| 本作は、朝日放送の『部長刑事』の前に低視聴率を強いられていた毎日放送の斎藤守慶(営業局長)が、渡邊亮徳を通じて東映に企画を依頼したのが発端とされる大下英治著『日本(ジャパニーズ)ヒーローは世界を制す』。 |
| 東映では、系列の東映動画で制作中だった『タイガーマスク』(よみうりテレビ)の人気にも着目し、その人気要因を分析することで本作への企画に到る読売新聞1993年3月15日夕刊。 |
| そのため両者には、逃亡者の仮面ヒーローであることなどの共通点がある。 |
| 『仮面ライダー』の企画は、平山プロデューサーによって1970年初頭に書かれた企画書「マスクマンK」までさかのぼる。 |
| この企画書では「仮面のヒーローが秘密結社ショッカーと戦う」という基本線はすでに存在していた。 |
| しかし、その内容は『タイガーマスク』に言及しウルトラマン対仮面ライダー―メガヒーロー光と影の神話、「自分も仮面をつければヒーローになれる」という児童の願望を指摘していること、主人公・九条剛が普通の体育教師で鍛錬によってヒーローの力を得ているなど、当時流行していたスポーツ根性ものの影響が強い内容であった。 |
| この企画書は、平山による「叩き台」的なもので、毎日放送側には提出されておらず、東映社内と石森プロ用のものだった。 |
| 平山Pは本作の前に『妖術武芸帳』(TBS)で「謎の鉄仮面」という「仮面物」の設定を創案しており、この際、石森章太郎をアイディア協力者候補に挙げていたが、企画がTBSの橋本洋二Pに渡って実現しなかった。 |
| このため、平山Pにとっては「仮面物」のこの「マスクマンK」は念願の設定だった翌年制作された『変身忍者嵐』(毎日放送)も、企画当初は「謎の鉄仮面」が活躍するという趣向だった。 |
| 次に起草された「仮面天使(マスク・エンジェル)」が、毎日放送に提出された最初の企画書となる。 |
| 平山プロデューサーが『柔道一直線』(TBS)の流れで市川森一と上原正三を招き、平山とコンビの長い伊上勝との三人の脚本家によって、設定等の企画打ち合わせに入った。 |
| ここで主人公の名が本郷猛に決まり、市川森一によって、「恩師緑川教授殺害の容疑をかけられた逃亡者」という設定になった。 |
| スポ根要素は薄められ、主人公は30万ボルトの高圧電流を浴びる事故で特異体質となり、人間以上の力を得るというSF的な設定が加味されている。 |
| 本郷猛役には千葉治郎が候補に挙がっていた。 |
| ヒーローのデザイン画などは起こされていない。 |
| この段階で、毎日放送の廣瀬隆一本人が「陸王」という日本製バイクを乗り回していた経験があった(当時の編成局次長)から“オートバイに乗ったヒーロー物”という注文が追加されて、「十字仮面(クロスファイヤー)」の企画に到る。 |
| 70年9月上旬のことだった。 |
| ここで構想されたストーリーは、本郷を父の仇と信じるヒロインや、殺人者・本郷を追う刑事などの登場人物が配され、主人公の逃亡者としての苦悩も付加された。 |
| 主人公の仮面については、怒りの感情が高まると顔に感電事故による十字形の傷跡が浮かび上がるため、それを隠すためにかぶっているという設定が加えられている。 |
| 石森章太郎が原作者として本格的に参加するのはこの段階からで、石森の起用は、石森プロの加藤マネージャーから、東映の渡邊亮徳専務(当時)に熱心な売り込みがあったためだった。 |
| 10月上旬に、伊上勝によって執筆された検討台本「怪奇蜘蛛男」、「謎の恐怖屋敷」が毎日放送側で検討され、予算案とともに「題名を日本語にしてほしい」との要望が出された。 |
| 10月15日に石森側が「ファイヤー十字(クロス)」、「十字仮面」、「クロス火面」などの題名案を提出している。 |
| 11月上旬には主人公ヒーロー「クロスファイヤー」のデザイン画も石森によって起こされ『仮面ライダーをつくった男たち』第一話「泣き虫プロデューサー」、毎日放送の引野芳照映画課長(当時)も、このクロスファイアのデザインに大喜び。 |
| 題名も正式に「十字仮面」に決定し、11月になって毎日放送側は『十字仮面クロスファイヤー』の企画書を起稿し、本郷猛役には近藤正臣、ルリ子役に島田陽子を予定した。 |
| 10月以降になって、東映側では平山Pの補佐として阿部征司がプロデューサー参加。 |
| 石森が参加したあと、毎日放送側は「雑誌で漫画連載をしてほしい」と放送開始の条件を出した。 |
