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プロフィール
- 佐々木主浩とは
- アマチュア時代
- 大洋(横浜)入団
- シアトル・マリナーズ
- 横浜復帰
- 現役引退後
- 選手としての特徴
- 人物
- プライベート
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 佐々木が登場する作品
- テレビ
- ラジオ
佐々木主浩(ささきかづひろ、1968年2月22日-)は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は野球解説者・野球評論家。名前の表記は「かずひろ」ではなく、「かづひろ」。抑え投手として一時代を築き、日本では「(ハマの) 大魔神」、メジャーリーグでは「 KAZU」の異名で知られる。メジャー移籍の入団発表ではGREATDAIMAJINと紹介され、登板の際にも「DAIMAJIN」の文字が球場の大型スクリーンに登場したことがある。背番号は日米のキャリアを通じて22。前妻は元タレントの 清水香織。現在の妻はタレントの 榎本加奈子。
アマチュア時代
| 東北高校では竹田利秋監督のもとで2年の夏からエースとして3季連続甲子園大会に出場し、3年の春夏はベスト8に進出した。 |
| 東北高校の同級生、チームメートに元阪神(現コーチ)の葛西稔がいる(佐々木は葛西を「みーくん」と呼んでいたという)。 |
| また高校時代に親しかった同級生の2つ年下の弟には斎藤隆がおり、昔からの顔見知りであった。 |
| 斎藤とは高校・大学・日本プロ野球で同じチームに属することとなった。 |
| 大学進学の際に東京へ行くことも考えたが、東京で遊びに走ることを憂慮した竹田監督の勧めで地元の東北福祉大学へ進学した。 |
| 東北福祉大学時代は全日本大学野球選手権大会で2度準優勝(2年・3年)している。 |
大洋(横浜)入団
| 入団当時の監督・須藤豊は「チームで最もいい投手が抑えを務めるべきである」という考えから遠藤一彦を抑えに起用していた為、2年目のシーズン序盤までは先発で起用されることもあったが、遠藤の故障離脱により抑えに定着。 |
| 速球と落差のあるフォークボールを武器に高い奪三振率を記録。 |
| 1991年8月28日の対広島戦の9回、見逃し5球、空振り4球、ファウル無しの「三者連続3球三振」を達成。 |
| 1998年には51試合に登板し防御率0.64の安定感で、当時のプロ野球記録となる45セーブを挙げ横浜の優勝に貢献。 |
| MVPをはじめ、正力松太郎賞、日本プロスポーツ大賞を受賞。 |
| この45セーブは計算上3試合に1セーブを記録していることになり、46セーブを記録している岩瀬仁紀(3.17試合)、藤川球児(3.13試合)を超える記録(非公式)であり、防御率0.64は30セーブ以上挙げた投手の中でも歴代トップの数字であり、ストッパーとして唯一の2年連続防御率0点台を記録している(防御率0点台かつ30セーブ以上を2度記録した投手は他に藤川球児しかいない)。 |
| 10月8日のリーグ優勝を決めた試合にも抑えで登板し、自らこの試合を「ベストゲーム」としているISBN4163678301『日本野球25人私のベストゲーム』文藝春秋、2006年、270頁。 |
| 9月19日、横浜の優勝を祈願する目的で横浜駅東口の地下街「ポルタ」内に「ハマの大魔神社」が設置され、佐々木のフォークボールの握りを再現したブロンズ像が「ご神体」として置かれ、翌1月17日に撤去されるまでの間に約1,660万円のお賽銭が集まった。 |
| お賽銭は全額横浜市社会福祉協議会に寄付された。 |
| また「ハマの大魔神」はこの年の新語・流行語大賞を受賞した。 |
| 1999年にFAの権利を取得しメジャー移籍が可能になる。 |
| この年、シーズン中にもかかわらず手術を受けたことに対して球団は不信感を持ち、佐々木も残留をにおわせるような発言をした。 |
| メジャー移籍後球団が背番号22を他の選手に渡したのは、佐々木の行動に対する失望や不信感からだとされている。 |
| オフにはFA権を行使。 |
| トニー・アタナシオを代理人とし、メジャーリーグのシアトル・マリナーズと総額1200万ドル+出来高の3年契約(4年目は年俸500万ドルの球団オプション)を結ぶ。 |
| 当時のマリナーズ筆頭オーナーであった任天堂の山内溥は「メジャーリーグのピカチュウになってほしい」とコメントした。 |
シアトル・マリナーズ
| ポストシーズンでは4試合に登板し無失点の投球で3セーブを挙げたが、チームはニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズで敗退した。 |
