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元明天皇
父 母
日本(飛鳥時代-奈良時代)の第43代天皇。女帝(在位:慶雲4年7月17日(707年8月18日)-和銅8年9月2日(715年10月3日))。名は阿閇皇女(あへのひめみこ)。... |
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聖武天皇
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
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天武天皇
父
7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。 |
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草壁皇子
父
天武天皇と皇后鸕野讃良皇女(持統天皇)の皇子。妃は天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹である阿陪(あへ)皇女(後の元明天皇)。元正天皇・吉備内親王(後... |
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文武天皇
弟
日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日)-慶雲4年6月15日(707年7月18日))。諱は珂瑠(かる)、軽(かる)。和風諡号は2つあり、『続... |
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持統天皇
父
日本の第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日)-持統天皇11年8月1日... |
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行基
日本の奈良時代の僧。677年4月に生まれたという説もある。僧侶を国家機関と朝廷が定め仏教の一般民衆への布教を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪... |
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天智天皇
同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号で... |
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舎人親王
飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。舎人皇子(とねりのみこ)とも記される。天武天皇の皇子。淳仁天皇の父で、諡号は崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうて... |
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孝謙天皇
日本の第46代天皇(在位:天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)-天平宝字2年8月1日(758年9月7日))。父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后... |
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推古天皇
第33代天皇(在位:崇峻天皇5年12月8日(593年1月15日)-推古天皇36年3月7日(628年4月15日)36年、『古事記』では37年)。日本初の女帝であると同時に、東ア... |
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長屋王
奈良時代の皇族、公卿。正二位左大臣。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害した。 |
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元興
東晋、安帝司馬徳宗の治世に行われた2番目の年号。402年-404年。元興元年は3月に一旦、隆安6年に戻された上で大亨元年とされた。後に再び元興に戻された。『... |
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泰澄
奈良時代の修験道の僧。加賀国(当時越前国)白山を開山したと伝えられる。越の大徳と称された。 |
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藤原不比等
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」... |
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皇極天皇
日本の第35代天皇(在位:皇極天皇元年1月15日(642年2月19日)-4年6月14日(645年7月12日))。重祚して第37代斉明天皇(さいめいてんのう、齊明天皇。在位... |
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光明皇后
奈良時代の人。聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。名は安宿媛(あすかべひめ)。光明... |
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明正天皇
第109代天皇(在位:寛永6年11月8日(1629年12月22日)-寛永20年10月3日(1643年11月14日))。女帝。幼名は女一宮、諱は興子(おきこ)。 |
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稗田阿礼
『古事記』の編纂者の1人として知られる人物である。 |
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後桜町天皇
後桜町天皇(ごさくらまちてんのう、元文5年8月3日(1740年9月23日)-文化10年閏11月2日(1813年12月24日))は第117代天皇(在位:宝暦12年7月27日(1762年9... |
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プロフィール
- 元正天皇とは
- 略歴
- 系譜
- 漫画
- 小説
- 在位中の元号
- 在位年と西暦との対照表
元正天皇(げんしょうてんのう、 天武天皇8年(680年)-天平20年4月21日(748年5月22日))は日本(奈良時代)の第44代天皇。女帝(在位:霊亀元年9月2日(715年10月3日)-養老8年2月4日(724年3月3日))。父は 天武天皇と 持統天皇の子である 草壁皇子、母は 元明天皇。 文武天皇の姉。即位前の名は氷高皇女(ひたかのひめみこ)。和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)である。日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后 ...
略歴
| 弟・文武天皇の子である首(おびと)皇子(後の聖武天皇)がまだ若い為、母・元明天皇から譲位を受け即位。 |
| 「続日本紀」にある元明天皇譲位の際の詔には「天の縦せる寛仁、沈静婉レンにして、華夏載せ佇り」とあり「慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい」と記されている。 |
| 710年、平城京に遷都。 |
| これ以後、794年の平安京遷都までを奈良時代と区分する。 |
| 養老元年(717年)から藤原不比等らが中心となって養老律令の編さんを始める。 |
| 養老4年(720年)に、日本書紀が完成した。 |
| またこの年、藤原不比等が病に倒れ亡くなった。 |
| 翌年長屋王が右大臣に任命され、事実上政務を任される。 |
| 長屋王は元正天皇のいとこにあたり、また妹・吉備内親王の夫であった。 |
| 不比等の長男武智麻呂は中納言、次男房前(ふささき)は、未だ参議(その後内臣になる)であった。 |
| 養老7年(723年)、田地の不足を解消するために三世一身法が制定された。 |
| これにより早くも律令制は崩れ始めていく。 |
| 養老8年/神亀元年(724年)2月4日、皇太子(聖武天皇)に譲位した。 |
| 退位の詔では新帝を「我子」と呼んで退位後も後見人としての立場で聖武天皇を補佐した。 |
| 天平15年(743年)、聖武天皇が病気がちで職務がとれなくなると、上皇は改めて「我子」と呼んで天皇を擁護する詔を出し、翌年には病気の天皇の名代として難波京遷都の勅を発している。 |
| 晩年期の上皇は、病気がちで政務が行えずに仏教信仰に傾きがちであった聖武天皇に代わって、橘諸兄・藤原仲麻呂らと政務を遂行していたと見られている。 |
在位中の元号
| 霊亀715年9月2日(10月3日)-717年11月17日(12月24日)。 |
| 養老717年11月17日(12月24日)-724年2月4日(3月3日)。 |
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元正天皇さんについてのひとこと紹介
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