| 漫画連載の実現には難航したが、平山Pと阿部P、石森プロの加藤マネージャーの三人が『週刊少年マガジン』(講談社)の編集長だった内田勝に掛け合い、年末に了承を得た。 |
| 12月に入ると、企画書題名を『十字仮面 仮面ライダー』に変更。 |
| 藤岡弘、森川千恵子(真樹千恵子)が本郷とルリ子役に選ばれ、藤兵衛役には高品格を予定、放映開始は71年4月と決定した。 |
| いよいよ企画が毎日放送側を通ったこの70年末の時点で、市川と上原は「『帰ってきたウルトラマン同時期に企画が進められていた円谷プロダクションの新番組である奇しくも『帰ってきたウルトラマン』は本作が放映開始する前日の4月2日にスタートしている。 |
| 』(TBS)をやりたいから」と願い出て降板。 |
| 以後の企画、本編脚本は伊上によって進められることとなった。 |
| 市川は自らの代わりとして、同じ脚本家仲間の島田真之もともと劇作家で、テレビ脚本は初めてだったので、初期の島田の担当脚本のほとんどは阿部征司プロデューサーとの共同作業で執筆されたというと滝沢真理女性脚本家だが、女扱いされることに反発し、「滝沢真里」と男名風の筆名を用いることもあった。 |
| 子供番組はこれが初めてで、『嫁ゆかば』(1969年、日本テレビ)などを執筆していたを連れてきて、以後両人ともに『仮面ライダー』の主筆脚本家となっている。 |
| 71年1月、石森は「もっとグロテスクなリアリティのある奴にしたい」として、自身の作品の髑髏をモチーフにした仮面のヒーローである『スカルマン』『週刊少年マガジン』1970年1月11日号に掲載されたをこの企画に応用した「仮面ライダースカルマン」のキャラクターを提案。 |
| ここで、主人公が敵怪人と同じ改造人間であるという設定がなされ、逃亡者であることや一部のキャラクターが整理され、藤兵衛は主人公の専属トレーナーとなり、よりシンプルな物語となった。 |
| しかし、渡邊専務はこのキャラクターを「スカルマンは以前に描かれた作品じゃないか、大勝負に出るんだから、新しいキャラクターじゃないとだめだ」と拒絶した。 |
| 毎日放送の箱崎賞テレビ営業部副部長(当時)からも、「モチーフが髑髏では営業上の支障がある」との意見が出され、企画はさらなる検討を求められる。 |
| 非常に落胆した石森だったが、その後50枚以上のデザイン画を描いた。 |
| この中に加藤マネージャーの持ち込んだ昆虫図鑑のバッタをモチーフにしたデザイン画があった。 |
| バッタの顔が「スカルマン」に共通する不気味さと髑髏に似た形であること、昆虫は「自然を破壊する悪と闘うヒーローにふさわしい」という思いもあった。 |
| 石森は「子供に聞いてみよう」と、この50枚以上のデザイン画を当時幼稚園児だった息子に見せたところ、即座にバッタをモチーフにしたデザイン画を選んだ。 |
| このデザイン画は平山Pにより渡邊専務にもたらされた。 |
| 渡邊専務は「これだ!今度こそいける!」と大喜びして、即座にゴーサインを出している。 |
| バッタのデザイン画を毎日放送東京支部に持ち込んだところ、箱崎副部長は髑髏でなくなったことで安堵したものの、庄野部長は「バッタって、握れば潰れるあのバッタですか?」と非力な昆虫をモチーフにすることに異議を唱えた。 |
| 平山Pは「バッタは小さいから強く見えないだけで、昆虫の跳躍能力などが人のサイズになれば強いものになりますよ」と説得した。 |
| 翌日毎日放送大阪本社の編成会議に出席した平山Pと加藤マネージャーは、「バッタ」とは伏せ「昆虫人間」としてセールス。 |
| 加藤が「子供でも描けるわかりやすさ」として黒板に仮面を描くなどして、最終的に認められた。 |
| 前述した「少年マガジン」誌での連載の折衝も進められていたが、毎日放送の営業部内でまだこのヒーローのデザインを危ぶむ声が強かった。 |
| 廣瀬編成局次長は「私の息子もバイクに乗ったバッタのヒーローを面白いと言っている。 |
| ここはひとつ、子供の感覚に賭けてみましょう。 |
| 」と社内を説得し、番組企画は推進された。 |
| ちなみに、「敵組織に改造人間として改造されてしまった」という設定があるため、マスクには泣いているように見えるデザインが施されている。 |
| 以降のシリーズのみならず、改造人間にならない平成仮面ライダーのマスクにも同様のデザインが施されている。 |