| 今西錦司は、生態研究を出発点とした独自の動物社会学や進化論を掲げ、後の生態学や動物行動学に対して様々な影響を与えたと考えられている。 |
| いまなお今西の学説は年代によって少しずつ変化しており、学説研究もないので総体を把握するのは困難である。 |
| しばしば上山春平のように、今西の説を日本独自の進化論という形で取り扱うマスコミ、人文系の研究者が多いが、アスキスによれば実際には、1920年代および30年代における欧州の動物社会学で優勢であった、進化の所産が決定される際には生物学だけではなく、社会学的な分析も重要であるというアイデアと、米国での動物の集団と協力に関する研究に基づいている。 |
| そういった西洋の研究に部分的な影響を受けつつ、西田幾多郎、ヤン・スマッツなどの全体論に基づいた認識論から自身の研究手法を表現する言葉を借りて書かれたのが、1941年の処女作『生物の世界』であるパメラJ.アスキス,2006,社会性および進化の所産に関する今西錦司の観点を示す諸資料,生物科学,Volume.57,No.3。 |
| 「今西説」によると、生理・生態がよく似た個体同士は、生活史において競争と協調の動的平衡が生じる今西錦司,1993,今西錦司全集第4巻生物社会の論理,講談社,ISBN:4062533049。 |
| この動的平衡状態の中で組織されたものが実体としての種であり、今西が提唱する種社会である。 |
| 種社会は様々な契機によって分裂し、別の種社会を形成するようになる。 |
| 分裂した種社会はそれぞれ「棲み分け」ることによって、可能ならば競争を避けつつ、適切な環境に移動することができたとき、生物個体と種社会はそれぞれ自己完結的・自立的な働きを示す。 |
| その結果生じる生理・生態・形態の変化が進化であるとした。 |
| したがって進化とは棲み分けの密度化という方向性があるという。 |
| その過程において、突然変異は種社会の中で通常以上に高頻度に起きることが必要であり、またその変異は速やかに種社会に広がること、変異はランダムではなく発生の制約上方向性をもち、どちらかというと前適応的におきた変異に対して生物が主体的に振舞うので適応的に見えるというのが『主体性の進化論』(1981)における今西進化論である。 |
| このことから分かるように、今西の定義した種や進化は、諸個体の認知と相互作用に基づいた構成的な概念であり、ナチズムと批判されるコンラート・ローレンツの考えていた種や群淘汰とは意味が異なる。 |
| そのために全体生物社会(ホロスペシア)を含め、守らなければならない全体が意図されたものではない。 |
| したがって今西自身が自身の議論を全体主義としたり今西の『私の進化論』に全体主義にホーリズムとルビをふられている箇所がある。 |
| 、サルの行動を群本位の行動といった言明もあるが、通常の意味で全体主義と言えるものではない。 |
| 後年、今西は中立的な進化現象が広く存在することから、生物がなりたいモノになるという意志によって進化が左右されるかのようなラマルクの用不用説に基づく適応概念や、トートロジーであるとダーウィンの適応概念を否定した今西錦司主体性の進化論中央公論社,1980.7,218p.--(中公新書;583)ISBN:9784121005830なおダーウィンは中立的な進化現象にも記述を残している。 |
| なお、今西は獲得形質の遺伝を主張しているとされるが、カンメラーの実験に対しても否定的で、ラマルクの用不用説に基づいた獲得形質の遺伝とは違い、セントラルドグマを逆流するような機構が進化に必要であるという意味ではない。 |
| 今西の生態学への理論的貢献は、共同で水棲昆虫の棲み分けの研究をした可児藤吉が強く強調しているように可児藤吉,1978,渓流性昆虫の生態,可児藤吉全集(全一巻)思索社,1978)、1940年代極めて単純な競争モデルが流布しているなかで、様々な種間関係を先だって議論したことである。 |
| 例えば、タンガニーカ湖におけるシクリッドの進化において、川那部浩哉らが単純な意味で生存競争の結果とはしない考察をしているのは今西の影響が指摘される。 |
| しばしば共存を強調し、競争を排除していると指摘される今西進化論だが、そもそも棲み分け説自体が「競争が避けられるなら棲み分ける」「食う-喰われるも棲み分け」という説であり、門下とみなされる吉良竜夫などの研究にも競争が重要な位置を占める。 |
| また、種社会・同位社会とも平衡関係が作れなければ、絶滅するということも記述しており、社会による意図的な統制というよりも平衡状態に着目した学説である。 |
| 今なお今西の強い影響下にある分野は霊長類学である。 |
| 今西の弟子である伊谷純一郎と河合雅雄は、アフリカ各地に霊長類や自然に強く依拠した生活を行う民族の長期研究の基盤を作り、種間の比較社会学的な研究を可能にした。 |
| 特に西田利貞・川中健二がチンパンジーの単位群を発見したのは、ジェーン・グドールなど野外研究者の多くが母子関係以上の社会構造について否定的であった当時、今西の影響は無視できない。 |
