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プロフィール
- 伊良部秀輝とは
- プロ入り前
- ロッテ時代
- メジャーリーグ時代
- 阪神時代
- 引退・現役復帰
- 逮捕
- 死去
- 日本最速投手の1人として
- 年度別投手成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 著書
- 関連項目
伊良部秀輝(いらぶひでき、1969年5月5日-2011年7月下旬)は、プロ野球選手(投手)。
プロ入り前
| 沖縄県宮古島市生まれの兵庫県尼崎市育ち。 |
| アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる(ただし、両親は伊良部が物心つく前に離婚しており、本人は後年渡米するまで、自分の父親がアメリカ人であることも知らなかったという) |
| 常光寺小学校杭瀬小との統合により廃校、若草中学校を卒業後、香川県に引っ越し、尽誠学園高等学校に進学。 |
| の全国高等学校野球選手権大会に出場。 |
| 1学年下に在籍した佐伯貴弘は「(87年夏の甲子園出場経験は)伊良部さんに連れて行ってもらったようなもの」とコメントしている。 |
| その後、1987年のドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名され入団。 |
ロッテ時代
| 1年目から1軍のマウンドを経験。 |
| 村田兆治、前田幸長らとともにチームの弱小投手陣を支えた。 |
| 入団2年目に西武の清原和博との対戦時に156km/hをマークするなど当時から球速はめっぽう速かったが、コントロールが悪くカウントを悪くしては棒ダマを打たれるなど入団後数年は試練の時が続いた。 |
| 起用法も先発・リリーフなど一定ではなかった。 |
| 1996年オフ、メジャーリーグへの移籍希望を表明。 |
| 球団側はパドレス球団に伊良部の保有権を永久的に譲渡する契約を交わした。 |
| それに対し伊良部は「ピンストライプのユニフォームの重さというのは野球を経験した者にしか分からない」と主張しあくまでニューヨーク・ヤンキースの入団に拘り、代理人の団野村を雇って対応。 |
| 大型トレードを仕掛け、最終的に三角トレードという形でヤンキース入団を果たした。 |
| この時、取材陣に対し「アンタら凡人にミケランジェロの気持ちが解るか?オレはミケランジェロなんだよ」という暴言を吐き顰蹙を買う。 |
| (伊良部メジャーリーグ移籍騒動)。 |
メジャーリーグ時代
| 2年目のにはシーズンを通してローテーションの一角を担い、13勝9敗という好成績を残してチームのプレーオフ進出に貢献。 |
| プレーオフ、ワールドシリーズでの登板はなかったがチームは世界一となり、アジア選手として初めてチャンピオンリングを獲得。 |
| 3年目のには開幕8連勝を挙げ、月間最優秀防御率でプレイヤー・オブ・ザ・マンスにも輝くなど11勝7敗と2年連続2桁勝利を挙げた。 |
| ただしジョージ・スタインブレナーは伊良部の体重に不快を表明しており、1999年4月の練習試合で伊良部が1塁カバーに失敗したときには「太ったヒキガエル(a"fatpussytoad")」と呼んだほどだった。 |
| 1999年オフ、テッド・リリー、クリスチャン・パーカー、ジェイク・ウエストブルックとの交換トレードによりモントリオール・エクスポズへ移籍。 |
| {{要出典範囲|地元記者に、「エクスポズもピンストライプだから良かったね」と皮肉を言われる。 |
| その後、レンジャーズとマイナー契約を結び、メジャーに昇格後、クローザーとして活躍。 |
| 3勝6敗16セーブとチームの戦力になっていた7月に肺血栓が見つかり離脱。 |
| オフにレンジャーズを退団。 |
阪神時代
| 2002年のオフ、「日本球界に復帰してもいい」という情報を掴んだ阪神タイガースと交渉、幼少の頃からのファンだったタイガースに入団。 |
| 星野仙一監督は伊良部に抑えを任せたかったが、本人の希望により先発を任された。 |
引退・現役復帰
| TVドキュメントによると、引退した要因の一つであった膝の痛みが、かかとを浮かせた投球フォームから地に付けたフォームへと改良することで消えたことから、現役復帰を目指しトレーニングを開始。 |
| 4月27日、アメリカ独立リーグ・ゴールデンベースボールリーグのロングビーチ・アーマダに入団(月給1,500ドル)。 |
| 5年ぶりに現役に復帰した。 |
| 同年8月、四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団(月給16〜18万円)。 |
| 同年9月、右手首腱鞘炎で全治3週間の診断。 |
| シーズン中の復帰が困難となり、伊良部側の希望により契約解除となり退団。 |
| 高知での成績は2試合(12イニング)に登板して0勝0敗、6奪三振11四死球で防御率5.25であった。 |
| 2010年1月19日、ブログで2度目の引退を表明した。 |
逮捕
| 2008年8月、大阪市北区のバーで、アメリカン・エキスプレス・センチュリオン・カードいわゆるブラックカードが使用できないことに腹を立て、店舗の破壊および店長を暴行した容疑で現行犯逮捕された。 |
