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つながりの強いひと
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杉野昭夫
杉野昭夫(すぎのあきお、1944年9月19日-)は日本のアニメーター、アニメ監督。北海道札幌市出身、北見市育ち。 |
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野沢那智
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池田昌子
池田昌子 いけだまさこ 生年月日 1964年5月12日 性別 女 星座 おうし座 出身 神奈川(日本 ) 提供 : タレントデータバンク 本名 本田昌子 職種 女優 血液型 ... |
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プロフィール
- 出崎統とは
- 作品作り
- 絵コンテへのこだわりと作品の独自解釈
- 絵コンテの特徴と評価
- アニメーターとしての仕事と評価
- ペンネーム
- 後進の育成と業界への影響
- 少年期~1960年代
- 1970年代
- 2000~2011年
- 概要
- 連続テレビアニメ
出﨑統(でざきおさむ、1943年11月18日-2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都品川区生まれ。クレジットタイトル上では「 出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。
作品作り
| テレビアニメの草創期より制作現場に入り、1970年に26歳で『あしたのジョー』(テレビ版)を監督。 |
| 『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』『立体アニメーション 家なき子』『宝島』『ベルサイユのばら』『あしたのジョー2』など、1970年代~1980年代のテレビアニメ、劇場版アニメの数々をはじめ、67歳で死去するまでの間にテレビシリーズ、劇場用映画、OVAアニメを30タイトル以上監督した。 |
| 全キャリアを通じ、作品発表のインターバルが1年以上開いたことは稀で、ときには2本以上のテレビシリーズ監督(チーフディレクター)を掛け持ちしたこともある。 |
| 劇画、ギャグ漫画、少女漫画、児童文学、内外の古典文学など幅広いジャンルをカバーした出﨑の作風について、アニメプロデューサーの山崎敬之は、絵をあまり動かさず、詩的に表現する演出であり、貸本漫画家の過去を持つことによりドラマを知っていると評した山崎2005、P.180。 |
| 本人は、若き日に『鉄腕アトム』の絵コンテチェックを受けた際、手塚治虫から、エンターテインメントを忘れないように、と声をかけられ、後々までその意味を考え続けたと語っていた |
| また「出﨑演出」と総称される独創的な技法''(#表現手法の項参照)''を編み出したことについて、旧虫プロダクションの同僚だったりんたろうは「誰にも真似できない作り方」と評している。 |
| また同社の後輩である富野由悠季は、リミテッドアニメにおけるもっとも論理的な画面の見せ方を発明したのは出﨑だと述べ、ジャパニメーションへの影響力の大きさを讃えた |
| 作品作りの際の各セクション責任者には、深く信頼したメンバーを置くのが常だった。 |
| 『あしたのジョー』からはじまったキャラクターデザイン・作画監督の杉野昭夫とのタッグはアニメ界における「黄金コンビ」と称され |
| 他にも、美術監督の河野次郎、作曲家の羽田健太郎、音楽監督の鈴木清司、声優の野沢那智、菅谷政子、大塚明夫、水谷優子、武藤礼子、井上和彦、勝生真沙子らが多数の出﨑作品に参加している。 |
絵コンテへのこだわりと作品の独自解釈
| 週に1本放送される連続テレビアニメシリーズでは、スケジュールの都合上、数人がローテーションで各話の絵コンテを担当し、監督はそれをチェック/修正する立場に立つのが通例となっている。 |
| しかし出﨑は、作品が一人の人間の感性に貫かれていないと、見る人は何を見たらいいのかわからないDIRECTOR'S2007、P.14との理由で、監督作品ではほとんどの話数の絵コンテを自ら担当した。 |
| ちなみに富野由悠季の著書「∀の癒し」(ハルキ文庫)には、出﨑と富野が「絵コンテが作品の表現を支配するパーセンテージは70%」と確認し合ったことが述べられている。 |
