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プロフィール
佐竹義昭(さたけよしあき)は、常陸の戦国大名で、佐竹氏の第17代当主。常陸太田城主。
生涯
| 享禄4年(1531年)8月25日、第16代当主・佐竹義篤の長男として生まれる。 |
| 天文14年(1545年)、父の死により家督を相続して第17代当主となる。 |
| この頃の佐竹氏は内紛を収拾して、常陸北部を支配する戦国大名に成長していた。 |
| このため、常陸統一に向けて勢力拡大に励んだ。 |
| 小田政治と共同して江戸忠通と戦い、勝利した。 |
| 弘治3年(1557年)、宇都宮氏で内紛が勃発すると、当主の宇都宮広綱の宇都宮城への復帰に協力し、のち娘を嫁がせている。 |
| 永禄元年(1558年)には岩城重隆が常陸に侵攻してくるが、これを小里で破り、婚姻関係を理由に有利な和睦を結んだ。 |
| 永禄3年(1560年)には結城晴朝を攻めて勝利し、さらに白河晴綱の寺山城を攻めて勝利した。 |
| 永禄5年(1562年)には上杉輝虎(上杉謙信)と同盟を結んで小山城を攻めた。 |
| この年に長男の義重に家督を譲って隠居し、常陸府中城に移ったが、なおも実権は握り続けた。 |
| 永禄6年(1563年)には那須資胤と戦って勝利し、永禄7年(1564年)には北条氏康や結城晴朝と手を結んだ小田氏治の攻撃を受けるが、義昭は上杉謙信・宇都宮広綱と手を結んで逆に小田領に侵攻して小田城を奪取し、氏治を土浦城にまで追いつめた。 |
| また、継室の実家である大掾氏に乗り込んで、事実上同氏を傘下に収めた。 |
| 永禄8年(1565年)11月3日、常陸統一を目前にして突如として急死した。 |
人物・逸話
| 天文15年(1546年)、河越夜戦にて関東管領・上杉憲政が北条氏康に大敗した。 |
| 憲政は、当時常陸に勢力を拡大して勢いに乗る義昭に、関東管領職と上杉氏の家名を継承してもらう代わりに保護を求めたという(以前佐竹氏は上杉氏から養子を迎えて家督を継がせた(第12代当主・佐竹義人)経緯があった)。 |
| しかし、義昭は関東管領職にこそ魅力を感じたようだが、清和源氏の末裔としての佐竹氏の誇りからか、上杉氏の家名を継承する気にはなれず、これを拒否したという。 |
| 若くして隠居した理由は不明で、35歳の若さで死去していることから、病弱だったのではないかと思われる。 |
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1531年
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第16代当主・佐竹義篤の長男として生まれる |
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1545年
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父の死により家督を相続して第17代当主となる |
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つながりの強いひと
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佐竹義重
佐竹義重 伊達も北条も怖れた常陸の戦国大名
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反抗的な家臣芳賀高照を高定が暗殺し、さらに宇都宮城を占領した家臣壬生綱房が急死し、弘治3年(1557年)、宇都宮城は広綱の手に戻った。その後は上杉謙信と... |
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