| 10月16日に書類送検されたが、不起訴処分となった。 |
| 2010年5月17日、飲酒運転の疑いで米ロサンゼルス郊外で逮捕されていたことが判明した |
死去
| 28日には友人や関係者によって自宅前に献花台と焼香台が仕立てられ、『阪神タイガース有志一同』などの献花や、阪神ファンによるものと思われる阪神タイガースの帽子が供えられたTBS『報道特集』2011年7月29日のテレビ報道。 |
| 29日にはニューヨーク・ヤンキースが試合前に黙祷を捧げ、伊良部がメジャー初登板初勝利を挙げた試合で捕手を務めたジョー・ジラルディは「一緒にいて楽しい、よきチームメートで、何度も好投してくれた。 |
| 旧友を失うのはつらい。 |
| 彼にも子供がいるし、悲しいことだ」と語り、デレク・ジーターは「言葉の壁はあったが、周囲が思う以上にいろんなことを理解する楽しい男だった。 |
| 悲報を聞いたときは言葉を失った」と語った |
| 阪神タイガースも30日に横浜ベイスターズとの試合前に黙祷し、ユニフォームに喪章を着用してプレーした。 |
| 同日、千葉ロッテ・マリーンズも、東北楽天ゴールデンイーグルスとのゲーム前に黙祷し、球場の大型ビジョンに往年の雄姿を映し出した。 |
| 阪神時代の監督であった楽天監督・星野仙一らも黙祷に参加した。 |
| 葬儀は8月3日に近親者のみで行われ、遺骨は日本の寺院で供養される予定。 |
日本最速投手の1人として
| 「日本プロ野球史上最速の投手は誰か」といった議論の際に、必ずといって良いほど名を挙げられる投手である。 |
| 1993年の5月3日の西武戦(西武球場)で清原和博と対戦した際の158km/hは日本人投手が日本国内の球場設置のスピードガンで計測したものとしては最速のものであった。 |
| 2005年にマーク・クルーン(記録時:横浜ベイスターズ)が159km/hを記録するまで、山口和男(記録時:オリックス・ブルーウェーブ、現・オリックス・バファローズ)、五十嵐亮太(記録時:東京ヤクルトスワローズ)らと共に日本プロ野球最速タイ記録を保持していた。 |
| なお、1994年7月19日のオールスター戦(西武球場)で読売ジャイアンツの松井秀喜と対戦したときに159km/hを記録しているが |
| しかし2010年8月29日に神宮球場で由規(東京ヤクルトスワローズ)が国内日本人最速の161km/hを記録したため日本人最速投手の称号を渡すこととなった。 |
| 速球が武器であったが、それに頼っていた投球スタイルは年を重ねると共に変化していった。 |
| 無骨に見えて理論派である。 |
| ロッテ時代のOBであった牛島和彦も「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」と語っている。 |
タイトル
| 最多勝利投手:1回(1994年)。 |
| 最多奪三振:2回(1994年、1995年)。 |
| 最優秀防御率:2回(1995年、1996年)。 |
表彰
| ベストナイン:2回(1994年、1995年)。 |
| 月間MVP:5回(1993年9月、1995年7月、1995年9月、1996年8月、2003年5月)。 |
| アメリカン・リーグプレイヤー・オブ・ザ・マンス:2回(1998年5月、1999年7月)。 |
記録
| 初登板・初先発:1988年5月7日、対西武ライオンズ5回戦(川崎球場)。 |
| 初勝利:1988年8月14日、対阪急ブレーブス13回戦(川崎球場)。 |
| オールスターゲーム選出:4回(1994年-1996年、2003年)。 |
背番号
| 18(1988年-1996年)。 |
| 35(1997年)。 |
| 14(1998年-2001年)。 |
| 45(2002年)。 |
| 41(2003年-2004年)。 |
| 14(2009年途中)。 |
著書
| 『最新最強のピッチング・メカニクス』(吉井理人と共著、永岡書店:2010年7月)。 |
関連項目
| 兵庫県出身の人物一覧。 |
| 千葉ロッテマリーンズの選手一覧。 |
| 高知ファイティングドッグスの選手一覧。 |
| 日本人メジャーリーグ選手一覧。 |
| 日本人メジャーリーガーが獲得したタイトル・表彰一覧。 |
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1969年
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伊良部 秀輝(いらぶ ひでき、2011年7月下旬... |
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1988年
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初登板・初先発:、対西武ライオンズ5回戦(... |
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投票数
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