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つながりの強いひと
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後花園天皇
室町時代の第102代天皇である(在位:正長元年7月28日(1428年9月7日)-寛正5年7月19日(1464年8月21日))。諱を彦仁(ひこひと)という。 |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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崇光天皇
南北朝時代の北朝第3代天皇(在位:正平3年/貞和4年10月27日(1348年11月18日)-正平6年/観応2年11月7日(1351年11月26日))。諱を益仁(ますひと)といい、... |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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今出川公直
南北朝時代 ・ 室町時代 の 公卿 。 後村上天皇 (97代)から 後小松天皇 (100代)にわたって仕え、官位は 従一位 右大臣 まで昇る。父は 権大納言 今出川... |
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横井清
日本中世史学者。京都市生まれ。1958年立命館大学文学部卒、1962年同大学院文学研究科博士課程中退、京都市史編纂補助、1970年代花園大学文学部助教授、1980... |
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伏見宮貞常親王
室町時代の皇族。二品式部卿。世襲親王家、伏見宮第4代当主。 |
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後小松天皇
室町時代北朝最後の第6代、歴代第100代の天皇(在位:永徳2年/弘和2年4月11日(1382年5月24日)-応永19年8月29日(1412年10月5日))。諱は幹仁(もとひと)。 |
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称光天皇
室町時代の第101代天皇である。諱ははじめ躬仁(みひと)、のち實仁(みひと)に改めた。 |
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誠仁親王
安土桃山時代の皇族。院号は陽光院。追尊として陽光太上天皇が贈られた。 |
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足利義教
室町時代中期の室町幕府第6代将軍(在職:1428年-1441年)。3代将軍足利義満の3男。母は側室の藤原慶子で、4代将軍足利義持の同母弟。僧侶時代は義円、還俗直... |
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閑院宮典仁親王
江戸時代の宮家当主で皇族。幼名は「寿宮」(ひさのみや)。世襲親王家、閑院宮第二代当主。「慶光天皇」または「慶光院」の前名。閑院宮典仁親王の呼びかた... |
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伏見宮栄仁親王
父
南北朝時代、室町時代の日本の皇族。読み方は「なかひと」とも。世襲親王家、伏見宮初代当主。伏見殿、有栖川殿などと称する。 |
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尊号
尊号(そんごう)とは君主及びその祖先とその一族、貴族や高僧など、その国家や社会においてその遺徳の顕彰や哀悼の祈念を込めて贈られる尊称のこと。 |
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村田正志
日本南北朝史専攻の歴史学者。三重県出身。 |
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世襲親王家
江戸時代において、当今の天皇との血統の遠近にかかわらず、代々親王宣下を受けることで親王の身位を保持し続けた四つの宮家をいう。定親王家ともいう。 |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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後土御門天皇
室町時代の第103代天皇(在位寛正5年7月19日(1464年8月21日)-明応9年9月28日(1500年10月21日))。諱は成仁(ふさひと)。 |
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守貞親王
守貞親王(もりさだしんのう、治承3年2月28日(1179年4月6日)-貞応2年5月14日(1223年6月14日))は高倉天皇の第二皇子で母は坊門信隆の娘・坊門殖子(七条... |
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後伏見天皇
鎌倉時代の第93代天皇(在位:永仁6年7月22日(1298年8月30日)-正安3年1月21日(1301年3月2日))。諱は胤仁(たねひと)。 |
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プロフィール
- 伏見宮貞成親王とは
- 略歴
- 系譜
- 参考文献
- 伏見宮貞成親王が登場する作品
- 関連項目
伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう、応安5年3月5日(1372年4月9日)-康正2年8月29日(1456年9月28日))は、室町時代の皇族。 世襲親王家の一つ、伏見宮3代目当主。 尊号は後崇光院(ごすこういん)。
略歴
| 左大臣今出川公直・左大臣公行父子が養親となり貞成は終生その養育の恩を忘れなかった。 |
| 音楽や和歌に親しんだのも幼時の環境による。 |
| 応永18年(1411年)4月4日、40歳でやっと伏見御所に元服し貞成と名乗り、父栄仁親王のもとに迎えられる。 |
| 以降、当所に常住。 |
| 応永23年(1416年)11月20日栄仁親王薨去、翌24年(1417年)2月11日に栄仁親王の後を継いだ治仁王も急死し、貞成が後継となる。 |
| 貞成には兄を毒殺した嫌疑がかけられるが、後小松上皇や四代将軍足利義持から安堵を受けた。 |
| 伏見宮は北朝の正統であったために天皇家からは猜疑心をもって見られることが何かと多かった。 |
| 応永25年(1418年)に称光天皇の仕女である新内侍が懐妊した際にも密通の嫌疑がかけられたが、義持のとりなしがあり、貞成は同年7月17日に起請文を提出するなどして辛くも虎口を免れた。 |
| 称光天皇が一時期危篤状態へ陥ると次期天皇の候補にもなり、応永32年(1425年)4月16日には親王宣下を受ける。 |
| だが、回復した称光天皇がこの報を聞くと激怒したため、わずか3ヶ月後の7月5日伏見指月庵で薙髮、出家に追い込まれた。 |
| 正長元年(1428年)7月に再び称光天皇が重態に陥ると、六代将軍の足利義教は貞成の実子である彦仁王を庇護し、後小松上皇に新帝の指名を求める。 |
| 後小松は彦仁を猶子とし、後花園天皇として即位させる。 |
| 永享7年(1435年)には、京都に造営された新しい伏見御所に移る。 |
| 文安4年(1447年)11月27日に貞成親王は太上天皇の尊号を贈られ、後崇光院と呼ばれた。 |
| 翌5年(1448年)2月22日に尊号を辞退した。 |
| 著作に、『看聞日記』、『椿葉記』がある。 |
| 墓所は伏見松林院陵。 |
系譜
| 持明院統の嫡流、北朝第3代崇光天皇の系統。 |
| 父は栄仁親王、母は三条実治の娘、藤原治子。 |
| 2代目当主の治仁王は兄弟。 |
| 御息所は庭田経有(宇多源氏庭田家)の娘、源幸子(敷政門院)。 |
| 女院:源(庭田)幸子(敷政門院)-庭田経有女。 |
| 第一王女:性恵女王(1416-1441)-三時知恩寺。 |
| 第一王子:彦仁王(後花園天皇)(1419-1470)。 |
| 第二王女:王女(幼名めここ)(1421-?)-天王寺妙厳院。 |
| 第三王女:理延女王(1423-?)-真乗寺。 |
| 第二王子:貞常親王(1425-1474)-第4代伏見宮。 |
| 第五王女:王女(幼名ちよちよ)(1430-?)。 |
| 第六王女:雲岳聖朝(1434-1482)-曇華院。 |
| 第四王女:王女(1428-1430)。 |
参考文献
| 横井清『室町時代の一皇族の生涯『看聞日記』の世界』(講談社学術文庫、2002年)ISBN4-06-159572-5。 |
伏見宮貞成親王が登場する作品
| 原田隆之『皇位の呪縛』(叢文社、2006年)ISBN4-7947-0536-0。 |
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1411年
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40歳でやっと伏見御所に元服し貞成と名乗り、... |
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1418年
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称光天皇の仕女である新内侍が懐妊した際にも... |
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