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伊達成実
戦国時代後期から江戸時代前期の武将。仙台藩初代藩主・伊達政宗の重臣で、仙台藩一門第二席・亘理伊達氏の初代当主。父は伊達実元、母は実元の兄・伊達晴宗... |
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伊達尚宗
伊達尚宗(だてひさむね)は室町時代・陸奥国の戦国大名。伊達氏の第13代当主。第12代当主・伊達成宗の嫡男。 |
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伊達実元
戦国時代から安土桃山時代の武士。伊達氏の一族武将で、陸奥国信夫郡大森城主。少年期に父の伊達稙宗の計らいで越後の上杉氏の養子に出されそうになったが、... |
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伊達輝宗
戦国時代の武将・戦国大名。伊達氏第16代当主。 |
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上杉定実
日本の戦国時代の守護大名。越後守護上杉氏の当主。上杉房能の養子。長尾為景の妹を後妻に迎えており、娘が長尾晴景に嫁いだため、上杉謙信は義理の甥、そし... |
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相馬顕胤
懸田義宗とともに、いったん西山城の稙宗を救出し懸田城(掛田城・伊達市霊山町掛田【茶臼山公園】)に移したが、後再び晴宗は稙宗を西山城に幽閉したので、... |
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最上義光
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。出羽国の戦国大名・最上氏第11代当主。出羽山形藩初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原の戦いにおいて... |
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蘆名盛高
室町時代から戦国時代の武将。蘆名氏第13代当主。父は12代当主・蘆名盛詮。 |
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今川義元
戦国時代の武将、駿河国の守護大名・戦国大名。足利氏の傍流吉良氏の分家に当たる今川氏の出身で、駿河今川家第9代当主。父は第7代当主・今川氏親、母は父の... |
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大崎義宣
日本の戦国時代の武将。陸奥の大名・伊達稙宗の次男で、大崎義直(または大崎高兼)の養嗣子。幼名は小僧丸。1536年、大崎氏内部で反乱が起こると、義直は伊... |
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最上義守
最上義守(もがみよしもり)は出羽国の戦国大名。最上氏第10代当主。中野義清(中野義建の子で最上義淳の孫)の子。最上義光・義姫らの父。伊達政宗の母方の... |
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伊達成宗
伊達成宗(だてなりむね/しげむね、1435年(永享7年)-1487年10月11日(長享元年9月25日)?)は伊達氏の第12代当主。第11代当主・伊達持宗の次男。母は憲徳... |
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最上義定
稙宗と長谷堂で戦って敗北し、山野辺直広(最上一族)・吉川政周(寒河江一族)らが戦死する。翌年稙宗の妹を娶って和議を結ぶが、以後は伊達氏の影響力によ... |
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足利義晴
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第12代将軍(在職:1521年-1546年)。第11代将軍足利義澄の長男。母は日野永俊の娘で日野富子の姪。 |
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積翠院
積翠院(せきすいいん 生年不詳-1513年(永正10年))は戦国時代の人物。越後国上杉氏の女性。 |
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蘆名盛氏
戦国時代の陸奥国の武将・戦国大名。蘆名氏第16代当主。 |
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亘理元宗
日本の戦国時代の武将。出羽・陸奥の戦国大名である伊達氏の重臣。亘理氏当主。陸奥国亘理郡亘理城主。 |
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武田信虎
戦国時代の武将。甲斐の守護大名・戦国大名。武田信玄の父。甲斐源氏の宗家・武田氏第18代当主にあたる。 |
