| アマチュアでの実績があったためB級ライセンス試験を受験し合格。 |
| 2005年7月16日、6回戦でデビューして1RKO勝利を収め、その後7連勝する。 |
| 2007年9月8日、小堀佑介の王座返上に伴い空位となったOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦でナデル・フセインと対戦し、8RTKO勝利で王座を獲得した |
| 2008年2月2日、山﨑晃との初防衛戦で10RTKO勝利し、同年6月12日には阪東ヒーローに12R判定勝利、11月1日には文炳柱に4RTKO勝利で王座を防衛した。 |
| 2009年5月2日、4度目の防衛戦でWBC世界スーパーフェザー級6位としてWBC同級5位のトーン・ポー・チョークチャイと対戦。 |
| 5Rにノックダウンを奪ってTKO勝利。 |
| 同年10月3日にはアーロン・メルガレホに7RTKO勝利で5度目の防衛に成功 |
| この2試合はともに高く評価され、東日本ボクシング協会月間最優秀選手賞をそれぞれ受賞 |
| 12月に世界挑戦のため同王座を返上した。 |
| 2010年1月11日、東京ビッグサイトにてWBA世界スーパーフェザー級王者ファン・カルロス・サルガドの初防衛戦の相手として挑戦。 |
| 序盤から的確にパンチを集めて試合を優勢に進め、最終12R終了寸前に2度のダウンを奪ってTKO勝利。 |
| 第39代WBA世界スーパーフェザー級王者となった |
| 2010年5月17日、地元である埼玉県のさいたまスーパーアリーナ・コミュニティアリーナにてWBA世界12位のアンヘル・グラナドスを迎えて初防衛戦を行った。 |
| 身長185cmとスーパーフェザー級では異例の長身であるグラナドスを相手に序盤から的確にパンチをヒットさせ、6Rに右フックでダウンを奪いTKO勝利で初防衛に成功した |
| 2010年9月20日、さいたまスーパーアリーナ・コミュニティアリーナにてWBA世界5位のロイ・ムクリス()を迎えての2度目の防衛戦。 |
| 序盤から相手のボディーに効果的にパンチを浴びせて主導権を握る。 |
| 迎えた5R、残り1分を切ったところで右ストレートをクリーンヒットさせたのを皮切りに、挑戦者をロープに詰めて一気に連打を浴びせ、ダウンを奪うと相手はそのまま立ち上がれず。 |
| 結局、レフェリーはカウントを途中で停止し、試合をストップ。 |
| 2分27秒TKOで王座防衛に成功した |
| 世界王座獲得から3戦続けてのKO勝利は、日本の世界王者としては初めて。 |
| ムクリスは試合後も起き上がることができず、担架に乗せられ会場近くの病院へ直行。 |
| 左ほお骨骨折で入院を余儀なくされた。 |
| 2011年1月14日、東京・文京区のJBC事務局にて前年11月にニカラグアで行われたWBA総会で受賞が決定したアジア優秀選手賞の記念品贈呈式が行われ、記念のプレートが贈呈された。 |
| 2011年1月31日、3度目の防衛戦。 |
| 東京・有明コロシアムで4位の三浦隆司(横浜光)と対戦した。 |
| 当初、この試合は1月10日に暫定王者ホルヘ・ソリス()との王座統一戦となる予定であったが、ソリスが気管支肺炎を患ったため試合を辞退。 |
| それに伴い、三浦との日本人対決に変更となった。 |
| 試合は3回に偶然のバッティングで右目上をカットし、さらに挑戦者の左ストレートでダウンを奪われたものの、その後は左ジャブを的確に当て続け、挑戦者の右目を腫れ上がらせる。 |
| そして、8回終了後のインターバルで挑戦者側が右目の視界を失ったことを理由に棄権し、TKOで防衛成功。 |
| これで世界王座奪取から4連続(世界王座奪取前から数えると7連続)のKO勝ちとなった。 |
| 試合終了後、内山は左ジャブを多用した理由として「試合中に右手を骨折していた」ことを明かした |
| また内山は今回の防衛戦前の練習でも右拳を痛めていた為、ジムサイドは内山に右拳の手術を受けさせ、次戦まで暫く間を空ける方針を打ち出している |
| 第35代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座(防衛5→返上)。 |
| 第39代WBA世界スーパーフェザー級王座(防衛3)。 |