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つながりの強いひと
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増田明美
元女子マラソン・陸上競技長距離走選手で、現在はスポーツジャーナリスト・レース解説者・タレントなどで活動中である。1984年ロサンゼルスオリンピック女子... |
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真木和
日本の元陸上競技(長距離走)およびマラソン選手。現姓山岡。愛媛県出身。バルセロナオリンピック女子10000mとアトランタオリンピック女子マラソンに、二大... |
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瀬古利彦
瀬古利彦(せことしひこ、1956年7月15日-)は三重県桑名市出身の元陸上競技・マラソン選手、陸上競技指導者。1970年代後半から1980年代にかけて宗茂、宗猛、中... |
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中村清
中村清(なかむらきよし、1913年6月1日-1985年5月25日)は日本の陸上競技指導者。 |
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宮原美佐子
宮原美佐子(みやはらみさこ、現姓:姫野(ひめの)、選挙での通称:宮原みさ子、1962年5月29日-)は元女子マラソン選手。埼玉県川口市出身。 |
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有森裕子
元女子マラソン選手で日本におけるプロランナーの草分けでもある。日本体育大学卒業、日本陸上競技連盟の理事、日体大客員教授、国際陸上競技連盟女性委員会... |
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荒木久美
荒木久美(あらきくみ、現姓名・窪田久美(くぼたくみ)、1965年10月11日-)は日本の元女子陸上競技長距離走・マラソン選手。福岡県小郡市出身。佐々木七恵、... |
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孫基禎
日本統治時代の朝鮮出身の日本の男子マラソン選手。1936年のベルリンオリンピックで、アジアの選手として初めてマラソンで金メダルを獲得した。大韓民国建国... |
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山下佐知子
山下佐知子(やましたさちこ、現姓・吉原。1964年8月20日-)は女子陸上競技(長距離走・マラソン)元選手であり、現在は指導者として活動中である。 |
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尾崎好美
日本の女子陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。 |
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谷川真理
現役の女子マラソン選手で、現在ではタレント活動を積極的に行っている。福岡県出身、東京都荒川区在住。 |
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増田明
増田 明 / ボディートーク協会会長
(ますだ あきら) 1943年生まれ。京都大学法学部、大阪教育大学特設音楽過程卒業後、高校の音楽科教諭として15年間勤務。... |
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野口みずき
日本の女性長距離走・マラソン選手である。三重県伊勢市出身(ただし出生地は神奈川県)。オリンピック・マラソン競技金メダリスト。女子マラソンの日本記録... |
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浅井えり子
浅井えり子(あさいえりこ、1959年10月20日-)は日本女子の陸上競技選手で、主な競技種目は長距離走(マラソン)である。 |
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ジョイス・スミス
ジョイス・スミス(JoyceSmith、旧姓Byatt、1937年10月6日-)はイギリスの元陸上競技選手。40歳を過ぎてからマラソン選手として本格的に活動し、日本の大会で... |
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浅利純子
1990年代に活躍した秋田県鹿角市出身の元女子マラソン選手。現在二児の母。女子マラソンで日本人初の世界チャンピオン、アトランタオリンピック代表。現役時... |
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坂口泰
坂口泰(さかぐちやすし、1961年9月2日-)は陸上競技、マラソン選手。陸上長距離指導者。中国電力陸上競技部(広島市)監督。日本陸連男子マラソン部長。 |
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カトリン・ドーレ
ドイツ(旧東独)のライプツィヒ出身の元女子長距離走・マラソンランナー。1980年代から1990年代にかけて長きにわたって活躍。日本の女子マラソン大会にも何... |
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宗茂
宗茂(そうしげる、1953年1月9日-)は日本の気功師。宮崎県延岡市にて「気功健康塾」を主宰。元マラソン選手、陸上競技指導者。大分県臼杵市出身。血液型はAB... |
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プロフィール
- 佐々木七恵とは
- 生い立ち
- ヱスビー食品時代
- 現役引退後
- 略歴
- 自己ベスト記録
- マラソン全成績
佐々木七恵(ささきななえ、本名:永田七恵、1956年2月8日-2009年6月27日)は昭和時代に活躍した女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手である。1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。岩手県大船渡市出身。岩手県立住田高校、日本体育大学卒業。大卒後は教育職を経て、 瀬古利彦らがいたヱスビー食品に所属。 増田明美らと共に、初期の日本女子マラソン界を代表する選手の1人だった。
