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プロフィール
- 前田智徳とは
- 高校時代
- 1990年代
- 2000年代
- 2010年代
- 表記について
- 評価
- エピソード
- 前田語録
- 記録
前田智徳(まえだとものり、1971年6月14日-)は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。
高校時代
| 熊本県玉名郡岱明町(現・玉名市)生まれ。 |
| 1987年熊本工業高校に入学。 |
| 2年時の春・夏、3年時の夏の計3回甲子園に出場。 |
| 3年時の夏には主将・4番・中堅手として出場し、敗れた2回戦では最終打者(結果は三振)となった。 |
| 1989年ドラフト4位で広島に入団。 |
1990年代
| 1990年2月のオープン戦でロッテオリオンズ戦に7番打者として先発出場し5打数5安打(4二塁打)。 |
| 公式戦初出場となる6月6日のヤクルト戦では6番・中堅で先発出場し、二塁打を放つなど4打数2安打1打点。 |
| ウエスタン・リーグでは打率3割。 |
| 1991年の開幕戦では1番・中堅で先発出場し、プロ入り初アーチとなる先頭打者本塁打を打つ。 |
| 一時は打撃不振に陥り先発落ちも経験するが、6月以降は2番に定着する。 |
| 129試合に出場し、打率.271、14盗塁、30犠打の成績で優勝に貢献した。 |
| 外野手として史上最年少(19歳で開幕)ゴールデングラブ賞受賞、1994年まで4年連続で受賞した。 |
| 1992年の開幕戦から6月3日まで2番を打っていたが、それ以降は主に3番を任される。 |
| 全試合に出場し打点王は逃すものの日本人選手では最多の89打点、得点圏打率.358を記録した。 |
| また初めて打率を3割台に乗せ(.308、リーグ5位)、これ以降規定打席に到達した年では1991年、2003年、2007年の3シーズン以外は打率3割以上を達成している。 |
| 他に盗塁数18でリーグ4位、守備では刺殺数、補殺数ともにリーグトップを記録。 |
| 外野手のベストナインに選ばれ、1994年まで3年連続で選出される。 |
| 1993年も全試合に出場し本塁打27、リーグ4位の打率.317(日本人選手中ではリーグ1位)、リーグ最多二塁打、最多塁打を記録した。 |
| 1994年は開幕戦から4番に座るが、4月30日以降は3番に固定。 |
| パウエルとの首位打者争いの末3厘差の2位。 |
| また3年連続3割・150安打を達成。 |
| 1995年5月23日のヤクルト戦で走塁時に右アキレス腱を断裂。 |
| 1996年の開幕戦に先発出場するが肉離れにより数試合で離脱。 |
| 5月に復帰してからはほぼ全試合に出場し、2年ぶりに規定打席に到達。 |
| この年から1999年まで、4年連続で打率3割以上・得点圏打率.340以上(.368、.368、.358、.343)を記録した。 |
| 1997年、怪我の影響もあり休養を挟みながらの出場であったため、最終戦の9回終了時点では規定打席にわずかに足らなかったが、延長戦に突入し打席が回ってきたため到達。 |
| 1998年、足の負担を軽減するためセンターからライトへコンバートされる。 |
| 9月13日のヤクルト戦で23度目の猛打賞。 |
| それまで与那嶺要が持っていたセ・リーグのシーズン最多記録を46年ぶりに更新した。 |
| また鈴木尚典と当時ルーキーの坪井智哉の3人で首位打者争いを繰り広げ、2厘差の.335で2位に終わるものの1993年以来となるリーグ最多二塁打、最多塁打を記録。 |
| 4年ぶりにベストナインに選出された。 |
2000年代
| 2000年、FAで巨人へ移籍した江藤智の穴を埋めるために4番で起用されるが、オールスター前に左アキレス腱の状態が悪化し休養。 |
| 7月27日に腱鞘滑膜切除手術を受け、残りシーズンはリハビリに努める。 |
| この年FA権を取得したが行使しなかった。 |
| 2001年3月に結婚するが足の状態が思わしくなく、公式戦出場は27試合にとどまる。 |
| 本塁打ゼロはルーキーの1990年以来11年ぶり。 |
| 2002年は開幕から先発出場し、4月5日の広島市民球場での対中日戦で山本昌から約2年ぶりの本塁打を放つ。 |
| 4月6日の試合中、前田の走塁に不満を持ったルイス・ロペスに暴行を受ける。 |
| 4月は5番、5月以降は6番打者として先発出場していたが、8月以降は5番に定着する。 |
| 同年のカムバック賞を受賞。 |
| 2003年は移籍した金本知憲に代わってレフトを守る。 |
| 2004年、開幕戦の4月2日から4月23日まで19試合連続安打開幕からの連続試合安打としては球団記録。 |
| 歴代では4位。 |
| 2年ぶりに打率3割に到達(.312)する。 |
| 2005年は5番レフトで全試合に先発出場し打率.319、32本塁打、自己最多の172安打を放つ。 |
| また三振率.073も自己最高。 |
| 2006年、ブラウン新監督から野手のキャプテンに指名される。 |
| 開幕当初は出塁率の高さを買われて2番打者を務めるが、打撃不振に陥り半月で5番に戻る。 |
| 5月25日に通算100補殺を達成(現役最多)。 |
| 8月22日の対阪神戦でライト前ヒットを放ち、史上40人目の3000塁打を達成。 |
| 9月30日の対巨人戦で5年連続20本塁打を達成。 |
| 3年連続、通算11度目の3割(歴代5位タイ)。 |
| また規定打席に到達したシーズンの中では自己最高となる得点圏打率.373(リーグ2位)を残した。 |
| 2007年9月1日の対中日戦(広島市民球場)で、8回裏に久本祐一からライト前2点タイムリーヒットを放ち、史上36人目(メジャーリーグに所属している松井秀喜、イチローを含めると38人目)となる2000本安打を達成。 |
| 31三振は4年連続のリーグ最少(規定打席到達者中)、三振率.075もリーグ最小。 |
| 一方、怪我が相次いだこともあり最終戦で規定打席に到達。 |
| また4年ぶりに打率3割を切った。 |
| 2008年は84試合に出場して打率.270、4本塁打。 |
| 後半は外野手の若手起用、守備と走力重視のチーム編成により先発から外れたが、代打では打率.372の成績を残す。 |
| 10月10日に球団と会談を行い、FA権の不行使と2009年シーズンの選手専任での現役続行が決まった。 |
| 2009年はキャンプからコンディションが整わず、ブラウン監督の若手重視の起用方針もありプロ入り初の一軍試合出場ゼロに終わった。 |
| 緒方孝市の引退試合では花束を渡し、涙ながらに抱擁をした。 |
2010年代