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田村清顕
陸奥国の戦国大名。田村隆顕の嫡男。弟に氏顕。正室は相馬顕胤娘・於北。父と同様に英明な武将として知られ、父の死後、その後を継ぎ当主となる。佐竹氏や蘆... |
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プロフィール
伊達稙宗(だてたねむね)は、陸奥国の戦国大名。伊達氏の第14代当主。
生涯
| 長享2年(1488年)、第13代当主・伊達尚宗の嫡男として生まれる。 |
| 当初は高宗と名乗った。 |
| 永正11年(1514年)、父の死去にともない家督を相続して第14代当主となる。 |
| 同年、羽州探題・最上義定を長谷堂城にて破り、妹を義定の室として送り込み、実質的に最上氏を支配下に置く。 |
| 永正14年(1517年)、第11代将軍・足利義稙の上洛祝賀の為として多額の進物を送り、管領・細川高国を通じて一字拝領を願い出て許され、偏諱を受けて名を稙宗に改めるとともに、左京大夫に任官された。 |
| 左京大夫は、元来奥州探題大崎氏が世襲する官位であったが、この官位を伊達氏が獲得したことは、大崎氏に名実共に取って代わったと認めさせたことを示している。 |
| 稙宗はこのようにして中央との結びつきを家格上昇に利用するとともに、葛西氏・岩城氏などと争い、これに婚姻外交を織り交ぜて勢力の急激な拡大に成功し、大永2年(1522年)には陸奥守護に補任された。 |
| 天文元年(1532年)に居城を梁川城から西山城に移すと体制の強化に努め、天文2年(1533年)に『蔵方之掟』13条の制定を皮切りに、天文4年(1533年)の『棟役日記』、天文7年(1538年)の『御段銭帳』などの徴税台帳を作成。 |
| 天文5年(1536年)には171条に及ぶ分国法・『塵芥集』を制定し、伊達氏の統治機構の拡充を図った。 |
| また同年には、大崎氏の内乱鎮圧のため、大崎義直の要請に応じ南奥州の諸侯を従えて出動し、その代償として二男・義宣を入嗣させる。 |
| この結果、奥州・羽州の両探題職を事実上伊達氏の統制下に置くことに成功した。 |
| ところが、三男・実元の越後守護・上杉定実への入嗣や、婿の相馬顕胤への伊達領割譲などの問題をめぐって長男・晴宗や桑折景長・中野宗時ら家臣団との対立を次第に深める、天文11年(1542年)6月、ついに鷹狩りの帰途を晴宗に襲撃され、捕えられた稙宗は西山城に幽閉されたが、程なくして小梁川宗朝により救出された。 |
| 稙宗は奥州諸侯を糾合して晴宗と争う構えを見せたため、奥州全体を巻き込む形で天文の乱が勃発する。 |
| この争いは当初稙宗方が優勢だったが、天文16年(1547年)に味方であった蘆名盛氏が晴宗に寝返ったことで、一転して戦況が不利に傾き、天文17年(1548年)9月、将軍・足利義輝の仲裁を受けて晴宗に降伏する形で和睦し、家督を晴宗に譲って丸森城に隠居することを余儀なくされた。 |
| 永禄8年(1565年)6月19日、丸森城にて死去。 |
| 遺骸は自らが開基となった陽林寺に葬られた。 |
| 小梁川宗朝が墓前で殉死している。 |
系譜
| 正室:泰心院(蘆名盛高の娘寛文7年(1667年)に相馬藩士・中津幸政が編纂した『奥相茶話記』は、相馬顕胤室の母は先妻の上杉氏、晴宗の母は継室・蘆名盛舜の娘で両者は異母姉弟であるとしているが、『茶話記異説改選集』にて共に泰心院の子であると訂正されている。 |
| 屋形御前(相馬顕胤室)。 |
| 女子(蘆名盛氏室)。 |
| 側室:中条氏(中条定資の娘)。 |
| 伊達実元泰心院の子とも。 |
| 側室:下館氏。 |
| 女子(二階堂照行室)。 |
| 女子(田村隆顕室)。 |
| 伊達宗澄(碩斎)。 |
| 女子(懸田俊宗室)。 |
| 側室:中館氏。 |
| 梁川宗清(鉄斎)。 |
| 大有康甫(東昌寺14世住職)。 |
| 側室:亘理氏(亘理宗隆の娘)。 |
| 亘理綱宗(亘理宗隆養子)。 |
| 亘理元宗(亘理宗隆養子)。 |
| 桑折宗貞(桑折景長養子)。 |
| 葛西牛猿丸牛猿丸は盛岡藩系の系譜では葛西晴清、仙台藩系の系譜では葛西晴胤を指すとしている。 |
| (葛西晴重または葛西稙清養子)。 |
| 村田宗殖(村田近重養子)。 |
| 極楽院宗栄(極楽院善栄養子)。 |
| 越河御前(相馬義胤室)。 |
参考文献
| 小林宏『伊達家塵芥集の研究』(創文社、1970)。 |
| 『戦国時代人物事典』(学習研究社、2009)-「伊達稙宗」「伊達晴宗」の項(伊達宗弘執筆)。 |
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1488年
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第13代当主・伊達尚宗の嫡男として生まれる |
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1514年
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父の死去にともない家督を相続して第14代当主... |
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