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つながりの強いひと
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大隈重信
日本の武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農... |
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江藤新平
江藤新平(えとうしんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日)-明治7年(1874年)4月13日)は日本の武士(佐賀藩士)、政治家である。幼名は恒太郎・又蔵。諱は... |
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島善高
日本の法制史学者。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授。専門は、日本近代史、法制史、皇室史(旧皇室典範)。また、早稲田大学の歴史に詳しい。 |
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板垣退助
日本の武士(土佐藩士)、政治家。幼名は猪之助。退助は元は通称。諱は初め正躬(まさみ)、のち正形(まさかた)。号は無形(むけい)。位階勲等爵位は従一... |
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後藤象二郎
幕末の武士(土佐藩士)、明治時代の政治家。正二位勲一等伯爵。旭日大綬章。幼名は保弥太、良輔。象二郎は通称。諱は正本(まさもと)、のち元曄(もとはる... |
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外務卿
外務卿 【ガイムキョウ】 1件の用語解説(外務卿で検索) Tweet デジタル大辞泉 の解説 がいむ‐きょう〔グワイムキヤウ〕【外務 × 卿】 明治... |
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大木喬任
日本の武士(佐賀藩)、政治家。通称を幡六、民平。伯爵。 |
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大久保利通
日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また維新の十傑... |
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伊藤博文
日本の武士(長州藩士)、政治家。諱は博文(ひろぶみ)、幼名は利助(りすけ)、のち俊輔(春輔、舜輔)とも称した。「春畝(しゅんぽ)」、「滄浪閣主人(... |
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丸山幹治
ジャーナリスト・政治評論家。号・侃堂。長野県埴科郡松代町(現・長野市)出身。 |
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枝吉神陽
兄
江戸時代後期の幕末に活躍した佐賀藩の思想家、教育者、国学者。藩校弘道館の教諭。外務卿、内務大臣を務めた副島種臣は実弟。本名は経種。贈従四位。 |
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石川九楊
石川九楊(いしかわきゅうよう、男性、1945年(昭和20年)1月13日-)は福井県今立郡今立町(現・越前市)生まれの書家・書道史家。京都大学法学部卒業、京都... |
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齋藤洋
齋藤 洋(サイトウ ヒロシ) 所属:法学部企業法学科
所属:研究所現代社会総合研究所
所属:研究所人間科学総合研究所
職名:教授
個人ホームページ: http:... |
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岩倉具視
贈太政大臣贈正一位大勲位。維新の十傑の1人。 |
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松方正義
日本の武士、政治家、財政指導者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は公爵。幼名は金次郎。通称は助左衛門。号は海東。日田県知事(初代)、大蔵大臣(初・... |
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福岡孝弟
福岡孝弟 ふくおか たかちか
天保6年2月5日〜大正8年3月7日 (1835〜1919) 写真1:近世名士写真 其1 白黒 ; 27.0×21.0cm 高知生まれ。維新前は、高... |
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島義勇
北海道開拓と神宮創祀のその功績を偲び、「島判官慰霊祭」が毎年催される。 |
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佐野常民
日本の武士・佐賀藩士。明治期には元老院議員となる。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿。勲等は勲一等。爵位は伯爵。称号は日本... |
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三条実美
日本の公卿、政治家。位階は正一位。勲等は大勲位。爵位は公爵。号は梨堂(りどう)。新字体で三条実美(さんじょうさねとみ)と表記されることもある。右大... |
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寺島宗則
薩摩藩出身の江戸時代後期の幕臣、明治時代の政治家である。爵位は伯爵。元は松木弘安。通称は寺島改姓後に陶蔵と名乗った。日本の電気通信の父と呼ばれる。... |
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プロフィール
- 副島種臣とは
- 経歴
- 書家としての副島種臣
- 栄典