| レギュラーシーズンでは最終的にリリーフ投手中リーグ1位の奪三振率11.20、同6位のWHIP1.16の投球でメジャー新人記録の37セーブ(にネフタリ・フェリスが40セーブを挙げ更新)を挙げ、アメリカンリーグ新人王に選ばれた。 |
| ポストシーズンでは4試合の登板で奪三振率13.63の快投を見せるが、ニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズ第4戦では自己最速タイとなる96mph(約154km/h)をマークするも、アルフォンソ・ソリアーノにサヨナラ本塁打を打たれ、チームは翌日の試合で敗退した。 |
| オフにはシーズン終了報告で任天堂の本社を訪れ、メジャー移籍を目指していた谷繁元信の獲得を進言したが、その後の入団には至らなかった。 |
| オフには日米野球の出場も辞退し、右ひじの遊離軟骨除去手術を受けた。 |
| この年はその他、自らがオーナーを務めるモータースポーツチーム「TEAM22」でフォーミュラ・ニッポンに参戦し、伊藤大輔をドライバーに起用した(メンテナンスはムーンクラフトに委託)。 |
| シーズン終了後にはマリナーズとの残り1年契約を破棄して退団。 |
| 退団理由については「日本で家族と一緒に暮らすため」と説明した。 |
| この年は前年に引き続きフォーミュラ・ニッポンにも参戦(メンテナンスはルマンに委託)。 |
| 脇阪寿一をドライバーに起用し、2勝を挙げた。 |
横浜復帰
| 10月8日、本拠地横浜スタジアムでのヤクルト戦で最終登板する予定だったが、Aクラス入りがかかった試合での登板はチームに迷惑をかけるとして自ら辞退、セレモニーのみが行われた。 |
| この時の挨拶で「生涯野球人であることを誓います」と述べた。 |
現役引退後
| 現役引退後は横浜の親会社であるTBSと日刊スポーツの野球解説者に就任。 |
| 野球評論家としても活動中。 |
| 2011年2月には韓国プロ野球・LGツインズの臨時インストラクターをつとめた。 |
| 2006年5月16日、NARの馬主登録、2007年にはJRAの馬主登録を行っている。 |
選手としての特徴
| 最速96mph(約154km/h)の速球と数種類のフォークボールを武器とした他、120km/h台の縦のカーブも混ぜ、2003年にはカットボールも投げたGo!JapanesePlayers『月刊スラッガー』2003年8月号、日本スポーツ企画出版社、60頁。 |
| フォークは落差の大きさから『2Fからのフォーク』とも呼ばれた。 |
| 三振を奪うための速いタイプとカウントを取るための遅いタイプがありウイニングショットのすべて『月刊スラッガー』2003年9月号、日本スポーツ企画出版社、19頁。 |
| 、手首を固定せずフォーシームの握りで速球を投げるようにスナップを利かせて回転をかけることで投げる140km/h前後のフォークと、スナップを抑えて投げるチェンジアップ気味のフォークを投げ、縫い目にかける指を調節することで軌道を左右に曲げることもできた『週刊プロ野球データファイル』2011年13号、ベースボール・マガジン社、雑誌27742-7/13、11頁。 |
| ボールにはわずかな横回転のみが掛かり |
| また、握りで球種を見破られることを防ぐために横幅の広い特注のグラブを作った他、リリースの瞬間に速球の握りからフォークの握りに変えるなどの工夫も凝らした。 |
人物
| 2006年3月19日に放送された日本テレビの番組『いつみても波瀾万丈』内で「二日酔いの日も投げていた」と告白。 |
| しかし「二日酔いである事をチームメイトが知っているので、打たれる訳にはいかない」との思いで普段より頑張って投げていたという。 |
| 甘いもの(特にプリン)が好物である。 |
| また料理も小学生の頃からしていたため得意。 |
| 『浜ちゃんと!』(2006年10月24日放送)では浜田雅功に料理を振る舞い、絶賛された。 |
| 商業用(いわゆるBBM系など)のトレカにはサインをしない主義であったが、「BBM20061stVersion」の「引退選手」のコンテンツで初めて商業用の直筆サインを50枚書いた。 |
| 子供が見ていた影響で『美少女戦士セーラームーン』の水野亜美の熱狂的ファンになる(『関口宏の東京フレンドパークII』に出演した際、クイズの問題にされた)。 |
| 1990年代後半によくゲストで登場していた『ショウアップナイタープレイボール』で横浜の先発オーダーを佐々木が発表する際、日本人選手では唯一年上の駒田徳広には「5番ファースト駒田さん」と敬称を付けていた。 |
| 中央競馬の馬主としてアドマイヤマジン、キャプテンマジン、マジンプロスパーなど「マジン」を冠名とする競走馬を所有している。 |
| アドマイヤマジンについては、近藤利一との共同所有となっている。 |