| 正式にクレジットされた、ないしは担当したことが明らかな絵コンテの合計本数は500本超。 |
| 日本アニメ界屈指の分量であり、これを上回る本数をこなしたのは富野や奥田誠治など数人にすぎない。 |
| ただし出﨑が彼らと大きく異なるのは、担当した全本数のうち約9割が自身の監督作品シリーズを統一する総監督が不在のまま言わば「各話監督制」で制作された『はじめ人間ギャートルズ』『元祖天才バカボン』での各話演出分も含む。 |
| における絵コンテであることである富野の場合は半分程度が、また奥田の場合は総本数の大半が、他の監督の元での各話演出、あるいは純粋な絵コンテマンとしての制作となっている。 |
| 「原作は、ある新しい世界を作るためのきっかけ」が持論DIRECTOR'S2007、P.17。 |
| 原作つき作品を異なるストーリー展開にするのはもとより、脚本家が書き上げて会議で承認されたシナリオ決定稿すらもあくまで叩き台として扱い、最終的なストーリーやセリフは絵コンテ段階で独自解釈による物語の咀嚼を行って決定した。 |
| アニメ界の先輩である杉井ギサブローが、そんなに脚本を変えるなら最初から自分で書いたらどうかと質問した際、出﨑は、他人の脚本があるからこそ、それをもとに自分のアイデアが生まれるので、他人の脚本は必要だが、その通りに進める必要も感じない旨を述べたとのことであるアニメージュ201106、P.143。 |
| 絵コンテ段階で原作や脚本から離れた作品になる理由について、兄の出﨑哲は、登場人物に出﨑が深く感情移入するためと語る新潮2011、P.179。 |
| 出﨑作品においては、キャラクターの容姿や性格の設定は、必ずしも原作通りではない。 |
| たとえばロバート・ルイス・スチーブンソン原作の『宝島』に登場する悪役ジョン・シルバーを、出﨑は「海賊の親分=ロマンの塊」との考えから、原作の記述よりもはるかに容姿端麗で、善悪を超越した「男の中の男」に設定しているDVD『宝島MEMORIALBOX2』(ケイエスエス、2001年11月29日発売)ライナーノーツ。 |
| こうして作り上げたキャラクターにさまざまな感情を移入しながら絵コンテを描き進めることで、結果として出﨑はストーリーを改変したのである。 |
| 本人は絵コンテ制作中の自身の状態について、自分もキャラクターとともに作品世界に入り込むため、自分でも物語の結末はわからないとし、また登場人物と一体となることでセリフが自然に出てくるまで入り込むと述べていたDIRECTOR'S2007、P.24。 |
| だがその一方で、その世界を俯瞰できる視点がないと作品は成立しないとも語っているDIRECTOR'S2007、P.25。 |
| 鈴木清司によれば、その作業は、『白鯨伝説』終了時に円形脱毛症によって落武者のような髪になったり、『雪の女王 TheSnowQueen』の制作途中には病気にかかったりの、命を削っての精魂投入であったというDIRECTOR'S2007、P.38。 |
| 集団による分業で成り立つ商業アニメーションの現場で終世この姿勢を貫いたことにより、原作者や脚本家との軋轢が生まれる場合もあった。 |
| 『あしたのジョー』では山崎忠昭と雪室俊一が、脚本のあまりの改変ぶりを理由に降板する事態に発展。 |
| 後に山崎は自著『日活アクション無頼帖』(ワイズ出版)で出﨑を激しく批判した。 |
| また『源氏物語千年紀Genji』は、当初は大和和紀の漫画『あさきゆめみし』のアニメ化として制作が進んでいたが、出﨑が描いた第1話と第2話の絵コンテが原作とかなりテイストの違うものであったことに難色を示した大和側が原作を引き上げた末に、急遽立ち上げられた作品であるSPA!2011、P.93。 |
| 出﨑が絵コンテを重視したもうひとつの理由として、貸本漫画家の過去を持つことも挙げられる。 |
| 本人は初めて絵コンテを担当した頃、自分の漫画に動き、声、音楽をつけられるという感覚を得られたことが楽しかったと語っているDIRECTOR'S2007、P.12。 |
| つまり出﨑にとってアニメーションフィルムとは漫画や映画の延長線上に存在するものであり、「全ての場合において絵が動く事がアニメーションの基礎である」という考え方とは一線を画す演出スタイルを取っている。 |
絵コンテの特徴と評価
| 出﨑の絵コンテでは、カット割りにおいては必ずしも動きの繋がりは重視されない。 |
| また、視覚的効果を上げるだけでなく、ときにキャラクターの心理までも表現する大胆な画面レイアウトも大きな特徴。 |
