| 幼少時代は南海ホークスファンで、たびたび大阪球場に足を運び、ホークス友の会に入会していた他、南海OBによって運営されていた少年野球チーム・ジュニアホークスにも入っていた。 |
| 小学6年生の頃、当時巨人の監督だった王貞治と対面し、一緒に記念撮影をした際、「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と激励された事に感激して以来巨人ファンに転向したという『THE・サンデー』最終回で自ら語っていた他、以前『プロ野球ai』に母親が寄稿した際にその時の写真が掲載されていた。 |
| この経緯から引退して解説者となってからも、王からはよく声をかけてもらったと語っていた。 |
| 豊中市立第十二中学校時代、バッティング練習中にあまりに打球を飛ばすので学校が近所への迷惑も考え高いネットを張った。 |
| 「元木ネット」と言われている。 |
| その後この中学では元木ネットが必要になるような選手は出ていない。 |
| 上宮高校で甲子園に3回出場。 |
| 1989年の夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目された。 |
| 同校では種田仁、小野寺在二郎、ほっしゃん。 |
| (お笑い芸人)とチームメイトである。 |
| 甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄と同数)の記録である。 |
| 当時はその端正なマスク、スターと言われた外見とは裏腹に、あまりに唐突な発言の連発でチームの人気者となり、キャプテンに選ばれた。 |
| 殺到するファンを避けるどころか、気さくな笑顔で手を振って応じるなど、それまでの人気選手の立ち振る舞いとは一線を画していた。 |
| 別の高校に進学した先輩にもきちんと挨拶に行く等、礼儀正しい選手だった。 |
| 3年時の夏は大フィーバーで、大阪大会や甲子園練習には女性ファンが殺到。 |
| 開会式当日、出場校は球場の外で待機することになってるが、混乱を避けるために上宮だけ隔離されるという異例の措置も取られた。 |
| 高校野球では全力疾走・全力プレーが基本とされているにも関わらず一塁まで走らないなどの横着プレーが度々あり、当時の上宮高校・山上監督に殴られたことがあったという。 |
| 1989年の夏の甲子園3回戦の対八幡商で内野フライを放ち、1塁へ走るのをやめたことがあった。 |
| ところが、そのフライを相手内野手が落球。 |
| 走るのをやめてしまっていた元木は1塁でアウト。 |
| ベンチに戻ってきたところを山上監督に怒鳴られるシーンが全国に中継された。 |
| 1989年10月15日に電車の中で当時の近鉄バファローズ監督・仰木彬と乗り合わせ、握手をしてもらっていた。 |
| 当日は近鉄の優勝が決まるかというタイミングで仰木の出勤シーンを撮りにテレビのカメラマンがついてきており、その模様がニュースで放映されていた。 |
| 同年のドラフト会議では読売ジャイアンツの指名を希望するが、巨人は大森剛を1位指名。 |
| 福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイに野球留学する。 |
| 実際にはハワイの環境では本格的な野球練習は出来ず、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だったといわれる。 |
| この野球留学中、ベニー・アグバヤニ(元・千葉ロッテマリーンズ)とチームメイトになり、知り合いになったという。 |
| 1990年のドラフト会議で巨人より1位指名を受けて入団する。 |
| 1992年から1軍で出場。 |
| レギュラーを確保したシーズンは1998年と2001年の2シーズンしかないが、バッテリーを除く全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍する。 |
| マスコミに取り上げられる機会が多く、チャンスに強い打撃、隠し球・併殺崩しなどの狡猾なプレースタイル、進塁打や味方の盗塁を助けるためにわざと空振りをするなどの自分を犠牲にしたプレーを出来ることから長嶋茂雄監督にクセ者と言われ、マスコミに好んで使われる愛称となった。 |
| このプレースタイルは、高校時代はホームランバッターとして活躍したものの、プロではこれでは生き残っていけないと悟った元木が、プロで生き残っていくために選んだものだった。 |
| 2004年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年は堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により後半戦は戦力構想から外れて2軍生活を送ることとなり、活躍の場を失った。 |
| 首脳陣への当てつけか、自軍ダグアウトのベンチ・椅子ではなく、階段に体育座りしていたようなところもあった。 |
| その年の9月に戦力外通告を受ける。 |
| オリックス・バファローズや東北楽天ゴールデンイーグルスなどから入団の誘いがあったチームの中心選手ではない元木がトレードされる憶測はそれ以前にもしばしば流されており、2004年シーズン途中には、当時大阪近鉄バファローズの高村祐とのトレードという誤報を東京中日スポーツに出されている。 |
| ものの、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳の若さで現役を引退。 |
| 後藤孝志とともに自ら身を引く形となった。 |
| 世代交代する巨人に迷惑をかけたくなかったという。 |
| 最終戦で引退試合に出場。 |
| 2005年シーズンオフから日本テレビ系列のTHE・サンデーのスポーツキャスターを務めている。 |
| 2006年よりTBSラジオ野球解説者、スポーツ報知評論家となった。 |
| 30代半ばの時期は若いこともあり、中継の際は必ず年上・年下問わず「XX選手」と言うようにしていた。 |
| 2007年から、マスターズリーグ・東京ドリームスに参加している。 |
| 内野手登録で、背番号は2となっている。 |
| 2010年9月、東京・上野にラーメン店「元福(げんぷく)」を開業。 |
| 自ら手がけたスープを使ったとんこつラーメンがセールスポイントとのこと |