008年5月18日、アメリカPGAツアーのAT&Tクラシック最終日、首位から3打差でスタートして激しい追い上げを見せ、ケニー・ペリーとのプレーオフに持ち込み、最初のホールで相手がボギーを叩いた後、今田は落ち着いてパーをセーブし、悲願のアメリカPGAツアー初優勝を飾った。 |
| 日本人のPGAツアー優勝は青木功、丸山茂樹に続いて史上3人目となった。 |
| 夏場以降は予選落ちも多く苦しんだが、フォールシリーズではターニングストーン・リゾート選手権で3位タイに食い込むなど活躍し、日本人初の獲得賞金300万ドルを達成。 |
| 年間賞金ランキング13位でシーズンを終えた。 |
| 11月末には谷口徹とのペアでオメガ・ミッションヒルズ・ワールドカップに初出場し、3位タイの好成績を残した。 |
| 2009年は前年のAT&Tクラシック勝利により、幼少時代からの自身の夢であった念願のマスターズに出場、初出場ながら20位タイの好成績を収める。 |
| しかし、シーズンを通しては、コンスタントに予選通過を果たすもののトップ10入りゼロに終わり、賞金ランクは118位にとどまる。 |
| シード権は前年のPGAツアー勝利により2年間シードが確定していた。 |
| 2010年は1月のファーマーズ・インシュランス・オープン、3月のアーノルド・パーマー招待でトップ10に入るなど前半は好調を維持したが、あばら骨の骨折が判明したシーズン途中から低迷し、メジャー大会への出場はゼロに終わった。 |
| しかしながら11月のFrys.comで6位入賞、JustinTimberlakeShrinersHospitalsforChildrenOpenで8位入賞を果たすなど、7年連続のシード権を獲得するとともに、来シーズンの活躍を期待させる内容でシーズンを締めくくった。 |