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円珍
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つながりの強いひと
最澄
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円仁
第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。
佐伯有清
日本の歴史学者。
秘仏
信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が閉じられたまま祀られる仏像を指す。
小野道風
平安時代の貴族・能書家。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の子。藤原純友討伐に功を成した公卿・小野好古は実兄。官位は正四位下・内蔵頭。「三蹟」...
伝教大師
伝教大師の生涯と教え 大正大学まんだらライブラリー 7 天台宗教学振興委員会/編 多田孝正/編 出版社名 : 大正大学出版会 出版年月 : 2006年10月 I...
醍醐天皇
平安時代の第60代天皇(在位:寛平9年7月13日(897年8月14日)-延長8年9月22日(930年10月16日))。はじめの諱は維城(これざね)、のちに敦仁(あつぎみ・...
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平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、1175年(承安5年)、もっぱら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀...
乃木希典
日本の武士(長府藩士)、軍人。陸軍大将従二位・勲一等・功一級・伯爵。第10代学習院院長。贈正二位(1916年〔大正5年〕)。家紋は「市松四つ目結い」。幼名...
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義真
師事
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小山田和夫
小山田 和夫著 税込価格:(本体 : ) bk1ポイント倶楽部 : 20 ポイント(1%進呈) 国内送料無料でお届けできます 出版 : 吉川弘文館 サイズ : 19c...
和気氏
備前国和気郡(古くは藤野郡と称した)を本拠とした豪族である。垂仁天皇の皇子鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。別氏とも書く。姓(...
栄西
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。日本臨済宗の開祖、建仁寺の開山。生年には異説がある。天台密教葉上流の流祖でもある。また、喫茶の習慣を...
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三善清行(みよしきよゆき/きよつら、承和14年(847年)-延喜18年12月7日(919年1月16日)あるいは延喜18年12月6日(919年1月15日)は平安時代中期の漢学者。...
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天武天皇
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プロフィール
円珍とは
概説
著作
肖像
円珍の書
参考文献
円珍(えんちん、弘仁5年3月15日(814年4月8日)-寛平3年10月29日(891年12月4日))は、平安時代の天台宗の僧。天台
寺門宗
の宗祖。諡号(しごう)は智証大師(ちしょうだいし)。入唐八家(
最澄
・
空海
・
常暁
・円行・
円仁
・
恵運
・円珍・
宗叡
)の一人。
概説
讃岐国(香川県)金倉郷に弘仁5年(814年)に誕生。
多度郡弘田郷の豪族・佐伯一門のひとり。
字(あざな)は遠塵。
空海
(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。
生誕地は善通寺から4kmほどのところ。
幼少から経典になじみ、15歳(数え年、以下同)で比叡山に登り
義真
に師事、20歳で落髪し12年間山にこもり学頭となる。
仁寿3年(853年)に新羅商人の船で入唐、天安2年(858年)に唐商人の船で帰国。
帰国後しばらく現四国八十八箇所第76番金倉寺に住み、寺の整備を行っていた模様。
その後比叡山の山王院に住し、貞観10年(868年)延暦寺第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜り、伝法灌頂の道場とした。
後に叡山を山門派が占拠したため園城寺は寺門派の拠点となる。
円珍が唐より持ち帰った一切経の2組は、園城寺と実相寺に収められた。
入寂は、寛平3年(891年)78歳。
三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上も注目される。
著作
著作は90を数え、円珍の教えを知る著作である「法華論記」「授決集」の他、自身の書いた入唐旅行記の「行歴抄」など著名である。
『智証大師全集』全3巻がある。
「行歴抄」では、
円載
との確執が描写されている王勇『唐から見た遣唐使』講談社1998。
肖像
円珍は、園城寺では宗祖として尊崇され、同寺には国宝の彫像をはじめ、多くの円珍像が伝わる。
同寺唐院大師堂には「中尊大師」「御骨大師」と称する2体の智証大師像があり、いずれも国宝に指定されている。
いずれの像も頭頂が尖り、頭部の輪郭が卵型を呈する独特の風貌に特徴がある。
円珍の書
円珍書状(寄遍照)(国宝)。
東京国立博物館所蔵の国宝「円珍関係文書」のうち。
古今集の歌人である遍照僧正への返信で、年はなく5月27日の日付があるのみであるが、晩年の手紙と推定される。
一見稚拙のようだが、古渋な勁い書である。
請伝法公験奏状案(でんぽうくげんをこうそうじょうあん)(国宝)「太宰府公験」は円珍筆でない。
園城寺所蔵の国宝「智証大師関係文書典籍」のうち。
入唐からの帰国後、伝法のための公験(証明書)を請求するため、朝廷に提出した文書の案である。
貞観5年(863年)11月13日の日付がある。
書風は行書風の特徴ある楷書。
参考文献
佐伯有清
『円珍』吉川弘文館:(人物叢書)、日本歴史学会編新版1990年。
小林隆彰
『智証大師円珍』東方出版、1990年。
小山田和夫
『智証大師円珍の研究』吉川弘文館、1990年大著。
佐伯有清
『智証大師伝の研究』吉川弘文館、1989年大著。
木村卜堂編著『日本と中国の書史』-社団法人日本書作家協会発行。
特別展図録『国宝三井寺展』、大阪市立美術館、サントリー美術館、
福岡市
博物館ほか編、2008年。
円珍 - Wikipedia
より要約
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