生い立ち
| 5男2女の7人兄弟の末娘として生まれたことから七恵と命名される。 |
| 中学時代はバレーボール部に所属し、住田高時代から兄の影響で陸上競技を始める。 |
| 日体大時代までは中距離の選手としてインカレ等で活躍し、大学卒業後マラソンに進む。 |
| 1979年11月に始まった第1回大会の東京国際女子マラソンが初マラソン。 |
| その後徐々に記録を伸ばし、日本の第一人者と言われるようになる。 |
| 当時、七恵は岩手県で県立学校の教員をしていたがさらなる記録向上をめざし学休期に上京しては、瀬古利彦の師である中村清の指導を受けるようになる。 |
| その甲斐あって、1981年4月のボストンマラソンでは日本最高記録を樹立した。 |
| しかし、その直後日本で出場したトラックレースで成田高校の在学生であった増田明美に何度も水をあけられて衝撃を受ける。 |
| これをきっかけに中村の指導をさらに熱心に受けるようになった。 |
| 中村の指導は厳しいものであったが、まもなく成果が現れる。 |
| 1982年5月のスポニチ陸上5000mでは初めて増田を破って優勝。 |
| 6月にはニュージーランドのクライストチャーチマラソンで再び日本最高記録を樹立し、2月に増田に奪われた首位の座を奪い返した。 |
| 自信を付けた佐々木は、2年後の1984年8月に開催されるロサンゼルスオリンピック女子マラソン代表をめざし、陸上競技に本格的に取り組む決意を固め、1982年7月7日付で教員を辞職し、中村のいるヱスビー食品陸上部に入部した。 |
ヱスビー食品時代
| 1983年11月の東京国際女子マラソンに、ロサンゼルス五輪の女子マラソン代表(このロス五輪から女子マラソンが正式種目となる)をめざして出場。 |
| このレースには9月に再び日本最高記録を出した増田明美もエントリーしており、マラソンでの2人の初対決が期待されたが増田は直前に足を痛めて欠場した。 |
| 七恵は先頭に食い下がる我慢のレースからスパートをかけて、結果国内の国際女子マラソン大会で日本人としても初優勝を果たし、念願だったロス五輪代表の座をつかんだ(その後増田も大阪女子マラソンに出走し2位となり、2人が女子マラソン五輪代表となる)。 |
| その走り方には、同年ヒットした連続テレビ小説にちなんで「おしん走法」のあだ名も付けられていた。 |
| 1984年1月の全国都道府県対抗女子駅伝に岩手県チームのアンカーで出場、実に17人抜きを演じる。 |
| この記録は2007年1月、愛知県チームの2区で出場した湯田友美が29人抜きを演じるまで23年間破られることはなかった(このときの2区では、17人抜き以上が湯田の他に3人いた)。 |
| 1984年8月、ロス五輪の女子マラソン本番レースでは、2時間37分台のゴールタイムで完走したもののメダル・8位内の入賞に届かず、順位は19位に終わる(増田明美は16Km付近で途中棄権)。 |
| 当時の日本女子マラソン界は、まだ世界との壁が厚かった。 |
| オリンピック後、中村の薦めもあって結婚(夫は永田姓で、自衛隊勤務)に伴い「家庭とマラソンの二足のわらじは無理」と1985年3月の名古屋国際女子マラソンを引退レースと決める。 |
| そのレースでは2時間33分台の自己ベスト記録で見事優勝を果たし、最後の花道を飾った。 |
現役引退後
| 現役引退後、2人の子供をもうけた。 |
| 1991年から古巣のヱスビー食品陸上部のコーチ、1996年から顧問を務めた。 |
| また1999年から2003年まで、居住する神奈川県相模原市の教育委員を務めた。 |
| 郷里の大船渡市では、彼女の業績を称える市民ロードレース「大船渡ポートサイド女子マラソン大会」が1988年以降毎年開催されている。 |
| 2009年6月27日、直腸がんのために死去。 |
| 享年54(満53歳)だった。 |
| 彼女の早過ぎる死に、ヱスビー食品のチームメートだった瀬古利彦は「26歳で安定した仕事を捨てて来たこと自体に驚いた。 |
| 覚悟が伝わった」「まだ若いのに…残念」、同じロス五輪女子マラソンの日本代表だった増田明美は「レース中に七恵さんに抜かれたことが一番悔しかった」「思い出話に花を咲かせる機会が増えるだろうと楽しみにしていただけに、大変悲しい気持ち」と、それぞれ追悼のコメントを述べていた。 |
| 尚、佐々木七恵の葬儀は身内のみで行われた為、元の所属先だったヱスビー食品の江戸龍太郎社長らが発起人となって、同年9月29日に「お別れの会」を執り行った。 |
略歴
| 大船渡市立日頃市小学校-大船渡市立日頃市中学校-住田高-日体大。 |
自己ベスト記録
| 3000m 9分39秒86。 |
| 5000m 15分55秒30。 |
| 10000m 32分54秒90。 |
| マラソン 2時間33分57秒。 |
マラソン全成績
| 1979年11月18日 東京国際女子マラソン 3時間07分20秒 26位(初マラソン)。 |
| 1980年11月16日 東京国際女子マラソン 2時間52分35秒 9位(日本人最上位)。 |
| 1981年04月20日 ボストンマラソン 2時間40分56秒 13位(当時日本最高記録・日本人最上位)。 |
| 1981年11月15日 東京国際女子マラソン 2時間45分53秒 5位(日本人最上位)。 |
| 1982年01月24日 大阪女子マラソン 2時間42分09秒 11位(日本人最上位)。 |
| 1982年06月06日 クライストチャーチマラソン 2時間35分00秒 優勝(当時日本最高記録)。 |
| 1982年11月14日 東京国際女子マラソン 2時間43分13秒 4位(日本人最上位)。 |
| 1983年11月20日 東京国際女子マラソン 2時間37分09秒 優勝(大会史上日本人初優勝)。 |
| 1984年08月05日 ロサンゼルス五輪女子マラソン 2時間37分04秒 19位(日本人唯一の完走者)。 |
| 1985年03月03日 名古屋国際女子マラソン 2時間33分57秒 優勝(大会史上日本人初優勝・自己ベスト記録・ラストラン)。 |
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1979年
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始まった第1回大会の東京国際女子マラソンが... |
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1981年
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当時、七恵は岩手県で県立学校の教員をしてい... |
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