| それ以降もプロ宣告が告げられた日が12月22日、連続試合セーブ数が22、娘の誕生が2時22分だったなど、22に縁のある出来事が続いた。 |
| NHKのあさイチでは「大魔神の奇縁」として紹介された。 |
プライベート
| 1991年に元アイドルの清水香織と結婚。 |
| その後長女長男が誕生したが、メジャーリーグに行った頃に起きたすれ違いや、榎本との不倫関係、榎本の妊娠により夫婦仲は修復不可能になり2005年3月18日に離婚。 |
| 2006年6月29日、再婚後2人目の子(男児)が誕生した。 |
| 長女は自身のブログで、2007年には長女が家を出ていた事や「追い出されるなら受け入れなきゃよかった」と榎本に対する後悔や怒りを綴っていたが、実際は長女自身の問題が原因である2010年11月12日NEWSポストセブンhttp://www.news-postseven.com/archives/20101112_5706.html。 |
タイトル
| 最優秀救援投手:5回(1992年、1995年-1998年)。 |
表彰
| MVP:1回(1998年)。 |
| 最優秀投手:1回(1998年)。 |
| ベストナイン:1回(1998年)。 |
| 月間MVP:4回(1991年7月、1997年8月、1998年6月、1998年9月)。 |
| ファイアマン賞:5回(1992年、1995年、1996年、1997年、1998年)。 |
| 最優秀バッテリー賞:1回(1998年、捕手:谷繁元信)。 |
| アメリカンリーグ新人王(2000年)。 |
記録
| 初登板:1990年4月7日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、10回裏に4番手として救援登板・完了、1回無失点。 |
| 初セーブ:1990年4月11日、対広島東洋カープ2回戦(横浜スタジアム)、8回表に4番手として救援登板、2回1失点。 |
| 初先発:1990年5月13日、対中日ドラゴンズ6回戦(宮城球場)、4回1/3を3失点で敗戦投手。 |
| 初勝利・初先発勝利:1990年5月24日、対ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、5回3失点。 |
| 100セーブ:1995年9月27日、対読売ジャイアンツ26回戦(東京ドーム) ※史上8人目。 |
| オールスターゲーム出場:8回(1992年-1993年、1995年-1999年、2005年)。 |
佐々木が登場する作品
| 漫画『ササキ様に願いを』(みずしな孝之)-自称「ササキ様」で傲慢かつ乱暴なキャラとして登場している。 |
| パチンコCR大魔神-2005年3月リリース。 |
テレビ
| 武蔵MUSASHI(NHK大河ドラマ、2003年)。 |
| 浜ちゃんと!(読売テレビ系)。 |
| ダウンタウンDX(読売テレビ)-複数回ゲスト出演。 |
| チューボーですよ(TBS系、1996年11月23日、1999年1月2日)ゲスト。 |
| 情報7daysニュースキャスター(TBS系)(2009年WBC開催時に清原和博と共に解説者として出演)。 |
| サンデーモーニング(TBS系、2010年11月21日)-「週刊御意見番」ゲスト御意見番(2010年10月の大沢啓二死去に伴う措置として、毎週1名が助っ人として出演)。 |
| さんまのまんま(関西テレビ、1997年12月16日)谷繁元信(当時横浜、現・中日選手)と共にゲスト出演。 |
| 笑っていいとも!(フジテレビ系)-テレフォンショッキングゲスト。 |
| 2009年12月4日(田母神俊雄(元航空自衛隊航空幕僚長)からの紹介。 |
| 人間ビジョンスペシャル「 |
| 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 (朝日放送)-複数回ゲスト出演。 |
| ディープピープル(NHK総合、2011年2月11日)-村田兆治・牛島和彦(現役引退時の横浜監督)と共に「フォークボール」について鼎談。 |
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1968年
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佐々木 主浩(ささき かづひろ)は、宮城県仙... |
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1990年
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初登板:、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球... |
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