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プロフィール
- 伊東四朗とは
- てんぷくトリオ
- 電線マン
- 喜劇役者として
- その他
- 情報・クイズ・音楽・バラエティほか
- ドラマ
- 関連サイト
伊東四朗(いとうしろう、1937年(昭和12年)6月15日-)は、日本のコメディアン、俳優、タレント、司会者。本名は伊藤輝男(いとうてるお)。東京都出身。血液型はO型。二人兄弟の次男。オルテ企画所属(「オルテ」は、本名「てるお」の逆読み)。兄は教育評論家の伊藤竹三。次男は俳優・タレントの 伊東孝明。
てんぷくトリオ
| 東京府下谷区竹町(現在の台東区台東)にて、服地商の子として生まれる。 |
| 父親は静岡県相良町、母親は同県掛川市の出身スポーツニッポン連載『我が道』伊東四朗2011年8月2日18面。 |
| 戦時中は母親の実家のある掛川市に疎開した。 |
| 東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業後は就職を希望し数多くの面接を受けるも、目付きが悪い、人相が悪いことを理由に不採用が続いた(過去のTV出演時の本人コメントより)。 |
| 1958年、早稲田大学生協職員だった当時、石井均一座の舞台を見に足繁く通っていたため、一座の役者が伊東の顔を憶えるほどになっていた。 |
| そんな経緯もあり、石井一座の役者から「君も(舞台で)やってみないか?」と誘われ、石井一座に参加。 |
| 同期には財津一郎らがいた。 |
| 最初の芸名は、師匠の石井均に「いとうにしよう」と言われたことから「伊藤証(いとうしょう)」であったが、ポスターなどに名前が連なる時に、名前が一文字なため、先輩より目立ってしまっていけないということで、「伊東四朗」と改名した。 |
| 石井一座は、浅草の松竹演芸場や新宿の新宿松竹文化演芸場を拠点に人気となる。 |
| 新宿時代、一座の戸塚睦夫が元々軽演劇の仲間であった三波伸介と夜間キャバレーの営業に出ていたが、三波が大阪に行ってしまったために、一座の伊東が三波の代役で営業に参加(この頃伊東は、三波伸介という芸名を使うことがあった)。 |
| のちに三波が東京に戻ったため、三人で営業用のトリオを結成。 |
| 石井一座解散とともに正式にてんぷくトリオ(当初「ぐうたらトリオ」)を旗揚げした。 |
| 軽演劇の流れを汲むコントで、舞台・テレビで徐々に人気となり、三波のギャグ「びっくりしたなぁ、もぅ」が大当たりして、茶の間の人気お笑いグループとしての地位を確立した。 |
| 1970年頃、『笑点』の札幌公演において、当時司会の前田武彦が天候不順で来られなくなり、急遽代理として三波伸介が司会をしたことがあった(三波は後に正式な司会に抜擢)。 |
| その際、座布団運びの代理は伊東が務め、伊東が正式な座布団運びになっていた可能性もあったというエピソードがある。 |
| 1973年に戸塚睦夫が42歳の若さで逝去し、てんぷくトリオの活動に困難が生じるも、三波と2人で「てんぷく」の名を守った。 |
| 1972年から毎週日曜日に、三波らと共に出演していたNHKの『お笑いオンステージ』内「てんぷく笑劇場」での活躍が代表的である。 |
電線マン
| 1975年以降、三波の意向で「てんぷく」名での活動を抑制した頃、小松政夫との共演が話題になり、テレビ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』での親子コントや「電線音頭」でのベンジャミン伊東(この名前の由来は、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンから)、『笑って笑って60分』での「小松の親分さん」などのネタで人気に火がついた。 |
| 小松と2人で生み出したギャグがいくつもあるが、正月によく流れる琴による演奏の『春の海』を口で表現する「つん、つくつくつくつん。 |
| つん、つくつくつくつん。 |
| ひやーひんひらひらりー、べんべらべんべらべんべらべんべらべん」は伊東のオリジナルである。 |
| また、「ずん」や「ニン」、「どーかひとつ」といったギャグも有名になった。 |
| 「ベンジャミン伊東」としてのスタイルは、藤田まことら古くからのコメディアン仲間から「あいつはバカになったのか!?」と驚嘆されるほどのインパクトがあり、小林信彦からは大いに絶賛された。 |
| それまで「てんぷくトリオ」のサブ的役割だった伊東が、にわかに芸能界で存在感を示し始め、1979年には『ザ・チャンス!』(TBS系)の3代目司会者に抜擢された。 |
