| 父は経済学博士で早稲田大学教授を務めた出井盛之(いでいせいし、1892年7月28日-1975年11月1日)『人事興信録』(人事興信所)※第28版、第29版 より。 |
| ソニー入社後は、外国部、スイス留学(ジュネーブ大学付属国際問題研究所修士課程修了)、スイス、フランス駐在を経験し、欧州を中心とした海外営業畑でキャリアを形成していった。 |
| 60年代、70年代の10年近くにわたるヨーロッパ駐在を経て80年代、技術系出身ではないながら、オーディオ、コンピューター、VTRなどの事業本部の責任者を歴任。 |
| さらに90年代は広告・宣伝、デザイン、広報部門の担当役員としてソニーブランドのイメージアップに貢献してきた。 |
| 1995年6月、ソニー代表取締役社長に就任。 |
| 折しも創業50周年を翌年に控え、ソニー始まって以来の新卒サラリーマン社長として、ソニーの原動力であるチームスピリットを鼓舞すべく、「リ・ジェネレーション」(第二創業)「デジタル・ドリーム・キッズ」というスローガンを打ち出した。 |
| デジタル時代に育ち、デジタル技術に目をキラキラさせるデジタル・ドリーム・キッズが、将来のわたしたちのお客さまだ。 |
| 彼らの夢をかなえる企業にならなければいけない。 |
| そのためには、わたしたち自身も、新しい技術環境に目を輝かすデジタル・ドリーム・キッズでなくてはいけない、という思いを込めたキーワードだった。 |
| デジタル・ドリーム・キッズの先頭に立つ出井は、1980年代前半に8ビットコンピューター事業を手掛けた経験をもとに、パーソナルコンピューター事業への再参入を宣言。 |
| インテルのグローブ社長(当時)やマイクロソフトのゲイツ会長(当時)とのアライアンスを先導し、1996年にVAIO1号機を米国で発表し、ソニーがAV企業からAVIT企業に大きく発展する舵を切った。 |
| また、出井は社長就任前からインターネットの可能性に注目しており、それをAVIT機器とつなげる重要性を説き、1995年11月にはソニーコミュニケーションネットワーク㈱(現・ソネットエンタテインメント㈱)を設立。 |
| 1997年度のビジネスウィーク誌が選ぶ「世界のトップビジネスマン」に選定された。 |
| その後2001年10月にスウェーデンの通信機器会社であるエリクソンとの合弁会社ソニーエリクソンモバイルコミュニケーションズ㈱を設立し、ネットワーク時代のソニーグループの礎を築いた。 |
| また、早稲田大学の同窓生である小渕首相及びその遺志を継いだ森首相(いずれも当時)の要請により、2000年7月にはIT戦略会議議長に就任し、ブロードバンドインフラの普及を提唱し、日本のブロードバンドネットワーク環境整備が世界に先駆けて強力に推進されるきっかけをつくった。 |
| ソニーの経営戦略をものづくりからコンテンツ重視へと転換を図り、ネットワークを介したハードウェア(AVIT機器)とコンテンツ(音楽、映画、ゲーム等)の融合を唱道し、上述のようなハードウェアの多角化のみならず、コンテンツ事業の拡充も推進(2003年8月にBMGを買収してソニーBMGミュージックエンタテインメント㈱を設立、2005年4月にはMGMを買収)。 |
| しかしながら、こうした戦略が直接的には企業価値向上に反映されなかったとの評価もあり、「ものづくりのソニー」凋落の原因を作ったと指摘され、2004年1月12日発売の米ビジネスウィーク誌が選ぶ「世界最悪の経営者」に選定http://www.businessweek.com/magazine/toc/04_02/B38650402best.htm、また日本の『日経ビジネス』2005年12月12日号においても三洋電機の井植敏、ライブドアの堀江貴文らを抑え、「国内最悪の経営者」ランキング第1位に選ばれている。 |
| 一方で、米の有力経済誌『フォーチュン』において、2004年の「アジアで最も勢いのある経済人25人」の第二位に選ばれるなど、その評価は一定ではない。 |
| また、ソニーが得意とする平面ブラウン管テレビに拘った結果、液晶テレビをはじめとする薄型への急速なシフトを読み違えてしまい、現在に続くテレビ部門不振の原因を作った。 |
| 巻き返しを図った出井は韓国・サムスン電子との提携に踏み切ったところ、経済産業省や国内メーカーからはテレビ技術の流出を危惧する声が上がり、「国賊」とまで非難された。 |
| 出井は「国内メーカーとの提携は考えたこともなかった」などと語っていたが、果たしてソニーおよびサムスンとの合弁で2004年に設立されたS-LCD社ではソニーが得意としていた画像処理技術が次々と流出し、またソニーのエンジニアが50人以上サムスン側にヘッドハンティングされるなど、経産省や国内他社が危惧した通りの結果となってしまった。 |
| 『フライデー』2010年3月20日号。 |
| 2003年のソニーショックを受け、出井らが示した経営再建計画の達成が困難を増す中、ソニーの現職社員・OB、国内外の経済メディア、ソニー製品の愛好者など各方面から激しい退陣要求が噴出していた。 |
| 出井は、ハードウェアのものづくり事業と音楽・映画等のコンテンツ事業を擁する世界でもユニークなソニーのビジネスモデルを理解し、経営できる後継人材の選定を、OB役員や社外取締役らとともに尽力。 |
| その結果、英国人であり、1997年からSonyCorporationofAmericaのヘッドとしてコンテンツ事業を中心にソニーグループの経営に貢献してきたSirHowardStringerが代表取締役会長に選ばれ、2005年6月、業績悪化の責任を取るかたちで安藤國威社長とともに辞任。 |
| 出井時代に大きく後退したエレクトロニクス事業を再建するには遅きに失した退陣と評価された。 |
| 現在は、2006年に自ら設立したクオンタムリープ株式会社の代表取締役として、日本とアジアの「人」「技術」「資本」を掛けあわせ、イノベーションを引き続き起こす次世代ビジネスとリーダーを生み出す、プラットフォームの創出とその支援活動に従事。 |
| ソニー株式会社アドバイザリーボード議長として当社の経営を側面支援する一方、ソニー時代から培ってきた国内外の幅広い人的ネットワークを活用しながら、国内外の上場企業の社外役員やアドバイザーとして、公式・非公式に次世代ビジネスや若手リーダーの育成に努めている。 |