| 1947年-寺の長男として鹿児島県にて生まれる。 |
| 1949年-京都に移住。 |
| 以降、1975年に上京するまで、京都にて生活する。 |
| 中学時代にギターを、16~17歳にてベースギターを演奏し始め、以降多重録音に没頭する。 |
| 1967年-独習にてピアノを始める。 |
| 1970年-荒川たつひこBANDに参加。 |
| 1972年-上田正樹とMZA、上田正樹とバッドクラブ・バンド結成。 |
| この頃よりウエスト・ロード・ブルース・バンド達と京都のライブ・ハウス(拾得)等でセッションを行いだす。 |
| 1973年-オリジナル・ディラン、西岡たかし等のレコーディングに参加。 |
| 1974年-春一番ライヴ74に出演(金森幸介、石田長生、中川イサト、田中章弘、岩崎順、西岡たかし、長野隆、喜多浩二、佐藤博)。 |
| 鈴木茂、林敏明、田中章弘でハックルバックを結成。 |
| また、ティン・パン・アレーに参加。 |
| 1976年-初渡米。 |
| 現地にて録音したファースト・ソロアルバム『SUPERMARKET』を日本コロムビアより発表する。 |
| また吉田美奈子バンド結成に参加する(大村憲司、村上"ポンタ"秀一、坂本龍一、高水健司、松木恒秀、佐藤博、土岐英史)。 |
| 1977年-鳥山雄司、青山純、伊藤広規、ペッカー等とセッション・グループ、ハイ・タイムスを結成。 |
| またEastWest’77の審査員をつとめる(1977.8.27、中野サンプラザホール)。 |
| 1979年-キティレコードと契約。 |
| 3rdアルバム『オリエント』を発表。 |
| 当初はファーストソロアルバムに参加して貰ったAmosGarrettを頼りにサンフランシスコに渡り、一年ほど活動をともにする。 |
| 1980年-ロサンゼルスに移る。 |
| アルファ・レコードと契約し、アルファ・アメリカの専属アーティスト兼プロデューサーになる。 |
| また、Rogers&Burginと共演する『awakening』(2005年)ライナー・ノート参照。 |
| 1981年-SpencerDavisGroupと10ヶ月ほどクラブを回る。 |
| RandyCrawfordらと共演し、高い評価を得る。 |
| その後、WendyMattewsと出会う。 |
| アメリカにて山下達郎『FORYOU』にピアニストとして参加する。 |
| 1982年-アルファ・レコードよりリズム・マシンLINNLM-1を駆使して、バック・トラックの殆どを多重録音で仕上げた4thアルバム『awakening(featuringWENDYMATTHEWS)』を携えて帰国、そして本作品を発表。 |
| 以降ほぼ毎年コンスタントにアルファ・レコードよりアルバムを発表する。 |
| 1983年-1984年この頃より、機械的なアルペジオの部分などで補助的に使用していたローランドのMC-4から、コンピューターAppleIIを作品制作に使用し始める。 |
| それ以降はMARKOFTHEUNICORNのMac用MIDIシーケンサーソフトのPerformerを用いている。 |
| 1990年-海外録音のアルバム『GoodMorning』を発表。 |
| これが生ドラムを起用した最後のオリジナル・アルバムとなる。 |
| HIROSHISATOPCNetworkStation“AQUALANGUE”開設。 |
| プライベートスタジオ“StudioSARA”を建設。 |
| 1991年-「LIVEATMUSEHALL」(1991.8.8)。 |
| 角松敏生、渕上祥人の作品等に参加する。 |
| 「StudioSARA」にて初めてMIX&TRACKDOWNを行ったアルバム『SELFJAM』を発表する。 |
| 1992年-「アースヴォイスコンサート'92」(1992.5.16)にキーボーディストとして出演する音楽監督はリー・リトナー。 |
| 共演者はマイケル・マクドナルド、デヴィッド・サンボーン、ブレンダ・ラッセル、ボビー・コールドウェル、フィル・ペリー、マキシ・プリースト、リサ・フィッシャー、ジルベルト・ジル、アニタ・ベイカー、ジェイムス・イングラム、ロバータ・フラック、角松敏生。 |
| 1993年-この頃“StudioSARA”を改修。 |
| また、『HAPPY&LUCKY』を発表する。 |
| 1994年-ソニー・ミュージックエンタテインメントよりサウンド・トラック『七都市物語』を発表。 |
| また、東芝EMIと契約する。 |
| 1995年-東芝EMI移籍後初のオリジナルアルバム『ALL OF ME』を発表(1995.5.10)。 |
| パイロット・シングルとして「HEARTTOYOU/ALL OF ME」を同日発売。 |
| 『ミュージック・マガジン』(1995年7月号)インタヴュー、『キーボード・マガジン』(1995年6月号)インタヴュー。 |
| 1996年-オリジナルアルバム『Oracle』を発表(1996.11)。 |
| 1998年-HIROP.J.名義でオルケスタ・デル・ソルに書き下ろした『THEFIGHT』FIFAワールドカップのオフィシャル・サポート・ソング(日本サッカー協会公認)が発表される。 |
| 1999年-ハックルバック再活動(バンド名は「Talk-Age」)。 |
| 1999年2月23日、鈴木(g)•佐藤(key)•田中(b)•市川祥治(g)•青山純(ds)というライン・アップによる“鈴木茂とハックルバック”として渋谷クラブクアトロにてジョイントライブ“南佳孝withハックルバック”を行う。 |
| 又、1999年7月8日、ほぼ10年振りに単独ライブを行う「佐藤博LIVEatPITINN」。 |
| メンバーは、佐藤博、村上秀一、松原秀樹、松原正樹、佐々木久美。 |
| 2000年-「HighTimes-Reunion」(2000.1.23青山CAY、メンバーは、佐藤博、鳥山雄司、青山純、伊藤広規、ペッカー、重住ひろこ。 |
| 2001年-FM802主催の「MEET THE WORLD BEAT 2001」に小坂忠&FRIENDS(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、浜口茂外也、佐藤博、佐橋佳幸)として参加する(2001.7.22)。 |
| 『小坂忠「People」発売記念インストアイベント』に参加2001.11.10、タワーレコード渋谷店。 |
| 2007年-川添象郎が手がけるSoulJaのメジャー・デビュー・シングル「DOGGPOUND」をサウンド・プロデュース(2007.2)。 |
| ドリームズ・カム・トゥルー「史上最強の移動遊園地DREAMS COME TRUEWONDERLAND2007」に音楽監督兼キーボーディストとして参加する。 |
| 青山テルマ『そばにいるね』の編曲およびサウンド・プロデュース、ミキシングとマスタリングを手掛け、本作が、第50回輝く!日本レコード大賞』において【優秀作品賞】を受賞する。 |