| 「ベンジャミン伊東」のキャラクター案は、伊東が自身の威圧的な顔にコンプレックスを持っていたため、「怖い顔でも面白い人はいないのか?」と考えた時に、「サーカスの団長」が思い浮かんだ事が発端となっている。 |
喜劇役者として
| 1982年12月8日、盟友・三波伸介が52歳の若さで急死、伊東は訃報を聞いた際、三波が安置されている病院に向かい、報道陣の問いかけに「(三波の遺体を触った際に)まだ温かいんですよ。 |
| 温かいもんだから死んだ気がしなくて…」とショックを受け、葬儀でも号泣した。 |
| 「てんぷくトリオ」は早くも伊東だけとなってしまう。 |
| 翌1983年、NHK連続テレビ小説『おしん』の父親役に抜擢され、同ドラマが大ヒット。 |
| 以後、活動の中心を俳優業に変え、シリアスな演技もできる実力派としての評価を得て、活躍の場を大きく広げた。 |
| また、俳優業のほか、バラエティ番組の司会も数多く担当する。 |
| 数多くのドラマで父親役をやってきた事や、『伊東家の食卓』などのイメージで、他の芸能人からは「お父さん」と呼ばれる事も多い。 |
| 自らを「喜劇役者」と位置づけており、いつまでもそうあり続けたいと語る。 |
| 「三波も戸塚も死んだが、てんぷくトリオは解散したものではない」とも述べ、コメディへのこだわりも見せる。 |
| かつての喜劇役者仲間であり、親しい友人でもあった東八郎、関敬六、また渥美清や由利徹といった、浅草喜劇出身の役者たちがこの世を去った今、『浅草喜劇の伝統を後代へ引き継ぎたい』という思いと、『彼らの分まで、体が動く限り現役で頑張りたい』との思いが年々強くなっている。 |
| 1997年に、後輩の三宅裕司、小倉久寛らと共演したオムニバスコントの舞台『いい加減にしてみました』(2002年・2010年にも上演)の流れで、今ではあまり見られない典型的な喜劇・軽演劇の舞台を再現してみようと、2004年、試みで『伊東四朗一座〜旗揚げ解散公演』(タイトルからも分かるように最初で最後の予定であった)を上演した。 |
| この公演は当日券を求める客があふれるほどで、多くのリクエストを受けて、翌2005年に『伊東四朗一座〜急遽再結成公演〜』を上演した。 |
| その後、2006年・2007年には伊東が参加しなかったため、「熱海五郎一座」と銘打って活動する。 |
| 2008年には再び伊東が加わり「伊東四朗一座」として公演を行う。 |
| 2009年には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演」が上演された。 |
| 現在は年1回のペースで活動。 |
| 伊東四朗一座の舞台公演作品はDVD化もされている。 |
| このほかにも舞台公演は精力的に行っている。 |
| 角野卓造、松金よね子、佐藤B作・あめくみちこ夫妻らとともに「西荻窪エリアでお酒を飲みながら語らう会」(西荻の会)を結成し、実際に西荻窪エリアで酒を飲みながら語らっていたが、ある時会の外から「このメンバーで芝居を」との提案を受けたことから2011年、本多劇場にて西荻の会による介護コメディー『ロング・ロスト・フレンド』を公演することになった。 |
その他
| テレビではあまり見られないが、歌の素養もあり、ギターの弾き語りもするなど、幅広いエンターテイナーとしての素地を持った芸人である。 |
| 優れたリズム感は70歳近くになっても衰えず、『伊東家の食卓』での体を使ったゲームなどは若者に先駆けてクリアしていた。 |
| 2005年の舞台ではラップも披露した。 |
| 次男・孝明と海外旅行する番組『ホンモノの伊東一家は海外嫌い!?』では、英会話もこなしている。 |
| 百人一首を暗記したり、円周率を100桁以上暗記、さらに500桁を目指す、アメリカ合衆国の州を毎日暗唱するなど、脳の活性化のためにと自分なりの工夫を実行している。 |
| 趣味とストレス解消はテニス。 |
| 保守的思想の持ち主であり、新しい歴史教科書をつくる会などの保守派団体の賛同者となっている。 |
| 毎年靖国神社で行われる「みたままつり」には、日本の現状を憂いた句などを自書した献灯を奉納している。 |
| 戸塚ヨットスクールの支援者の一人でもある。 |
| 上之郷利昭によるスクールのルポ『スパルタの海』が映画化された際には戸塚役を演じたが、戸塚ヨットスクール事件により未公開(戸塚宏が出獄した後に支援者等がDVD化)となりお蔵入りになった。 |