| 多くの場合、筆致が非常にラフなため大塚2006、P.193絵・文字とも判読が困難で、「読むのだけでギャラが欲しい」と言った演出家もいるとのこと押井2011、P.19。 |
| しかし小林七郎は出﨑の絵コンテについて、慣れると他の監督の絵コンテに比べて一番演出意図がわかりやすいNHK『BSアニメ夜話 エースをねらえ!』(2005年6月28日放送)における小林七郎の発言と絶賛した。 |
| また、出﨑の絵コンテは単なる指示用の書類ではなく「たたき台」であるとし、そこに描かれている内容をさまざまなスタッフとともに議論、検討して、表現を引き出そうとしたとも語っている新潮2011、P.179。 |
| 実際に『エースをねらえ!』(劇場版)では、絵コンテのイメージを徹底するため、全カットごとに原画家によるレイアウトを元に作画・美術・撮影の主要スタッフを集めて打ち合わせを行う、前代未聞の作業を敢行しているNHK『BSアニメ夜話 エースをねらえ!』(2005年6月28日放送)における小林七郎の発言。 |
| 出﨑とともにマッドハウスを設立した丸山正雄は、同社の若いスタッフが出﨑をまねた粗い筆致の絵コンテを描くことがあるが、出﨑の場合は絵が巧いので粗いタッチでも絵コンテが成立するのだと述べたアニマックス『放送直前スペシャル!ウルトラヴァイオレット:コード044』(2008年7月5日放送)。 |
| 初期監督作品では絵コンテを他者が担当した割合が比較的多いが、それらの大部分においては出﨑自身が徹底的な手直しを行った。 |
| 対して、出﨑が絵コンテマンとして制作した絵コンテが他者によって改変された事例もいくつか存在する。 |
| 『ルパン三世』(テレビ第1作)第13話「タイムマシンに気をつけろ!」と17話「罠にかかったルパン」では、当時Aプロダクションに所属していた宮崎駿と高畑勲による改変を受けた。 |
| もっとも同作の作画監督を務めた大塚康生によると、宮崎と高畑は基本的に、出﨑の絵コンテのままでも面白いため、手をつけずにおこうというスタンスだったらしく、絵コンテ自体はあまり変えずに作画段階でニュアンスを変更した部分が大きかったとのことである大塚2006、P.194、197。 |
アニメーターとしての仕事と評価
| 1970年代なかばまでは演出とアニメーターを兼務していた。 |
| 『鉄腕アトム』(第1作)で動画デビューを果たした約1年半後には同作の作画監督に昇進自らが各話演出を務めた回のみの、兼任各話作画監督。 |
| 以後、『悟空の大冒険』、防災アニメ『ザ・ファイヤー・Gメン』でも作画監督を務めているいずれも演出と兼任。 |
| その他、『新宝島』、『どろろ』第11話「ばんもんの巻・その三」、『フロスティ・ザ・スノーマン』、『あしたのジョー』第14話「KOゴングはまだか!」、また虫プロが初めて手がけた、大阪万博へ出品された劇場用長編アニメ『千夜一夜物語』などで原画を描いた。 |
| 杉野昭夫はアニメーターとしての出﨑の実力を「相当描ける」と語っておりDIRECTOR'S2007、P.29、『千夜一夜物語』監督の山本暎一は、暗いイメージのシーンが巧かった旨の評価をしているDVD『千夜一夜物語』(コロムビアエンターテインメント、2004年1月28日発売)副音声座談会。 |
| 作画スタッフとしての参加が確認できる最後の作品は、1976年10月放送の『まんが世界昔ばなし』第2話「美女と野獣」(キャラクターデザイン)。 |
| なお、『哀しみのベラドンナ』に原画でクレジットされているが、これは配給会社への納入期日に間に合わせるために急遽仕上げたダミー版のための作業であり、その後リテイクの名目で完成した本編には出﨑が描いた絵は使用されていない |
ペンネーム
| 基本的に本名で活動したが、絵コンテや各話演出を担当するときを中心に、以下に紹介するいくつかのペンネームを使い分けた。 |
| なお、1993年以降の作品では原則的にペンネームの使用をやめ、ほぼ同時期に名字の表記も「出崎」から正式な「出﨑」へと変更している。 |
| もっとも使用頻度が高かったペンネームで、1969年~1992年の長きにわたって使われたこの他、1999年4月放送の『白鯨伝説』第24話「伝説のはじまり…迷走」で、各話演出として「さきまくら」名が表記されている。 |
| 初期には漢字表記だったが、やがて「・」入りの平仮名表記となり、さらに「・」が取れた平仮名表記に落ち着いた。 |
| ほぼ一貫して絵コンテ執筆時や各話演出時の名義であり、監督(チーフディレクター)として使用したのは連続テレビシリーズ『ハゼドン』とOVA『1ポンドの福音』のみである。 |
