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つながりの強いひと
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ジャイアント馬場
日本のプロレスラー、プロ野球選手、タレント。本名は馬場正平(ばばしょうへい)。全日本プロレス代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任した。血液型O... |
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ジャンボ鶴田
日本のプロレスラー。三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初のAWA世界ヘビー級王者(第30代)。 |
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ミル・マスカラス
メキシコのプロレスラー。本名はアーロン・ロドリゲス(AaronRodríguez)。「千の顔を持つ男」「仮面貴族」などのニックネームを持つ。入場テーマ曲はジグソ... |
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天龍源一郎
日本の元大相撲力士、現プロレスラー。本名は嶋田源一郎(しまだげんいちろう)。福井県勝山市出身。身長189cm、体重120kg(力士時代は身長186cm、体重110kg... |
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山田隆
日本のプロレス記者・評論家。東京スポーツ新聞社に所属していた。北海道北見市出身。 |
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三沢光晴
日本のプロレスラー。1981年に全日本プロレスにてデビュー。同団体のトップレスラーとして活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げ。レスラー兼社... |
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西尾由佳理
フリーアナウンサー。元日本テレビアナウンサー。千葉県市川市出身。身長161cm。血液型はO型。 |
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長州力
山口県徳山市(現:周南市)出身のプロレスラー。血液型O型。在日韓国人2世である。海外遠征時のリングネームはリッキー・チョーシュー。ニックネームは「革... |
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谷津嘉章
日本の元プロレスラー。群馬県邑楽郡出身。血液型B型。長髪に無精ひげを生やし、サイドにJAPANと描かれた(但しそのいでたちは海外遠征中で、日本では殆どJAP... |
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吉田豪
「プロ」書評家、「プロ」インタビュアー、コラムニスト。なお肩書きにつく「プロ」は「プロ・レス(リング)」の「プロ」と同様の意味であるとの説明がなさ... |
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徳光和夫
日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問。オフィス... |
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古舘伊知郎
日本の、フリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター。古舘プロジェクト所属。元テレビ朝日アナウンサー。東京都北区出身。血液型はAB型。北... |
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スタン・ハンセン
アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州ノックスシティ出身のデンマーク系アメリカ人。本名はジョン・スタンリー・ハンセンII世(JohnStanleyHansenII)... |
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笹沢左保
笹沢左保(ささざわさほ、1930年11月15日-2002年10月21日)は日本の小説家。本名は笹沢勝(ささざわ・まさる)。 |
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柴田倫世
日本のフリーアナウンサー、タレント。元日本テレビアナウンサー。本名松坂倫世。血液型はAB型。現在は株式会社アーキテクトによりマネジメントを受けている... |
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吉田填一郎
ラジオ日本のアナウンサー・常務取締役営業局長。元編成局長。千葉県出身。千葉県立千葉高等学校、中央大学経済学部卒業。 |
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森圭介
日本テレビ放送網のアナウンサー。埼玉県越谷市出身。 |
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プロフィール
- 倉持隆夫とは
- 来歴・人物
- 倉持アナのプロレス実況
- 全日本プロレス中継における名言集
- 著書
- 外部リンク
- 関連サイト
倉持隆夫(くらもちたかお、1941年1月2日-)は、日本テレビ放送網の元アナウンサー。
来歴・人物
| 東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学法学部卒業。 |
| 早大在籍時には笹沢左保の書生を務めている。 |
| 1964年4月、アナウンサーとして日テレに入社。 |
| 徳光和夫の薦めで『全日本プロレス中継』の実況アナウンサーの一員となる。 |
| 特に1976年頃からは清水一郎、徳光の後を受けたメインアナウンサーとなる。 |
| ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ミル・マスカラス、ザ・ファンクスらの数々の名勝負を18年間にわたり実況。 |
| 独特の「倉持節」でプロレスファンを熱狂させ、1990年の実況最後の日には試合会場でウェーブが沸き起こるほどの支持を得た。 |
| 1990年から若林健治にメイン実況を譲って事業部へ異動。 |
| その間、日テレ在籍のまま東京ケーブルネットワーク製作(日テレと資本関係にある)のジャパン女子プロレス実況や、NWAやWWFのビデオ実況も行っている。 |
| 1995年、日テレの親会社である読売新聞金沢総局へ出向して、系列局テレビ金沢のワイド番組『2時間ワイドじゃんけんぽん』のニュースキャスターを務める。 |
| その後日本テレビ報道部勤務を経てこの時期、「ジャンボ鶴田がマニラで客死した」との情報を得、プロレス実況時代の人脈を活用していち早く裏取りに成功。 |