| 2010年は主に代打で起用され、2割代前半の打率ながらも代打としてはチーム最多の62試合に出場した。 |
| 故障の不安を抱えたシーズンだったため守備には就かなかったが、指名打者制度を採用したセ・パ交流戦では、指名打者として6試合に先発出場した。 |
表記について
| 1992年まではチーム内に他に前田姓の選手はいなかったが、1993年に西武ライオンズから前田耕司が移籍してきた。 |
| このときは新聞、テレビ、球場での表記名は「前田智」「前田耕」を使い、場内放送では2人ともフルネームで呼ばれていた(耕司は1994年限りで戦力外)。 |
| 2007年に前田健太が入団し13年ぶりに前田姓の選手が2人になったが、すでに智徳が相当な実績を積んだ後であることから、新聞やテレビでは「前田智」「前田健」表記だが、球場のスコアボードでは智徳は「前田」、健太は「前田健」の表記で、場内放送でも健太のみがフルネームで案内されている。 |
| 同様のケースとしては他に阪神タイガースの藤川球児・藤川俊介(2010年のみ)や新井貴浩・新井良太(2011年)などの例がある。 |
評価
| プロ入り1年目のキャンプを訪れた野球関係者が前田の打撃を見て「これは将来凄い打者になる」と口を揃えた。 |
| 当時広島の打撃コーチだった水谷実雄は、一発長打の魅力を持つ江藤と卓越した打撃技術を持つ前田に英才教育を施すべく、2人を競わせる形で猛特訓を課し、揃って主軸打者に成長させた。 |
| また、当時オリックスの二軍監督をしていた福本豊は二軍戦で前田の打撃を目の当たりにし「なんでこんな選手が二軍におるんや!?」と驚愕したという。 |
| 前田はほどなく一軍に昇格、プロ初出場初先発で初安打を放った。 |
| 落合博満、長嶋茂雄、星野仙一らは前田の野球センスについて「天才」と評価する。 |
| だいたい、落合さんやイチローのようにタイトルを獲った経験がありませんから」と語るなど、あまり気に入っていない。 |
| 「侍」についても、自身が幾度も故障していることなどから「侍は、そう簡単に倒れるもんじゃないんですよ」と語っているが、その一方で自分の持ち物に『武士魂』と書き入れてもいる。 |
| 衣笠祥雄は「今の前田があるのは練習の賜物」と評し、達川光男も「あいつは天才じゃない。 |
| 研究熱心で、相手が自分をどう攻めるかを考えながら練習している」と舌を巻き、小早川毅彦も「夏場の練習で他の選手が『きつい』と悲鳴をあげても、前田だけは黙々とバットを振っている」と、野球に対する厳しい姿勢を評価している。 |
| また前田の出身校・熊本県立熊本工業高等学校のOBで、かつて「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治も「天才肌だが、こつこつと努力する野球にひたむきな男」と後輩を評している。 |
| さらには当時NHKで野球解説をしていた原辰徳には「前田選手とイチロー選手の2人は、他の多くの選手とは打撃センスの次元が違う」と言わしめた。 |
| 1994年にオールスターゲームに出場した際、前田との初対面を果たし、握手を交わしたイチローは満面の笑みを浮かべていた。 |
| 松井秀喜は読売ジャイアンツ時代の1995年、「週刊ベースボール」誌上の「『男』を感じさせる選手は誰か?」という設問に、他の11球団の選手が自球団の選手の名前を挙げる中、松井は「前田さんの背中に『男』を感じます。 |
| 前田だよ」と語り、2005年の秋季練習では福留孝介、森野将彦ら左打者に対して前田の打撃を引き合いにし「真似していいのは前田だけだ。 |
| また前田から最も多くの安打を喫した山本昌は以前、浜松球場での試合で外角低めの難しいコースを本塁打された事があり「あのコースを引っ張ってホームランにされた事は今まで無かった。 |
| さらにチームの先輩であり、長年、前田を間近で見てきた緒方孝市は引退後の2009年秋に週刊プレイボーイ誌上で「23年間、いろんな選手を見て、それで言うと自分の中でナンバー1は前田智。 |
| パ・リーグの球団に移籍してDHとして出場した方が、彼のためにも広島のためにもなるのでは」などと辛辣なコメントを寄せたことがある。 |
| かつては中堅を守り、1991年から4年連続でゴールデングラブ賞を獲得した経験もあるが、故障以後は脚力が失われたため守備範囲も狭くなり、歴代の首脳陣も守備での負担を軽減するため中堅から右翼、さらに左翼とコンバートを行っている。 |
エピソード
| 3年時の甲子園大会後、熊工には西武を除く11球団、前田の自宅にも8球団のスカウトが挨拶に訪れ、中でも地元九州のダイエーは上位指名を示唆するなど熱心だったが、同年11月に行われたドラフト会議では広島が4位指名する一方ダイエーからの指名はなかった。 |
| その後2000年に達川晃豊が監督に就任した際にも4番に指名されたが、「自分は4番を打つだけの打者ではない」と固辞し金本を4番に据えるよう懇願。 |
| プレー中に笑顔を見せる事は滅多にないが、2007年ガリバーオールスターゲーム第1戦(東京ドーム)の7回裏、ソフトバンク・馬原孝浩の直球をすくい上げるようにスイングし、右中間に飛び込むオールスター初本塁打を放った。 |
前田語録
| 高校3年時の1989年夏、高校野球選手権熊本大会の決勝(藤崎台県営野球場)で東海大二高と対戦。 |
| 北別府学の200勝のかかった試合の1992年9月13日の対巨人24回戦(東京ドーム)、1-0と広島リードで迎えた5回裏二死無走者、川相昌弘の中前への当たりに飛び込んだが後逸、ランニング本塁打で同点となる。 |
| 1994年5月18日の対巨人戦(福岡ドーム)で、広島は巨人・槙原寛己にプロ野球史上15人目の完全試合を許し敗れたが、前田はこの試合を欠場しており「この借りはいつか返す」と誓っていた。 |
| これは1998年9月15日付の朝日新聞に掲載されたもので、この際前田は車の中から怒声をあげたと言われているが、その状況には不自然な点が多々あり、このエピソードそのものの真偽は定かではない。 |
| 新4番として迎えた3月31日、開幕戦の対巨人1回戦(東京ドーム)では、2回表に回ってきた初打席で巨人先発上原浩治から先制ソロ本塁打、4回には二塁打、8回にも犠飛を放つなど3得点に絡み、5-4で逃げ切った。 |
記録
| 初出場・初先発出場:1990年6月6日、対ヤクルトスワローズ8回戦広島市民球場、6番・中堅手として先発出場。 |
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1971年
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前田 智徳(まえだ とものり)は、広島東洋カ... |