- 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
副島種臣(そえじまたねおみ、1828年10月17日(文政11年9月9日)-1905年(明治38年)1月31日)は日本の武士・佐賀藩士、官僚、政治家である。勲等は勲一等。 爵位は伯爵。初名は竜種、後に種臣と改める。通称は次郎。号は蒼海、一々学人。書家としても優れた作品を残している。
経歴
| 父は佐賀藩の藩校・弘道館の教授であった国学者・枝吉南濠。 |
| 兄は国学者・枝吉神陽。 |
| のちに同藩の副島利忠の養子となる。 |
| 父・兄の影響により、早くから尊王攘夷思想に目覚める。 |
| 弘道館で学び、この間江藤新平や大木喬任と交わる。 |
| 1850年(嘉永3年)、兄の枝吉神陽が中心となって結成した楠公義祭同盟に加わる。 |
| 1852年(嘉永5年)、京都に遊学、漢学・国学などを学ぶ。 |
| この間に矢野玄道らと交わる。 |
| さらに、兄神陽の命を受け大原重徳に将軍廃止と天皇政権による統一を進言する意見書を提出、青蓮院宮朝彦親王から佐賀藩兵上洛を求められるが、藩兵上洛は藩主鍋島直正に退けられ、藩校で国学の教諭を命じられた。 |
| 1864年(元治元年)、佐賀藩が長崎に設けた洋学校・致遠館の英学生監督となり英語などを学ぶ。 |
| 1867年(慶応3年)、大隈重信と脱藩し勤王の志士として活動するが捕らえられて佐賀に送還され謹慎処分を受ける。 |
| 明治維新後は1868年(慶応4年)、新政府の参与・制度取調局判事となり福岡孝悌と『政体書』起草に携わる。 |
| 1869年(明治2年)に参議、1871年(明治4年)に外務卿となりマリア・ルス号事件において活躍する。 |
| 1873年(明治6年2月)には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件(台湾出兵も参照)の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として清の首都北京へ派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。 |
| この間に清朝高官と詩文の交換を行い、高い評価を得る。 |
| 当時、彼は宮古島島民遭難事件に関する清廷の考えを尋ねた。 |
| 総理部門の大臣は、台湾には生蕃と熟蕃があり、王化に服するのを熟蕃といい、服従しない生蕃は化外に置くと答えた。 |
| これは日本の台湾出兵の根拠を与えたが、文書によるものではなく、口頭の言質にとどまった。 |
| 翌年、日本軍の台湾出兵に至った。 |
| 1873年(明治6年10月)の征韓論争に敗れたためいったん下野して、1874年(明治7年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年民撰議院設立建白書を提出した。 |
| しかしその後の自由民権運動には参加しなかった。 |
| 西南戦争中は、中国大陸中南部を旅行滞在していた。 |
| 1879年(明治12年)、宮内省に出仕して宮内卿と同格の一等待講。 |
| 1884年(明治17年)、伯爵。 |
| 1887年(明治20年)に宮中顧問官、1888年(明治21年)に枢密顧問官、1891年(明治24年)に枢密院副議長になり1892年(明治25年)には第1次松方内閣において3ヶ月間内務大臣を務める。 |
書家としての副島種臣
| 書家としての業績は『蒼海副島種臣書』(石川九楊編集二玄社2003年(平成15年))に詳しいが絶版。 |
| 主要な作品は『書の宇宙24-書の近代の可能性明治前後』(石川九楊編集二玄社2000年(平成12年))でも紹介されている。 |
| 2005年(平成17年)にNHK番組『新日曜美術館』で、書家としての側面をクローズアップした特集が石川が解説し放映された。 |
| 「芸術新潮」(新潮社)の1999年9月号に掲載された「明治維新を筆跡でよむ志士たちの書」にも紹介され、また『蒼海先生篆書帖』(西東書房1972年(昭和47年))もある。 |
| 草森紳一が、文芸雑誌「すばる」(集英社)に「詩人副島種臣の生涯」(1991年(平成3年)7月号-1996年(平成8年)12月号、65回)と「文學界」(文藝春秋)に「薔薇香処副島種臣の中国漫遊」を(2000年(平成12年)2月号-2003年(平成15年)5月号、40回)書き続けたが未刊行である。 |
| 2007年(平成19年)から「表現」(京都精華大学表現研究機構)で「捕鼠明治十一年の文人政治家副島種臣の行方」が始まっていたが創刊号と第2号のみで、絶筆となった。 |
| 亡くなる少し前に、全体の4分の1にも達していないと語っている椎根和『オーラな人々』、「草森紳一」の章より、茉莉花社、2009年(平成21年)。 |
| 2006年(平成18年)に佐賀県立美術館で、2007年(平成19年)に五島美術館で没後百年記念特別展「蒼海副島種臣-全心の書-展」が催された。 |
| 石川九楊、草森紳一、島善高が寄稿した図録が佐賀新聞社で製作された。 |
| 改訂版が郷土出版である出門堂で刊行された。 |
| 佐賀新聞の題字は副島の書いたものである。 |
| 代表作は「帰雲飛雨」「紅葉館」(佐賀県立美術館所蔵)。 |
| 「神非守人人実守神」「春日其四句」など多数。 |
栄典
| 1881年(明治14年)勲一等旭日大綬章受章。 |
| 1905年(明治38年)勲一等旭日桐花大綬章受章。 |
参考文献
| 『副島種臣全集』(3巻、島善高編、慧文社)が、2004年から2007年にかけ刊行し、伝記に丸山幹治『副島種臣伯』(著者は丸山眞男の父、みすず書房で復刻、現在はオンデマンド版)、また近年刊の『副島種臣と明治国家』(齋藤洋子、慧文社、2010年(平成22年))は、明治10年代における副島の言動に言及している。 |
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1828年
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副島 種臣(そえじま たねおみ、(文政11年9... |
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2007年
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かけ刊行し、伝記に丸山幹治『副島種臣伯』(... |
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