| 昨今の若者が話す言葉(日本語の乱れ)にも憤りを感じており、特にいらだつ言葉は「『何気に』という言葉だ」とワイドショーでのインタビューで答えている。 |
| 所謂「マイ箸」を持ち歩いているが、森林伐採による環境破壊に反対する意思表示ではなく、中国などから輸入されている割り箸に対する不信感(例えば漂白されているなど)によるものである。 |
| 自身が出演した舞台の公演名称について、スティーブ・マックイーンによって訴訟されそうになったが、邦題に変更して事無きを得た。 |
| 『笑ゥせぇるすまん』に出演した際、目を瞬きしなかった経緯からドライアイになってしまい、現在もドライアイの症状がある。 |
| 好きな漬物は山芋である。 |
| いわゆる「江戸弁」のアクセントがあり、かつてタクシーに乗って行き先を「日比谷」と言ったところ「渋谷」に連れて行かれたことがあるという江戸弁では「しびや」の発音に近くなるため。 |
| ラジオ「伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド」での発言。 |
| 2011年2月4日放送の「ザ★芸能界ウラ芸大賞」放送内の企画で見事にスタジオ生放送の「円周率500桁暗記」を見事成し遂げた。 |
| 答え合わせを終えた後、司会の堺正章が「もう一回なぞりますか?」と訪ねたところ「うわー、もうやめてくれ!!」と叫び笑いを誘った。 |
| 2011年、したまちコメディ映画祭in台東において、『第4回コメディ栄誉賞』を受賞。 |
情報・クイズ・音楽・バラエティほか
| 家族で選ぶにっぽんの歌(NHK)-年1回(土曜日)、司会。 |
| カスペ!「超ド級!世界のありえない映像博覧会」(フジテレビ、2009年-)-1クールに1回、司会。 |
| 芸能人格付けチェック(朝日放送、2005年-)-年1回(正月番組)、「格付けマスター」。 |
| ホンモノの伊東一家は海外嫌い!?シリーズ(テレビ朝日、2001年-)-年1回、次男・孝明と共演。 |
| 天才をつくる!ガリレオ脳研(テレビ朝日、2009年-)毎週土曜日。 |
| お笑いオンステージ(NHK)。 |
| 花のステージ(NHK、1978年)。 |
| コメディーお江戸でござる(NHK)。 |
| 第41回思い出のメロディー(NHK)-司会。 |
| いい加減にします!(日本テレビ、1984年-1985年)。 |
| 大きなお世話だ(日本テレビ、1985年-1986年)。 |
| 今世紀最後!!史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ)-スタジオ司会。 |
| アンテナ22(日本テレビ)-司会(本名が同音異字「伊藤輝夫」のテリー伊藤と共演)。 |
| 欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞(日本テレビ)-審査員。 |
| 笑うんだもんね!(TBS)。 |
| 爆笑!!ナンチャッテ横丁(毎日放送)。 |
| お昼のゴールデンショー(フジテレビ)。 |
| もしも体感バラエティif(関西テレビ)。 |
| 新婚さんいらっしゃい!(朝日放送)-桂三枝の代理の司会(片平なぎさと共演)。 |
ドラマ
| 宮本武蔵(1961年、フジテレビ)。 |
| 天と地と(1969年、NHK大河ドラマ)-鉄上野介役。 |
| 時間ですよ第1シリーズ(1970年2月-8月、TBS)。 |
| 白い牙(1974年4月-9月、日本テレビ)。 |
| 遠山の金さん(1975年10月-1977年9月、テレビ朝日)。 |
| あゝ、にっぽん活動大写真(1978年1月-3月、毎日放送)-牧野省三役。 |
| 右門捕物帖(1982年11月-1983年9月、日本テレビ)-村上敬四郎役。 |
| 北条時宗(2001年、NHK大河ドラマ)-北条政村(鎌倉幕府第7代執権)役。 |
| 忠臣蔵(2004年10月-12月、テレビ朝日)-吉良上野介役。 |
| 金曜プレステージ「浅見光彦シリーズ」第29弾「熊野古道殺人事件」(2008年1月18日、フジテレビ)、第30弾「天河伝説殺人事件」(2008年1月25日、フジテレビ)-内田康夫(原作者)役。 |
| 月曜ゴールデン特別企画/「私は屈しない〜特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日」(2011年1月31日、TBS)-大橋仁役(モデルは石井一)。 |
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