| 名字の「崎(﨑)」と「お先真っ暗」をかけたものと言われているアニメージュ201107、P.97が、本人は「枕(眠ること)が大好きなんだよね」とも述べている。 |
| 1971年~1972年にかけて、絵コンテマンとしての活動に使われたちなみに、16歳で執筆した漫画「ホオに傷のある男」にはすでに「斉九」なるキャラクターが登場している。 |
| 「さい・くよう」と読み、由来は「さあ行くよ」説アニメージュ201107、P.97と「(面倒)くさいよう」説大塚2006、P.191がある。 |
| 『まんが世界昔ばなし』でのみ使用されたペンネームで、「館」がシリーズ監督としての名、「完」は各話演出時の名として使い分けた。 |
| ともに、由来は当時の所属会社マッドハウスからアニメージュ201107、P.97。 |
| 矢吹徹=『侍ジャイアンツ』第1話「ほえろ!バンババーン」絵コンテ執筆時に使用。 |
| 由来は「おーい、くも」と言われるアニメージュ201107、P.97。 |
| 厳密には出﨑のペンネームではなく、脚本家によるシナリオを出﨑が絵コンテ段階で改変した結果、原形をとどめないものになったため、便宜上作り出した架空の人物名である |
| 名前の由来は、出﨑が主宰したスタジオあんなぷるの当時の所在地、東京都杉並区善福寺から。 |
後進の育成と業界への影響
| かつて出﨑のもとで演出助手を務めた監督/演出家には、高屋敷英夫、竹内啓雄、大賀俊二、西久保瑞穂、松園公、桑原智、西田正義らがいる。 |
| 押井守は『エースをねらえ!』(劇場版)を10回以上観て、「アニメーションを映画にする方法」を研究した旨を語っている押井2011、P.8。 |
| また庵野秀明も出﨑作品を研究しており、監督作『トップをねらえ!』に、『エースをねらえ!』へのオマージュとしてのパロディ的な要素を盛り込んだ。 |
| 板垣伸は『WEBアニメスタイル』での連載コラム「板垣伸のいきあたりバッタリ!」第21回で熱烈な出﨑ファンであることを明かし |
| 新房昭之はたびたび出﨑からの影響を口にし、出﨑の功績に対して世の中の評価が低い旨を述べているニュータイプ201107、P.211。 |
少年期~1960年代
| 小学4~5年生の頃より手塚治虫に憧れてストーリー漫画を描くかたわら、学校をさぼって映画館に通うほどの映画好きであったDIRECTOR'S2007、P.10、11、13。 |
| 『街』(セントラル文庫)などの雑誌で「ホオに傷のある男」「天使達」などhttp://homepage.mac.com/wayang_gamelan/interview/dezaki/index.html藤子FCネオ・ユートピア 出崎統インタビュー多数の読み切り作品を発表したNHK『MAG・ネット』2011年6月4日放送分にて、本人が所有していた当時の作品「濁流」「ガラスは語る」の生原稿が公開された。 |
| 貸本漫画全盛期をよく知る漫画家のすがやみつるは、当時の出﨑の作風を「都会派アクション」と評し、バラリと前髪がたれたハンサムな若者が進駐軍払い下げのグリースガンをぶっ放すマンガばかり描いていた旨を記している |
| しかし本人曰く、2年生のときに貸本業界の斜陽によって原稿依頼が来なくなったためDIRECTOR'S2007、P.11、一旦漫画から足を洗って、同校卒業後に東芝に就職少年マガジン別冊1981、P.116。 |
| 翌1963年のゴールデンウイーク中、虫プロダクションの求人新聞広告を見つけ、同社のアニメーター採用試験を受験DIRECTOR'S2007、P.11。 |
| 杉井はその際の印象を、面接時から独特の世界、明確な作家性、映像言語を持っていたと述懐している新潮2011、P.179。 |
| 1月から放送を開始していた初の本格的連続テレビアニメ『鉄腕アトム』の第39話「赤い猫の巻」(9月24日放送)で動画デビューを果たし、第51話「子象プーラの巻」(12月17日放送)では第二原画に昇格アニメージュ201107、P.94。 |
| 1964年、『鉄腕アトム』第66話「スペース・バイキングの巻」(4月4日放送)で原画担当となるアニメージュ201107、P.94。 |
| 結局、杉井を代表とする有限会社アートフレッシュとして独立することが認められ、虫プロの同僚だった吉川惣司、宇田川一彦、タツノコプロの奥田誠治らとともに8月に同社に参加後に脚本家の鈴木良武、東芝を退職した出﨑哲らが合流。 |
