| 慶應義塾大学医学部名誉教授であり医学部長を勤めた冨田恒男、および同大学医学部客員教授の冨田稔は親族である。 |
| 慶應義塾幼稚舎に入学し、普通部、高等学校を経て、同大学工学部数理工学科へ進学。 |
| 大学在学中に「Apple漢字システム」を作成し、パソコンで漢字出力できる世界初のシステムを開発した学生として話題を集めた。 |
| 慶應義塾大学卒業後、カーネギーメロン大学コンピューター科学部へ進学。 |
| ノーベル賞受賞者であるDr.ハーバート・サイモンの指導を受け、機械学習に関する研究に従事した。 |
| 学位論文のテーマであるGLR法(後に冨田法ともよばれる)に関する研究成果はTomitaM.(1984)."LRparsersfornaturallanguages".COLING.10thInternationalConferenceonComputationalLinguistics.pp.354–357.、米国立科学財団大統領奨励賞の受賞対象となり、レーガン大統領より表彰されている。 |
| また、通常5年以上かかる同大学の大学院コースを4年で早期修了するなど、優秀な成績を収めている。 |
| ;生命科学への転身。 |
| 1990年、相磯秀夫前慶應義塾大学環境情報学部長より新キャンパスへの誘いを受け帰国し、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの教員となった。 |
| この当時より、コンピューター科学者が何年かけても実現できないような高度な知能システムを、たった一つの細胞から作り出してしまう「生命のメカニズム」に興味を持ち始める |
| 分子生物学を一から勉強することを決意し、教員の立場でありながら慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程に入学(1994年)、当時同大学の医学部教授を勤めていた清水信義の指導を受け、医学博士を取得した。 |
| 日本において現役の教員が学生として再入学するのは前例のないことであり、様々な苦労があったことを後に語っている |
| このような自身の体験に基づいてか、研究者が複数の専門分野を持つこと(ダブルメジャー)の重要性を予てより説いている大学教授対談シリーズ『こだわりアカデミー』1994年2月号。 |
| 1997年、細胞の系全体としての振る舞いを解析するための汎用細胞シミュレーションソフトウェア「 |
| "細胞シミュレーションのパイオニア的研究"として、日本IBM科学賞などを受賞している |
| その流れの中で、2001年には"IT主導のバイオサイエンス"という理念を掲げ、細胞シミュレーションを主軸とした大規模な生物実験施設を擁する |
| その後、メタボローム、プロテオーム、トランスクリプトームを始めとするマルチオミクス研究に注力し、特にメタボローム解析の分野においては、キャピラリー電気泳動-質量分析計(CE-MS)を用いた新規の測定法を開発するなど、先駆的な研究成果を上げている。 |
| また、 |
| これらの功績が高く評価され、2009年には同学会より功労賞を授与されている。 |
| 日本人では唯一の受賞であった。 |
| ;教育への取り組み。 |
| 高等教育に対して独自の理念を持っており、"学生に早い段階で先端研究に触れてもらうことは、基礎知識、基礎技術習得のモチベーションを上げ、高い教育効果がある"という考えに基づき生命と情報(2005)湘南藤沢学会、大学の研究室に学部一年生から所属することを推奨している。 |
| また、環境情報学部長時代には、同学部の特徴的な入試形態の一つであるAO入試制度の抜本的な改革などにも取り組んでいる |
| その他、大学の研究機関に高校生の研究助手を採用するなど、斬新なプログラムも積極的に導入している『朝日新聞』2009年5月11日。 |
| さらに、全国の高校生が大学の研究所に泊まり込んで先端研究を体験できる「慶應サマーバイオキャンプ」なども企画/運営している『読売新聞』2006年8月12日。 |
| 高校時代は馬術部に所属し、国体2回出場、関東大会個人総合準優勝の成績を残している。 |
| スキーでは検定一級を取得している。 |
| また渡米中は、タッチフットボールに熱中したことを自著に綴っている『ゲーム少年の夢』 冨田勝著。 |
| 日本にタッチフットボールのルールを持ち帰った人物の一人でもあり、1992年に |
| 鳩山由紀夫首相が同協会の会長を勤めていた時期もあり、タッチフットを介した二人の交遊が記録されている『日経新聞』2002年3月1日朝刊。 |