| さらに今西自身は生物学主義に墜ちたと強く批判しているが、霊長類の社会構造を系統的に考察した伊谷の論考(1977;1981;1986;)は、今西の系統理論の実証的な研究であり、多くの日本人研究者を引きつけた。 |
| また1980年代以降社会生態学・行動生態学よりの研究が日本も含め世界的に主流となったが、野外の長期研究の蓄積が増えたことに伴い、行動の地域変異について詳細な種内比較が可能になり、社会・文化に関する研究が世界的に行われ、今西の再評価が行われているフランスドゥ・ヴァール(訳)西田利貞・藤井留美,2002,サルとすし職人―「文化」と動物の行動学,原書房,ISBN:4562035889。 |
| 一方で、河田雅圭・岸由二・粕谷英一らは今西の議論に対して否定的な見解を示している。 |
| 例えば河田は先述の可児とは対照的に、「生態学や進化論において今西の「オリジナルな理論的貢献」はまったくないと考えている。 |
| 」河田雅圭,1990,日本社会と今西進化論,はじめての進化論,講談社現代新書としているし、岸は1980年代まで今西説とルイセンコ説が日本の生物学に総合説の受容を遅らせるという悪影響を及ぼしたと主張している。 |
| ただし今西錦司の弟子にあたる西田利貞は、当時日本も含め世界的に一般的であった進化観はウィン・エドワーズに代表される集団選択説であり、個体主義的、遺伝子単位的な進化観が普及したのはウィルソンの『社会生物学』(1975)、ドーキンスの『利己的な遺伝子』(1976)以降であったと指摘し、今西説がジョージ・C・ウィリアムズの個体淘汰説の普及を遅らすような悪影響を及ぼしたという河田らの説に反論している。 |
| 実際に日本ではウィルソン等の影響を受けた研究は1970年代から大学院生を中心に行われ、80年代初頭には広く一般的になった。 |
| また河田や岸、粕谷は、今西が京都学派の西田幾多郎や田辺元らの全体論から影響を受けているとし、その進化論に全体主義的な思考の萌芽が含まれており、今西の進化論は種による統制という思想であると批判した。 |
| この批判は、今西が影響を受けたことを認める西田幾多郎ではなく田辺元に批判の源泉を求めていることが特徴的である。 |
| なお今西は上山春平(1971)から指摘されても、かなりの間、西田からの影響を認めていなかった。 |
| しかし1980年代の京都大学人文学研究所の研究会で直接上山に指摘されて以降対談などでも影響を認めるようになった。 |
| もっともこういった批判に対して、徳永幸彦が今西の議論に河田らが指摘するような種主義や種による統制という思考は『生物の世界』にないと指摘している徳永幸彦,2006,今西錦司 『生物の世界』周りのテーラー展開として,生物科学,Volume.57,No.3。 |
| 今西に対して批判的な言説をすることが多いものの、今西の影響で霊長類学を志したという佐倉統は、今西のダーウィニズム批判は概ね1940年代の総合論に対してならばむしろ的確であった一方で、遺伝的浮動や中立説を取り込み性選択を再評価するようになった新総合説については不適当であろうと指摘している。 |
| 佐倉によれば、今西の悪影響は生態を強調しながらも、生態が反映されたものとしての社会記述に重点をおく風潮を蔓延させ、具体的な生態描写について欧米の社会生態学に遅れを取った点をあげている佐倉統 2000「科学と非科学のはざまで──日本の霊長類学はどこまで日本的か?──」霊長類生態学―環境と行動のダイナミズム杉山幸丸(編)。 |
| 構造主義生物学を標榜する柴谷篤弘、池田清彦池田清彦,1991,構造主義科学論からみた進化論史 講座進化1進化論とは.東京大学出版会,柴谷篤弘,長野敬,養老孟司編や、生態学者である市野隆雄市野隆雄,2003,壮大なフロンティア精神の現代的意義―今西錦司の生物学,科学,vol73,12らがそれである。 |
| 柴谷らは『生物の世界』『生物社会の論理』を読み直した結果、現在の進化学、生態学の状況を予言したものであったと再評価している。 |
| 特に柴谷は、『今西進化論批判試論』(1981)において、ダーウィンが『種の起源』で指摘しつつも自然選択説の影に隠れてしまっていた隔離説・中立説・ニッチ選択・群選択説といった現象に再評価を与えたものであり、直接的に対峙するものではないと指摘している。 |
| また、生物記号論の川出由己川出由己,2006,生物記号論-主体性の生物学,京大学術出版会も、今西の進化説に関しては疑問を呈しているが、その生物に対して主体性を認める姿勢を高く評価している。 |
| 今西に師事して生態学を志し、後に日本へ社会生物学を導入した先駆である伊藤嘉昭は、若い研究者は批判一辺倒、年配の研究者は賞賛一辺倒であると述べ、今西の進化観を批判しつつも日本の生態学と霊長類学を牽引した業績は正しく認められるべきだと述べている伊藤嘉昭自伝『楽しき挑戦―型破り生態学50年』海游舎2003年。 |