| 1967年から放送がはじまった『悟空の大冒険』では、各話演出/作画監督の作業と並行して、虫プロ商事発行の月刊誌「COM」にて同作のコミカライズ版を7回にわたって連載同連載は2003年発売の『悟空の大冒険』DVD-BOX付録として、虫プロ商事発行の「虫コミックス」仕様で単行本にまとめられた。 |
| 1968年、出﨑が独自性を活かすには「出﨑一家」を構えた方がいいとの杉井の判断により、同社を退社してフリーとなるアニメージュ201106、P.143「藤子FCネオ・ユートピア 出崎統インタビュー」ではフリーになった時期を『悟空の大冒険』の途中と語っているので、それに従えば1967年となる。 |
1970年代
| 『ジョー』終了後、1年ほど絵コンテマンとして活動した後、1972年10月にプロデューサーの丸山正雄、おおだ靖夫、作画監督の杉野昭夫とともに、演出の波多正美、原画の川尻善昭ら以下『ジョー』制作班を引き連れてマッドハウスを設立。 |
| 以後は東京ムービー制作作品『エースをねらえ!』『空手バカ一代』『はじめ人間ギャートルズ』『ガンバの冒険』『元祖天才バカボン』や、ダックス・インターナショナル制作の『まんが世界昔ばなし』など、多数の連続テレビシリーズを手がけた。 |
| 両者間には激しいライバル意識が存在していた |
| これらテレビシリーズと並行して、1974年には井上陽水の「闇夜の国から」のプロモーションフィルムや実写作品『純愛山河愛と誠』のオープニングなどの短編アニメも制作。 |
| 「闇夜の国から」のプロデューサーを務めた山本又一朗は、同作品の制作時に出﨑の並々ならぬ才能を感じたことで、後にプロデュースを担当した劇場用映画『ゴルゴ13』の監督に出﨑を指名することになるビッグコミック1983。 |
| 1977年、日本テレビが「開局25周年記念作品」と銘打ち、テレビアニメとしては空前の制作費を投入して制作した連続テレビシリーズ『立体アニメーション 家なき子』で、総監督と全話の絵コンテを担当。 |
2000~2011年
| 2000年代には幼児向け作品『劇場版とっとこハム太郎』シリーズ全4作や、美少女ゲームを原作とした『AIR』『CLANNAD』劇場版など、自らの新境地となる作品の監督を務めた。 |
| さらに、28年ぶりにマッドハウス作品の監督となった2008年の『ウルトラヴァイオレット:コード044』と、トムス・エンタテインメントと手塚プロが共同で制作した2009年の『源氏物語千年紀Genji』では、ともに1クール弱の放送期間ながら、キャリア初の連続テレビシリーズ全話にわたる監督/脚本/絵コンテ担当を実現した。 |
概要
| ときには、セル画の絵をそのまま映し出すとギャグ漫画のように見えたり少年マガジン別冊1981、P.115、あるいはセルと背景を組み合わせてピントを合わせて撮っただけの画面に何の面白味も感じないアニマックス『放送直前スペシャル!ウルトラヴァイオレット:コード044』(2008年7月5日放送)との理由から、アニメートされた絵を見えなくしてしまうほど大量のエフェクトを用いることもあった。 |
連続テレビアニメ
| 元祖天才バカボン〔1975年10月6日~1977年9月26日:全103回(204話)〕 ●各話演出(さきまくら名義/#2、7、13、18、23、29、34、39、44、49、54、60、65、72、79、85、96、108、114、122、126、132、135、137、141、145、149、160、164、166、171、175、184、191、194、204) ●脚本(さきまくら名義/#67)。 |
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1959年
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東京都立北園高等学校に入学 |
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1964年
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『鉄腕アトム』第66話「スペース・バイキング... |
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投票数
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出崎統さんについてのひとこと紹介
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