| スクープをものにしている。 |
| その一方、鶴田夫人の依頼で鶴田の死に顔ができるだけ映らないように奔走していた。 |
| 、2001年3月に定年退職。 |
| 退職後、『紙のプロレス』誌のインタビューで「俺は猪木さん大好き」と自らは猪木信者であったことをカミングアウトした。 |
| 現在は夫人と共にスペイン・セビリアに移住している。 |
倉持アナのプロレス実況
| 同時代に活躍していたライバル新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)実況担当の古舘伊知郎(当時局アナウンサー)が印象的な造語フレーズを散りばめた華麗な実況スタイルで注目を浴びたのに対して、倉持アナの実況スタイルは一見地味である。 |
| この点について倉持アナは、古舘アナはその日の試合のリング上で起きるであろう出来事について事前に知らされていたであろうが、全日本の場合、馬場もスタッフも何も教えてくれなかった、と説明している。 |
| また、その言動・発言は非常に大袈裟なものが多かったが、だからこそプロレスらしい緊迫感と説得力が生まれ、人気を博した。 |
| 1977年世界オープンタッグ選手権最終戦・蔵前国技館でのザ・ファンクスVSザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャー戦、1981年の世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦におけるスタン・ハンセンの突然の乱入、その翌年の馬場・ハンセンの初一騎打ちなど、全日本プロレスの歴史的瞬間に数多く立ち会う。 |
| また、1980年5月2日、後楽園ホールでのアブドーラ・ザ・ブッチャー対ザ・シーク戦で、倉持自身がザ・シークに襲撃され額を割られ救急車送りにされるという前代未聞のアクシデントにも遭遇した後日、ジャイアント馬場と元子夫人にクリーニング代として「たしか20万円頂いた」(倉持談)。 |
| また、倉持がシークのお膝元、デトロイトに行った時には、シークの手厚いもてなしを受け、宝石も貰っている。 |
| このアングルは「おそらく当時のプロデューサー・原章(現・福岡放送社長)とジャイアント馬場の2人のみが事前に知っていた。 |
| (シークが自分を襲ったのは)からかってやろうという感じだったのではないか」と倉持は回想している。 |
| また、倉持によるとアメリカでは実況アナウンサーはテレビ局ではなく団体側が用意するそうで、プロモーターでもあるシークが日本も同じシステムだと錯覚していた可能性もあるという(この項吉田豪『吉田豪のセメント!!スーパースター列伝パート1』参考)。 |
| ブッチャーとは来日毎に食事をする間柄であった。 |
| 楽曲『ブッチャー・ザ・グレイテスト』においては、歌唱の他、作詞も担当している。 |
| (『kamipro』No.143より)。 |
| なお、全日本プロレス中継レギュラー枠最後の実況は日本武道館におけるテリー・ゴディ・スティーブ・ウィリアムス組対ハンセン・天龍源一郎組の世界タッグ選手権。 |
| ヒザを痛めていた天龍の不甲斐なさにハンセンと天龍が仲間割れしたシーンを「何だー!何だー!何が起こっている!」と実況。 |
| リング上での挨拶では「会場の皆さん!視聴率が欲しいんです!」と述べている。 |
| また、東京ドームで行われた「日米レスリングサミット」ではメインイベントのスタン・ハンセン対ハルク・ホーガン戦を実況。 |
| フィニッシュが近づいたことを感じた倉持アナはレポートする徳光和夫を制し「ちょっと待ってください!実況を続けます!」と述べ、「ハルク・ホーガンのアックスボンバー!これがアックスボンバーだ!」と実況。 |
| これが全日本プロレス最後の実況となった。 |
| なお、解説として名コンビを組んだ山田隆ともども、新日本プロレス及び新日から移ってきたレスラーを下に見て扱うような言動が目に付いたが(鶴田VSアニマル浜口戦で「鶴田が負ける要素は何もありません!」とやって解説の馬場にたしなめられたのが有名)、日テレ退職後のインタビューで「アマレスの面白さは長州たちに教わった。 |
| プライベートでは仲良くやっていた」と語っている。 |
全日本プロレス中継における名言集
| 下記のように、文字にしてみると特別なフレーズはみられないが(流血の単位が「リットル」、馬場のとっさの動きが「マッハ」になるようにやたらと大袈裟ではあるが)、独特の名調子で印象的な実況となった。 |
| 「あ!フォークだ!フォークだ!フォークですね山田さん!これはテリー・ファンクの選手生命に影響があるかもしれません!」(1977年世界オープンタッグ選手権、ザ・ファンクス対ザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャー戦において、ブッチャーがテリー・ファンクの腕にフォークを突き立てた瞬間)。 |
| 「あっ!!、スタン・ハンセンだ!スタン・ハンセンがセコンドですね!」1981年の世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦において、ブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組のセコンドとしてハンセンが現れた瞬間。 |
| 直後、山田の名言として知られる「ハンセンですよ!」が飛び出している。 |
| 「16文だー!これは奇襲戦法!16文ヒット!」1982年、東京体育館における馬場対ハンセンの初シングル対決において。 |
| 試合開始早々馬場の16文キックが飛び出した瞬間。 |
| 「大流血!1リットル、いや2リットルか?」。 |
| 「ジャイアント馬場、マッハのスピード!!」(マッハのタイミング、とも)。 |
| 「顎の先端にヒーット!」。 |
| 「両者対角線上に分かれました」。 |
| 「場内は興奮の坩堝と化しております!!」。 |
| 「グランドに入りましたので、ここで○○を〜」(寝技に入るとリーグ戦の得点経過や次期シリーズの来日外国人情報など試合と関係のない話を始めるのが定番)。 |
| 「セレモニーは完全に破壊されました!」(リーグ戦などで、開会セレモニー中に乱闘が始まって大混乱になるとこういう実況が入るのがお約束だった)。 |
著書
| 『マイクは死んでも離さない「全日本プロレス」実況、黄金期の18年』(新潮社、ISBN9784103221210)。 |
外部リンク
| スペイン&フラメンコの総合サイト。 |
| 倉持元アナの現地情報エッセイ「セビージャのパテオにて」が連載されている。 |
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1941年
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倉持 隆夫(くらもち たかお)は、日本テレビ... |
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1964年
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アナウンサーとして日テレに入社 |
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