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1990年
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プロ入り後初の日南の春季キャンプでは打撃マ... |
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つながりの強いひと
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前田健太
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。大阪府泉北郡出身。マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称はマエケン。 |
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嶋重宣
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。北海道札幌市生まれ、埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)出身。ポジションは投手(1995~1999)→内野手(20... |
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緒方孝市
元プロ野球選手(外野手)。現在は広島東洋カープ守備・走塁コーチ。 |
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山本浩二
73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
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岩本貴裕
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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廣瀬純
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。大分県臼杵市出身。 |
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栗原健太
広島東洋カープ所属のプロ野球選手(内野手)。 |
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野村謙二郎
大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。から広島東洋カープ監督である。愛称は「ノムケン」。 |
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東出輝裕
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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金本知憲
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。ファンやマスコミからの愛称はアニキ(兄貴)など、友人からはかねもっちゃん、カネ。右投げ左打ちの打者... |
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井生崇光
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。内野手および捕手の経験もあるユーティリティプレーヤー。 |
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新井貴浩
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(内野手)。日本プロ野球選手会会長。同じ阪神タイガース所属の新井良太は実弟。 |
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末永真史
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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石井琢朗
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。栃木県佐野市出身。日本プロ野球での遊撃手最多試合出場記録保持者(2010年現在)。 |
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天谷宗一郎
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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浅井樹
富山県富山市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 |
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赤松真人
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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松山竜平
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。背番号は37。 |
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落合博満
秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。2004年より中日ドラゴンズ監督。 |
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黒田博樹
ロサンゼルス・ドジャースに所属するプロ野球選手(投手)。父はプロ野球選手の黒田一博。 |
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前田智徳さんについてのひとこと紹介
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